【1518年(永正15年)上総国 真里谷城】
還俗した足利義明は真里谷信清の居城真里谷城を訪れていた。
現代では千葉県木更津市立少年自然の家がある真里谷城。
その実情は天然の要塞と言っていいほどの軍事要塞としての要素が強く。
農作物生産拠点や街を造る平坦な土地が少なかった。
それもそのはず。
元々この辺を治めていたのは千葉氏であり。
ここに築城した武田信長は外部の人間であったからである。
千葉氏だけではなく安房の里見氏や酒井氏.土岐氏などの千葉の豪族たちから攻撃を受ける危険性があり。
このような生産率の低い土地に追い込まれ、同じ武田信長から分かれた一族の庁南武田氏の居城庁南城は12km先にある。
なお庁南武田氏の現在の当主は武田宗信である。
真里谷信清「これはこれは公方様、よくぞお越しくださいました。それがしは真里谷武田家当主である真里谷信清でございます。」
真里谷信隆「嫡子信隆でございまする。」
真里谷信応「信清が次男信応でございます。」
足利義明「そちが信清父子か、私を利用し勢力を拡大する気ではないな?」
真里谷信清「とんでもございません、公方様。私は父左馬頭(足利政氏)と公方様の兄上足利高基様の不毛な戦いを見て怒りを感じました。そんな愚かな方々は頼りになりません、ここは義明様が新たな公方となり、戦ばかりの関東の地を治めくださいませ。」
足利義明「そうか分かった。」
会見は順調に進んだ・・・・・・・・・・・・表は・・・・・・・・
実際は・・・・・・・・
真里谷信清「馬鹿な公方よ、所詮公方なんぞ力のない神輿に過ぎん。せいぜい我が真里谷氏の勢力拡大に役に立ってもらうぞ。」
信清は義明の事を神輿程度にしかみていなかった。
簡単に言ってしまえば、利用価値のある道具と言う事である。
一方の足利義明は・・・・・・・・・・
足利義明「信清め、この足利義明がお前の道具になるとでも思ったのか?出家して何もしないままだったのに、折角の好機・・・・・・・・・お前が没するまで道具を演じてやるわ・・・・ふふふ。」
信清の道具に収まる気は全然なかった。
だが今直ぐ動くのではない、時が来るまで道具を演じる。
見た所息子二人は大した事はない・・・・・・・逆にこっちの操り人形に出来ると見ていた。
【1518年(永正15年)7月 下総国 小弓城】
下総国小弓城。
1300年頃に築城され、千葉一族である原氏の居城となっていた。
この城には千葉勝胤の家臣である原胤隆や高城胤吉がいた。
その中には・・・・・・・・・
原虎胤「父上、真里谷信清めが公方様の子を擁立したのは本当ですか?」
原友胤「あぁ事実らしい。」
後に武田24将の一人になる原虎胤の姿があった。
この時21歳の若武者である。
弟には後に織田家家臣になり桶狭間で戦死する桑原甚助がいる。
虎胤は武田信虎の時に虎の一文字を貰った名であるが、初名が不明なため虎胤で統一する。
信清が義明を擁立した事に元々敵対していた千葉氏は警戒していた。
原友胤「今後、奴めがどう動くか分からん、警戒はしないといけないが・・・・」
原虎胤「しないといけないが?」
原友胤「最前線になるので、いつ攻めてくるか分からん・・・・準備はしておけ。」
原虎胤「準備・・・・・はっかしこまりました。」
最前線である小弓城はいつでも防戦の準備をする必要はある。
足利義明を擁立し公方とするならばうってつけの場所であるから。
虎胤はその場をさろうとしたが・・・・・・・・
「大変でございまする。」
原友胤「どうした?」
「前方の櫓より武田割菱・・・・真里谷めが軍勢来襲でございます。」
原友胤「なんだと!?」
「それだけではございません、安房の里見めが軍勢もいます。」
突然、真里谷氏の軍勢が里見義通と手を組み小弓城へ襲来した。
目的はもちろん、足利義明を公方として擁立するためである。
原隆胤「おのれ甲斐源氏の内紛で逃れた武田信長の末裔が・・・・全軍、城の守りを固めろ!」
『ははぁぁぁ』
城将である原隆胤は各将に小弓城の防備を固めた。
城の防備を固めると数多くの真里谷・里見連合軍が殺到する。
(画像はイメージです)
防戦側である小弓城を守る千葉軍は奮戦した。
必死に戦い連合軍を抑えていた・・・・・・が・・・・・・・・・・・
原隆胤「ぐっ・・・・・・・・信清め・・・・・・・・・」
原隆胤討ち死に・・・・
原友胤父子は逃亡(次男桑原甚助は尾張へ落ちのびる)高城胤吉は撤退・・・
千葉軍の完敗で終わった。
小弓城は足利義明・真里谷信清・里見義通らの軍勢により落城。
義明は小弓初代公方になるのであった。
原虎胤「父上何処へ落ちのびるのですか?甚助は尾張に向かいましたが・・・・」
原友胤「甲斐に向かう・・・・」
原虎胤「甲斐って真里谷の本家である甲斐源氏嫡流の武田ですか?」
原友胤「あぁ我らは武田信虎殿に仕える。」
この後、原親子は武田信虎に仕え福島正成を討ち取る功績を得て。
信虎・晴信(信玄)二代に仕えるのであった。