マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

愛おぼえていますか見て

2024-03-04 04:26:14 | 短編小説(歴史含む)
「お母さんってあの戦争の当事者なんだよね?お母さんや教科書で学んだ内容とは違うんだけど?」

「政府のプロパガンダよ、第1男と女と戦争しないし同族よ。敵は監察軍だし。」

「ふーんそうなんだ・・・・」

作画いわしぃさん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母成峠の戦い

2019-05-19 21:57:11 | 短編小説(歴史含む)
幕末・・・・

長きに渡る徳川家康が始めた江戸幕府の終焉。
同時に源頼朝が始めた数百年の武士の世の中の終わりである。

黒船来港により、開国をよびなくされ・・・
不平等条約を結ばれ、それに反発する水戸藩や長州藩ら尊王攘夷派が暗殺行動に出るなど・・・
世の中が不安になり、特に京都は特に酷かった。

幕府は清河八郎らで浪士組を結成。
しかし清河は別の目的であり、近藤勇や芹沢鴨らと対立。
清河離脱後、京に残ったメンバーで新選組を結成。

長州藩などの尊王攘夷志士と戦った。
蛤御門の変や第一次長州征伐でどんどんか活躍する新撰組。

しかし

第二次長州征伐で一辺。
どんどん離反者が出たり、幕府の権威が落ちたり・・
それに伴い新撰組は地に堕ちてしまった。

徳川慶喜の大政奉還
鳥羽伏見の戦い・・・
江戸城無血開城。

新撰組は幕府に従い近藤勇などの多くの仲間を失い・・・ながらも
新時代の流れに抗う・・・

【1869年】

白河口の戦いで敗れ、二本松城が落城。
公現入道親王(後の北白川宮能久親王)を盟主とする奥羽越列藩同盟もかなりのダメージを負った。
新政府軍参謀・板垣退助と伊地知正治らが雪が降る前の会津攻めを主張。

その案が採用され・・・会津へ進撃した。

一方

土方歳三「よぉ」
新撰組、土方歳三

斎藤一「土方さん、怪我の方は大丈夫ですか?」
新撰組、斎藤一

土方歳三「なんとかな、むしろおちおち眠れんよ。」

斎藤一「しかし。」

土方歳三「近藤さんや多くの仲間は死んだし、永倉達は離脱し・・・新撰組もどんどんいなくなっても俺は・・・戦わないといけない。」

土方は怪我を押して戦いに参戦した。
今回の戦は重要、おちおち眠れないと・・・

斎藤らに心配されるが、土方は刀を持って陣地で寝て戦いに備えた。

会津藩は進行予測の中山峠に守備を強化。
新政府軍を待ち構える。

しかし

新政府軍は裏をかいた

母成峠へ板垣・伊地知が率いる主力部隊1300名
土佐藩の谷干城が率いる勝岩の台場方面に兵1000名
別働隊として薩摩藩の川村純義が率いる300名を送り込まれる。

本命だった中山峠に陽動部隊800名が進撃した。

「報告、坂下で会津軍と伝習隊が新政府軍と交戦。会津藩は敗走し、伝習隊に被害を出しましたがなんとか進撃を食い止めました。」

土方歳三「よしなんとかなるな。」

坂下で前哨戦が始まった。
伝習隊が奮戦、会津軍逃亡・・・
会津軍が情けない結果になりながらも、なんとか足止めに成功。

土方はこの結果を受けて、なんとか勝てる確率は上がったと思った。

その翌日・・・・・

「土方さん大変だ!」

土方歳三「どうした?」

「敵です、数は恐らく数千!?」

土方歳三「来たか!皆の者、準備しろ!」

濃霧の中、薩摩軍と土佐軍を主力とし長州軍・佐土原軍・大垣軍・大村軍で構成された・・
新政府軍2200名が会津城下を目指し、土方ら幕府軍に対峙した。
土方ら新撰組組と田中源之進率いる会津軍や二本松軍と仙台軍含めて800名しかいない。

だが

ここは戦場だ!
土方達は数で勝る新政府軍に睨み付け攻撃のチャンスを待った。

ズドォンズドォン

土方歳三「今だ!突撃しろ!」

本格的な戦いは砲撃の音声によって始まった。
新政府軍と旧幕府軍はお互いの陣地へ向けて砲撃し・・・・

銃撃戦と白兵戦が繰り広げられる。

「チェストぉぉぉぉぉぉぉ」

土方歳三「甘い!勝てるか!」

「がぁぁ」

「くそ強いぞ!」

「これが新撰組だと言うのか?距離をとれ!」

土方や斎藤などの新撰組も戦う。
圧倒的な数の新政府軍に怯まず、ただ意識を集中させて戦った。

全力でやらねば勝機は上がらない。
全力で殺さなければ、勝つことも生き残ることもできない。
どんな相手だろうが殺して生き抜く・・・・

土方や斎藤は奮戦し、新政府軍兵士を斬り殺す。

板垣退助「流石は新撰組だな、甲斐で壊滅させたのにまだ生きている。」
新政府軍板垣退助.参謀

伊地知正治「確かに敵にまわせばどれだけ脅威かは分かるでごわすな。」
新政府軍伊地知正治.参謀

板垣退助「まぁそれが面白い連中なのよ、厄介な敵ほど早く潰したいが。」

新政府軍の陣地に布陣する板垣退助と伊地知正治。
あまりにも奮戦するので、二人は驚きつつも冷静に観察する。
どんなに強かろうが、戦力差の前では無力。

板垣達はそう考えていた。

パンッパンッパンッパンツパンツ

「ぐぁぁぁ」

斎藤一「くそ、守りが固いか。」

土方歳三「守りが固いなら死ぬ気で斬り込め!」

池田七三郎「どけどけ!薩奸には負けんぞ!」
新撰組、池田七三郎

激しい戦闘により幕府軍は次々に倒れるが・・・
土方ら新撰組の闘志は消えず、島田魁や中島登らの隊士達は新政府軍に斬り込む。

しかし

鈴木三樹三郎「新撰組久しぶりだな!土方!」
新政府軍徴兵七番隊鈴木三樹三郎

土方歳三「鈴木!」

鈴木三樹三郎「新時代の為、負けんぞ!」

鈴木三樹三郎らが土方歳三ら新撰組組に立ちふさがる。

鈴木は新撰組九番隊組長の役職についた新撰組隊士で・・・

鈴木だけではなく加納鷲雄や阿部十郎・内海次郎らも参戦していた。
彼らは新撰組から別れた御陵衛士のメンバーであり・・・
思想の違いから分裂した元新撰組隊士である。

篠原泰之進「七三郎、まだ幕府に従っているか!」
新政府軍篠原泰之進

池田七三郎「従って何が悪いか!」

新撰組同士の戦い・・・・
今の我々からすれば衝撃的な光景であるが・・・
彼らは倒幕か佐幕に分かれただけに過ぎず、特別な念はない。

お互いに刃を交えて戦い殺し合う。

鈴木らは明治時代以降も戦い抜き・・・生き抜いた一人鈴木は警察官になるなどしている。

「第一台場陥落、第二台場も炎上」

斎藤一「くっ」

土方歳三「第三台場まで撤退、態勢を立て直す」

戦線はどんどん悪化する。
第一台場や第二台場など、幕府陣営の陣地が制圧されていく・・・
追い詰められた幕府軍は第三台場まで後退・・・

新政府軍に必死に抗う。

土方歳三「内藤殿、小原殿」

内藤「おお土方殿」
守将.内藤介右衛門

小原「どうなされた?」
砲兵隊長.小原宇右衛門

土方歳三「敵は明朝には必ず猪苗代まで押し寄せるだろう。諸口の兵隊を残らず猪苗代に回すべきである。さもなくば、明日中にも若松まで押し寄せるだろう」

唯一、史実で判明している土方の行動は内藤と小原に警告している。

しかし

それもむなしく、内藤と小原は若松城下町撤退を優先にし・・・
戦線を維持する事は出来なかったと言う。

土方歳三「戦線は崩壊・・・・もはやこれまでなのか?いやまだ終わらん。まだ機会は残されているはずだ!」

圧倒的な戦力さ不利さもあり、土方は一瞬諦めかけたが・・・
それでもやり通さねばならぬ事がたくさんあった。

例え己のみが朽ち果ててでもやらねばならぬ事が・・・・

「突撃!」
「殺せ!殺せ!」

「ぐぁ」
「ぎゃあ」

土方歳三「くそ新政府軍め、奇襲を仕掛けてきたか!」

新政府軍は砲撃の末に、濃霧に乗じて背後を強襲。
幕府軍は混乱し一気に戦線が崩壊・・・

新政府軍優先に一気に進んでいく・・・

大鳥圭介「戦え!まだ負けてないぞ!」
幕臣大鳥圭介

大鳥は叱咤するがむなしく混乱を納める事が出来ず・・・
戦線崩壊・・・・

新政府軍の会津方面侵入を許すことになる。

【猪苗代城】

土方ら幕府軍は敗走し、若松城下へ目指していた。
猪苗代には猪苗代城と言う会津藩の拠点があったが・・・
城代・高橋権大夫により焼き払われている。

土方は同じく若松城下へ敗走している斎藤らと合流した。

斎藤一「えっ庄内へ!?」

土方歳三「庄内藩に向かい、援軍を要請する。このまま会津藩単独では戦えない。」

斎藤一「そうか、気をつけろよ!」

土方は斎藤に庄内藩に援軍に援軍を頼みにいくと伝える。
聞いていた斎藤は泥だらけの顔をふき、土方を激励した・・・

その後、大鳥と共に庄内藩へ向かう土方に手を振りながら斎藤は若松城下へ向かった。

これが永久の別れになるとは思わなかっただろう・・・

結果は・・・

土方歳三「無理だったか・・・斎藤すまん・・・・」

歳三の望みむなしく、庄内藩に入城叶わず・・・
今さら会津に戻ることができないため
大鳥圭介らと共に仙台へ向かった。

その後

会津藩は長きに渡る激戦の末、降伏。
斎藤一もしばらく抵抗してたが、説得により降伏した。
白虎隊二番隊の悲劇、婦女隊の悲劇、城下町婦女子の自殺。

多くの人間が死んだ会津戦争・・・

斎藤一「土方、お前は武士として殉じろよ。俺と違ってな・・・」

斎藤一は高木時尾と結婚し・・・藤田五郎と改名。
警視庁に所属し、西南戦争に従軍。
大正の世まで生きるのである。

(長男勉は陸軍少佐、孫の実は陸軍兵士として沖縄戦に参戦し捕虜として終戦を迎えている)

一方

土方歳三「戦いはまだ終わってない、俺は最期まで戦い見事に果ててみる。」

土方は大鳥と共に脱出し、函館を目指した。
もう自分に出来る限りできるのは死に場所を求めるのみ・・・
そう考えながら、土方は海の人になる。

その後

土方は宮古湾海戦を転戦した後、函館にて銃弾を受け落馬。
仲間が駆けつけた時には絶命・・・

最期まで武人らしく、消えゆく武士の世に殉じて死んでいった。

その後

新撰組伝説の終焉

【昭和12年(1937年)】

池田七三郎「どんどん新撰組の仲間は死んでいったな。わし以外に生きている者は聞いたことはないな。」

池田七三郎・・・・
あの戦いを生き抜き、89歳のよぼよぼなおじいさんになっていた。
時は第二次世界大戦間近の昭和

池田がこうして歩いている今から一年前ほどに
陸軍将校らのクーデター二・二六事件が起きている。

池田七三郎「そろそろわしも土方さんや皆の者へ行けるのだな、この世は一人でさびしゅうございます。」

昔の新撰組の仲間を思い出しながら涙を流す。
そして自分がそろそろ・・・そちらへ旅たつ事を・・

池田は新撰組の仲間との思い出を思い出す・・・・

苦しくも楽しかった日々が・・・

池田七三郎「幕末の世から何年経ったのだろうか、わしも若かったのう。今では新撰組の隊士で生きているのは、わしくらいか・・・」

もう既に新撰組と呼ばれる面々はもういない。
新撰組の幹部であった斎藤一や永倉新八は15年前に亡くなっている。

事実

この時点で生きているのは、池田ただ一人であった。

近年、池田は新撰組の事について証言していた。
坂本龍馬暗殺は新撰組が関与してない、大名姿の近藤勇など・・・

遠い遠い幕末の頃の新撰組の事をいろいろと取材していた母沢寛に話した。

【昭和13年(1938年)1月16日】

新撰組の中で一番長生きした池田の最期の時がやってきた。
もうそろそろ皆の者へ行くのだなと・・・・

そう感じながら・・・・

「池田、皆が待っているぞ」

「あの世でも秩序守らんと、ほら早くこい!」

眠っている池田は夢を見た。
かつて行動を共にした新撰組の仲間に呼ばれている夢を・・・

夢の中の人物はあの頃と一緒だった。

幕末の動乱をかけた、あの頃と同じ新撰組だった時の姿に・・・

池田七三郎「皆、わしも今いくけぇ」

池田七三郎、昭和13年1月16日死去。
彼の死をもって新撰組として生き、己の義に殉じた新撰組の男達は皆。
亡くなった。

池田は死んだのではなく、ただ新撰組の仲間の元へ行った・・・

時は昭和 第二次世界大戦と呼ばれる戦いが起こる数年前の出来事であった。


誇りと共に威厳と共に死を
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三河一向一揆

2019-05-16 21:23:55 | 短編小説(歴史含む)
足利義政の跡継ぎ争いに起きた応仁の乱。
細川勝元と山名宗全を中心に、東軍西軍に分かれ抗争し・・・・・
各地の守護大名が分裂した。

11年間の争いで荒廃したがなんとか幕府の権威は地に堕ちずなんとか維持できたが・・・
細川政元が起こした明応の政変により、完全に幕府の権威は地に堕ちて・・・

強きものが正義、負けた者は悪の時代・・・
戦国時代が始まった。

守護大名を滅ぼし、戦国大名になるもの
守護大名から戦国大名になるもの
兄や本家筋を滅ぼして戦国大名になるもの・・・

数多くの個性的な武将達が戦乱の世を終わらせるべく勢力拡大に励み・・
寺院勢力が独立的行動を取るなど・・

世は混沌に陥ったばかりか・・・

遠い世界より欧州諸国の影迫り・・・

前降りは置いておいて

今回は

そんな不安な戦乱な世を完全に終わらせた男。
徳川三河守源朝臣岡崎三郎家康のとある事件を紹介したいと思う

毛利良勝「今川義元覚悟!」
織田信長の家臣毛利良勝

今川義元「がぁ・・・・このワシが・・・こんな所で・・・・・破れるのは・・・尾張のうつけ・・・恐るべし・・・」
駿河国守護大名今川義元

グジュッ

毛利良勝「今川義元の首、織田家家臣毛利新助良勝が討ち取ったり!」

1560年(永禄3年)

尾張国桶狭間にて駿河・遠江の戦国大名今川義元が織田信長に敗れ戦死した。
尾張の国を統一し、尾張の国を纏りきらず僅か5000人しか集まらず・・
25000万人今川義元を撃ち破った報は各地を驚かした。

今川義元に従っていた松平元康はこの混乱の隙をつき独立。
義元の後を継いだ今川氏真と対立する。

その手始めに藤波畷の戦いで東条吉良氏を破り・・・
着実と軍事力を増強。

どんどん今川勢力を倒し、勢力を拡大。

氏真は同盟関係にあった武田氏との関係悪化による政情不安
義元戦死による混乱により、家康の勢力躍進を止める事はできなかった。

1562年に織田信長との清洲同盟が成立。
西側の安全を確保した元康は改名し松平家康と名乗る。

このまま順風満帆に今川領土への確保へ乗り出す家康。

しかし

そんな家康にある危機が迫っていた。

【1563年三河国岡崎城】

家康は妻の瀬名姫と嫡男信康と娘亀姫を異父弟の康俊と捕らえた鵜殿氏長・氏次兄弟を交換し引き戻していた。

その間にも家康はどんどん勢力を拡大し、今川氏と戦う準備を行い・・・
戦国大名への道を突き進んでいた。

松平家康「康俊には悪いことをしてしまったが、瀬名と竹千代、亀を助け出せたのは幸いだな。」
安祥松平家当主.松平家康

鳥居忠吉「後は今川への侵攻ですな。」
松平家の老臣鳥居忠吉

松平家康「そうじゃ、今・・・今川は混乱している、その隙を突いて勢力を拡大したい。」

家族を取り戻した家康は各地の国人勢力と今川勢力を倒し・・・
三河統一の後、今川の領土の遠江侵攻を考えており・・・
早めに三河国内統一を果たしたいと思っていた。

しかし・・・・

鳥居忠吉「しかし本證寺の空誓らが心配ですな。」

松平家康「それだけではない、桜井や大草らの敵対勢力がおる。」

今川との戦いの前の脅威、三河内部の敵対勢力。

当時の家康は今川だけが敵ではなかった。
本證寺、本宗寺などの本願寺勢力、同族である桜井松平氏、大草松平氏。
吉良氏、荒川氏などが家康に対し敵対姿勢をとっていた。

特に空誓が率いる本證寺は厄介だ。
なんせあの本願寺勢力だ!

加賀では富樫氏を倒したり、各地で一向一揆を起こして現地大名を苦しめている。
事実、本願寺は織田信長と長きに渡って苦しめているし。
長島では信長の兄信広を始め、多くの一族が殺されている。

まだ21歳の若武者である家康もこの脅威を認識している。

今川と戦う前に寺院勢力が歯向かったらと・・・・

そんな家康の不安はこの直後、現実のものになる。

本多忠勝「殿、一大事でござる。」
松平家家臣本多忠勝

松平家康「何事だ!?」

本多忠勝「本證寺が激を飛ばし、一揆が発生・・・一度降した吉良氏や小笠原氏が決起し我が家臣が一揆側へ付きました。」

松平家康「なんじゃと!?」

本證寺が決起し激を飛ばし、一揆を起こさせたばかりか反家康勢力が決起した。
それだけではなく、家康に忠誠を誓っていた家臣が一揆側へついた。

その報告を聞いた家康は顔を赤くしながら、激怒と焦りが混ざった感情に襲われた。

とんでもない事態になってしまった。
いや最悪な事態になってしまったと・・・・

松平家康「しかし本多家は一向宗、忠勝はどうする?」

本多忠勝「それがしは殿と共にあります、改宗し忠誠を誓いまする。」

松平家康「忠勝、よくぞ申した。」

家康は一向宗を信じている忠勝に忠誠を確認するが・・・
忠勝は家康に忠誠を誓うと宣言、家康に安心させた。

事実・・・・

本多家は一向宗を信仰する者が多く・・・
本多正信と正信兄弟がついたが・・・・
本多忠勝を始め本多忠真、本多重次らは改宗し家康についた。

同じ事情に・・・
同じ一向派であるかつ総代の石川家では・・
石川康正が一揆派につき、嫡男の石川数正と弟の家成が改宗するなど・・・
各家康の家臣の一家が分裂した。

内藤信成「兄上。参上しました。」
松平家臣で松平広忠の落胤、内藤信成

内藤家長「家長でござる。」
松平家臣、内藤家長

松平家康「よく来たな。」

内藤家長「父上が一揆側についた事を深くお詫びもうします。」

松平家康「よいよい」

続々と家康側に戦力が結集する。

家康側についたのはおば婿の酒井忠次、同族の松平伊忠ら忠臣達。
寺院は一向派と仲が悪い真宗高田派の桑子明眼寺・菅生満性寺らがついた。

この中には今回初陣を果たし後の徳川四天王の一人榊原康政や・・・
米津常春、甥を助けるために出撃した水野信元とその配下高木清秀・・
舅と戦う覚悟の内藤正成、大久保忠世・・・
酒井忠尚の家臣であったが、離反し家康についた大須賀康高。
一族の松平信重らが結集した。

一方
一揆側には忠臣の忠吉の4男の鳥居忠広や数多くの松平家臣。
三河の今川残党、降した吉良義昭・荒川義広、小笠原広重ら国人。
まさに三河内戦とも言うべき構図であり・・・

中には親族同士で争うなど、地味ながら辛い構図になっていた。

松平家康「くっ家臣の大半が一揆側か、出来れば織田殿の岐阜攻めに援軍を送りたいが・・・」

この頃は織田信長の美濃攻めが始まっていた。
家康としても同盟者として援軍を送りたいが・・・
今はそんな余力がない。

下手したら今川から反撃を受ける可能性がある。
今は全力で鎮圧するしかない・・・

松平家康「くっ信重が・・・討ち死にしたか・・・」

家康は苦戦し、一族の信重を失ってしまう。
戦いは予想以上に長期化し、鎮圧完了できたのはなんと半年後のことであり。
若き武者の家康にストレスがどんどん積み重なっていく・・・

一揆が始まってからしばらく・・・上和田の戦場に家康は出陣した。
戦は激戦を極め、家康の兜に鉄砲二発被弾する程の激戦を極めた。

二度の被弾は危うく家康討ち死の危機であり、流石の家康も冷や汗をかいた。

戦闘が終わり、戦後処理を行うと処理していた男がある事に気がつく。

戦場で敵の遺体から見つかった63本の弓矢に名前が書いてあった。

「これは凄い武将、見事なり。殿に弓矢と共に書状を送ろう。」

男は弓矢を綺麗しに書状と共に家康に送った。

書状と弓矢を受け取った家康は驚き、弓矢の持ち主を呼び出した。

柴田政忠「柴田孫七郎参上しました。」
松平家家臣.柴田政忠

弓矢の持ち主は柴田政忠。
改宗してまで家康に従った人物で、弓矢の名手であり槍働きで活躍していた。

家康はニコニコしながら・・・・

松平家康「此度の戦はお見事、褒美にわしの家康の康を授け七九郎康忠と名乗れ!」

柴田政忠「それがしのような者に殿の一文字を授かるとは、ありがたき幸せです。」

自分の家康の康を政忠に授け、康忠と名乗るように言った。
政忠は驚きながらも、家康に頭を下げ喜んだ。
主君から一文字をもらうのは大変名誉なことである。

深く頭を下げた政忠。

ただ・・・・

柴田政忠「“康忠”はともかく、なぜに七九郎・・・?」

新たな諱と通称をもらった政忠は通称の七九郎に不思議がった。
なんでこんな通称になるのだろうか?

不思議顔の政忠、すると家康はこう言い放った。

松平家康「かけてみよ。七と九で六十三じゃろうが、ハッハッハッ」

柴田政忠「なるほど。」

七九郎、言葉遊びで合わせて63、政忠が討ち取った敵の数が由来。
意味を知った政忠は笑いながら思った。

うちの主君は中々面白い方だと・・・・

政忠は家康に忠誠を誓い、1593年に亡くなるまで家康に尽くした。

その後

翌年

【1564年】

翌年、家康側は有利に運んだ。
一揆側にいた戸田忠次らが寝返り、家康の味方になり・・・
一揆側を追い詰めていった。

そして・・・

馬頭原合戦の戦いで家康は勝利し、一揆側と和睦した。
和睦後、夏目吉信や蜂屋貞次・渡辺守綱らの家臣が助命され復帰。
本多正信・正重兄弟は松平家から出ていき各地放浪後復帰。

酒井忠尚はしばらく抵抗したが、逃亡した。

松平忠正ら同族や反家康勢力も従属。
ひとまず安心した家康

だが・・・

松平家康「今回の一揆で分かったのは宗教の恐ろしさだ、忠誠心の強い三河武士の大半が一揆側についた。講和したとは言え、このまま放置したら今後も脅威になる。ならば脅威の目は早めに潰した方がいいな。」

宗教の恐ろしさを目の当たりにし、安心しきっておらず。
今後も放置したら、また歯向かうかもしれない。
家康は宗教の危機感を抱いてしまい、ある決断を下そうとする。

空誓「やめてくれぇぇぇぇ、和議では元に戻ると言ったではないか。何故燃やすのです?」
本證寺.空誓

内藤信成「元に戻す?元に戻しているではありませんか、野原に・・・・」

空誓「そんな・・・・」

家康は徳政令を出す救済処置を出し、本願寺派が和議に反すと反発を起こさせ。
それを口実に、徹底的に弾圧を行った。

中心となった本證寺を焼き払い・・・
その他の本願寺派の寺院に改宗を要求し、拒否したら燃やすを繰り返し。
以後19年間、三河は本願寺派禁制の地になった。

その後家康は三河国を統一・・・し徳川へ改姓。
その勢いで武田信玄と共謀し遠江を攻略し、曳馬城を本拠に移し浜松城と改めて・・
二国の大名に・・・

武田信玄と争い大敗北した三ヶ原の戦い、長篠の戦いに甲州征伐。
信長の死後の甲斐の国と信濃の国の領土化と真田氏との戦い
小牧長久手の戦い、豊臣秀吉の従属。

小田原征伐、家康の五大老。

そして天下分け目の関ヶ原の戦いの勝利

江戸幕府初代将軍に就任。
最後に大坂の陣にて豊臣氏を滅ぼし・・
家康は200年以上の天下泰平の時代を作ったのである。

苦労しながら・・・

そんな天下を取った家康にこんな話がある

徳川家康「ほう本願寺が東西に分裂とな、そうかならば一方を支援しどんどん崩れてもらう。」

すべての元凶本願寺が分裂すると・・・・家康は教如一派を支援し分裂を躍進させた。
家康の思惑どおり、本願寺は東西に分裂し・・・

東本願寺
西本願寺

に分かれるのである。

この事件はマイナーが故に知名度は低いが・・・
三ヶ原の戦い 伊賀越えと並ぶ家康三大危機に数えられている。
若き家康にとっての忘れ去られたトラウマの一つであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩村の忍び合戦

2018-04-01 23:31:15 | 短編小説(歴史含む)
                【1572年11月14日】
織田家配下の岩村遠山氏一族と岩村城は武田家の軍門に降った。
城を守っていたおつやの方は秋山信友と結婚し、御坊丸(織田勝長)が甲斐へ送られ城には武田家家臣下条信氏が入った。
それだけではない武田家本隊が徳川家の領地遠江と三河へ侵攻。

天野景貫が降伏し徳川家康と武田信玄との衝突が近くなっていた。

そんな頃の岩村・・・・・・・

彩女「警戒は厳重か・・・・・・」
織田家配下の甲賀忍者.彩女

織田家配下の忍び.彩女・・・・・
六角家に仕え滅亡後に織田信長に仕えた甲賀の忍びの一人であった。
町娘に化けて占領された岩村に城を調査しに来ていた。

力丸「三河方面には長篠に楓.徳川本隊には千鳥と助蔵がいるが・・・・・伊賀の連中め・・・・殿に重要視されているようだな。地味な仕事をこちらばかり・・・・・」

彩女「力丸・・・・そんな事言うんじゃないよ、この仕事だって御坊丸様の事だってあるんだ・・・・・あたいらがやる事は地味じゃないよ。」

力丸「・・・・・そうだったな言葉が過ぎたな・・・・・」

織田信長に仕えた忍びは楓や千鳥.助蔵などと言った伊賀の忍者も含まれていた。
甲賀の人間からしたら気に入らない連中・・・・・
源平の昔から仲が悪い存在であった・・・・・
伊賀の人々と甲賀の人々は常に協力関係にあり、どちらかの土地に敵が攻めたら助けると一応の協力関係はあるが・・・・・
好きになれる連中じゃない・・・・・・甲賀卍谷と伊賀鍔隠れの連中なんかはよくぶつかり合う。

彩女からすればどうでもいい・・・・・
今は織田家の天下のために働く・・・・・・
それが今自分がやるべき使命だと思っている・・・・・

彩女「力丸伏せて・・・・・」

力丸「なんだ・・・・・・」

彩女「あれは・・・・・・信濃巫(歩き巫女の一種)武田の忍びか・・・・」

3名の巫女の姿をした女。
だけど、巫女としてはこの険しい山道を歩くのも速すぎるし。
岩村の城から出てきた。

何か情報源を持っているに違いない。
それを強襲し情報を手に入れ、その後は力丸が信長で彩女は徳川軍に情報を提供する計画を立てた。

彩女「上手く行けるか・・・・・・」

彩女は先頭にいる髪の長い女の首をへし折り。
ニ本の小刀で部下と思われる2名の巫女忍者を殺しにかかろうとした。
だけど・・・・・・・・

望月千代女「私が気付かないと思ったのですか?」
武田歩き巫女頭.望月千代女

彩女「!?」

望月千代女「最初に言いますが、私の名は武田の忍び望月千代女です・・・・」

先頭にいた女が振り向き彩女の顔を見た。
彩女は突然の出来事に蛇に睨まれ怯える蛙のような感覚に陥る。
冷たい氷の目つき、彩女と力丸はそれを恐れ止まる。

それに名乗った名前は望月千代女・・・・・
甲賀望月一族の一人である望月千代女を継いだ信濃望月一族の姫が継承し。
最強とも言うべき力を持っている・・・・・・
先の望月千代女よりも優れているという・・・・

こんな奴にまともに戦う方がおかしい・・・・

紅葉「千代女様・・・・ここが我らが・・・・・」
武田歩き巫女.紅葉

彼岸「ここは先に・・・・・」
武田歩き巫女.彼岸

二人の部下が彩女に対し小刀を取り出し攻撃しようとする・・・・・・
が・・・・・

望月千代女「二人は先に行きなさい・・・・・・・・・・・・この二人は・・・・私で・・・・・十分です・・・・・・・むしろ・・・十分に・・・・・・追いつきますから・・・・・」

『ハッ・・・・・・』

望月千代女「さて・・・・・・」

部下を武田本隊に行かせ。
仕込杖の刃を露わにし・・・・・

力丸「来るぞ・・・・・」

ブォン
ザシャ

力丸「ぐおっ・・・・・・」

彩女「力丸」

千代女は圧倒的なスピードを駆使し力丸の腕の一部を斬った。
その動きに気づいていた力丸は回避するも若干深い傷を負う。

彩女「よくも力丸を!!」

シュン

望月千代女「!?」

タンッ

彩女「はぁぁぁぁ」

キーン

望月千代女「ほう・・・・・いい動きしますね・・・・あなた・・・・・」

斬られて第2の攻撃を受けようとしている力丸を助けるべく。
一つの小刀を千代女に投げ、それを回避すると千代女の頭をタッチし回転し。
落ちた小刀を拾い、既に持っている小刀と共に千代女を攻撃する。

千代女はそれを受け止めた・・・・・・

彩女「流石は甲賀の望月千代女の名を継いだだけはある・・・」

望月千代女「はい・・・・先の千代女様には世話になりました・・・・一族が滅亡し放浪の身になった私を取りたててくれた・・・・・・」

彩女「あたいはこんな奴に勝てるのか・・・・・」

彩女は千代女と一旦距離を取り再び攻撃するも。
物凄いスピードで防ぎ、自身を攻撃してくる。
この時、彩女は分かったが避けるのは弱いが受け止めるのは得意な奴だと・・・・
先の千代女を継いだだけもあり、それ以上かもしれいない。

こんな奴に勝てるのかと・・・・・・・・

彩女「でもこいつ倒さないとあの二人は武田本隊に行かれてしまう・・・・それだけは・・・・・」

そんな事を言っていた彩女であるが
千代女を倒さないとあの二人に追いつけない。
力丸が負傷しなければ、なんとかなったが・・・・・

もし到達してしまえば武田本隊に入り込まれる・・・・・
そう呟くが・・・・・・・・・聞いた千代女はフッと笑いながら

望月千代女「私と先に行かせた者達だけが情報を持っているものか・・・・・三ツ者が別の報告を既に御館様に報告している。それに私達が持っている情報は偽りの可能性がある・・・・・・」

彩女「何・・・・・・・・」

望月千代女「あなたはいい忍びで面白みがありましたが・・・・・・・・・・・これも仕事です・・・・・死になさい・・・・」

ザシュッ

彩女に情報ルートの分散の事を聞く。
これは明らかに軍事機密をバラす事になるが・・・・
千代女はどのルートが正しい情報なのか言ってないし、ルートの本数も言ってない。

それに・・・・・・これを言ったのは確実に相手を冥土に行かせるためであった。

彩女「ぐっ・・・・・・・」

望月千代女「殺し損ねましたか・・・・・まぁこれで情報を奪うのも無理ですね・・・・私は武田本隊に合流しますので・・・・これにて・・・・・」

彩女「待て・・・・・・」

千代女は彩女を殺し損ねるが、無駄に体力と集中力を失うと判断したためである。
その温存した体力と集中力は武田本隊に向かうための物。
千代女はゆっくり巫女のような振る舞いをしその場を去る。

彩女は失いそうな意識の中、千代女に手を延ばして恨めしそうに見た・・・・・

彩女「ハッ・・・・・・・・」

彩女は目を覚める・・・・・・・・
見おぼえがある・・・・・岐阜城付近の甲賀屋敷・・・・・・・

伴長信「ようやく目覚めたか彩女・・・・」
甲賀忍者.伴長信(実在する人物)

彩女「おっさん・・・・・・」

伴長信「頭領に向かっておっさんはないだろ・・・・・・」

目覚めた彩女の前に現れたのは織田家甲賀忍びの頭伴長信であった。
楽天家で直接の上司にはため口を使う癖のある彩女は何か安心したかのように長信におっさんと言った・・・・・

その後

武田本隊は三方ヶ原の戦いにて徳川家と戦い大勝利を収める。
このまま京へ向けて進撃するかと思われたが。
武田信玄は途上で病死するのであった・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸で会おう・・・・

2018-01-22 22:51:47 | 短編小説(歴史含む)
            【天正3年(1575年)設楽原】
長篠の戦い・・・・
織田信長と徳川家康率いる連合軍と武田勝頼率いる武田軍が争った戦いである。
鉄砲の動員と、野戦築城.砦強襲と織田軍の戦略により武田軍は8時間の攻防の末敗走した。

武田勝頼「馬鹿な我が軍が・・・・・」
武田家当主武田四郎勝頼

陣中でどんどん数々の武将が死んでいった。
勝頼は焦りからか、動揺し軍配を落としてしまう。

「報告、穴山様.武田典厩様戦線離脱!!」

武田勝頼「わしを守る一門衆が・・・・」

この敗色が濃くなる情勢を受けて勝頼を守るはずの武田信豊と穴山信君は真っ先に逃亡する。

一方・・・・・・

徳川家康「今が好機!!武田勝頼を討ちとれ!!逃がすではないぞ!!」
徳川家当主徳川三河守家康

今まで武田家の脅威に晒されていた徳川家康は雪辱を晴らすべく軍を陣の前へ出した。
本多平八郎忠勝・本多重次・大久保忠世らの名だ高い将が馬に乗り突撃した。

「うがぁぁぁぁあ」

バタン

横手信俊「お館様の元に行きたければこの武川衆横手源七郎信俊を倒していけ!!」
武田家家臣武川衆.横手信俊(後に柳沢信俊)

武田家武川衆の若き武者横手信俊。
武田一族甲斐一条氏の一族で後に幕臣になり、柳沢姓を名乗り5代将軍徳川綱吉の側近甲府藩主柳沢吉保の祖父になる男であるが・・・・
今は28歳の若武者であり、武川衆と言う国境警備隊のような存在でしかなかった。

横手信俊「くっ織田と徳川め・・・数が多い・・・戦況はどうだ?お館様は無事か?」

「分かりません・・・・」

横手信俊「くそ・・・このままでは・・・・・・・・・・」

信俊はあまり有名な武将ではないが。
かなり腕前の人物で、これから続く戦いでは感状を貰うほどの勇将であった。
だけど、数は劣勢であり次々と武田家の家臣が命を落としていく!!

馬場信春「小僧!!無事か!!」
武田家重臣馬場美濃守信春

横手信俊「おぉぉ馬場様・・・・」

馬場信春「まったくお館様と同じ武田信義公の末裔が・・・しかしここまで奮戦するとは若いのにやるではないか!!」

横手信俊「ははありがとうございます。」

信春は若い信俊が何度も織田・徳川連合軍を撃退した事を喜んだ。
だが・・・・・・・数は劣勢どんどん追いつめられる一方・・・・
どんどん著名な家臣が死んでいく。

武田勝頼「わしは退かん、今更退けるか!!」

内藤昌豊「退いてください、お館様」
武田家重臣内藤大和守昌豊

勝頼は敗北を認める事が出来ず。
自身も討ってでることを言い、それを重臣内藤昌豊が諌める・・・
昌豊は困りながら止めるが勝頼は討ってでること

馬場信春「何の騒ぎか」

武田勝頼「おぉぉ信春、昌豊がわしが討ってでることを止めるだ!何か言ってくれ!!」

信春は崩壊しつつある陣地に戻る。
勝頼は信春になんとか言ってもらおうとするが・・・・・・

馬場信春「ほう・・・・・・所詮はその程度ですか・・・・お館様・・・・」

武田勝頼「何!!」

馬場信春「勇ましいだけが頼りでは永遠に信玄公には及びません、今のお館様は・・・勇猛果敢で満足するだけの凡将に過ぎん・・・・・・・」

信春が欲した言葉は勝頼を侮辱する言葉であった・・・

長坂光堅「無礼者!!お館様に何を・・・・」
武田勝頼側近長坂光堅

馬場信春「・・・・・・・・・・」

長坂光堅「なんとか言え!!馬場美濃守!!」

側近長坂光堅は文句言うが、信春は無視する・・・
このような事態になったのも・・・・・

いや責める道理などない・・・・・・・死ぬる覚悟を決めた・・・・
最期にやるべきことは・・・・・・

馬場信春「当主たる者は一つの戦場で死ぬ物ではない、どんなに恥をかこうともどんなに周りから笑われようが生きてさえいれば再起を決することができるのです。」

武田勝頼「何じゃと!!」

馬場信春「若き日の信玄公もそのように・・・・お館様・・・・・」

最期に主君としてどう動くかを伝える・・・・・
それが最期のご奉公だと・・・・・・
昌豊はその姿を見て同調する・・・・

勝頼は信春の信玄を受けて・・・・

武田勝頼「信春・昌豊、さらばじゃ!!」

長坂などの兵を少数の兵を率いてその場を後にする・・・・・

馬場信春「お館様は行ったか・・・・・大和守・・・行くか・・・」

内藤昌豊「美濃守・・・・無論だ・・・・」

馬場信春「さて徳川の味噌臭い連中と織田の弱兵共を潰して行こうか!!」

手勢と合流し、織田・徳川連合軍

横手信俊「何処へ行くのです・・・・」

信俊は信春たちの処へ向かおうとするが・・・・

武藤昌幸「待て・・・そっちに行くな・・・横手殿」
武藤昌幸・後の真田昌幸

横手信俊「武藤殿・・・・しかし・・・・」

武藤昌幸「お主も武士だろ!戦いで華々しく死ぬのもいいが・・・・主君を守るのも武士として立派な務めだ!いいな!!」

横手信俊「くっ・・・・・・」

後に真田昌幸に止められ、勝頼と共に戦線を離脱。
その後、武田家滅亡後も生き残り上記のように幕臣になる。

柴田康忠「なぜだ!なぜ突破できん!」
徳川家家臣柴田康忠

「報告、武田重臣.馬場美濃守と内藤大和守隊が武田勝頼の殿として我が隊の進路を妨害しております!」

柴田康忠「なんじゃと!!」

徳川家家臣柴田隊は信春と昌豊の奮戦に苦戦する。
このままでは勝頼に逃げられる。
康忠だけではない、徳川家の家臣一同その気持ちであった・・・

柴田康忠「うぬ・・・・」

成瀬正一「わしは武田に一時仕えていたので分かるが・・・・強敵だ・・・・」

柴田康忠「ぐう・・・・これでは勝頼を討ちとれん・・・」

苦戦する徳川軍・・・・そんな時、一人の男が声をあげる・・・・

朝比奈泰勝「わしが行きましょう。」

柴田康忠「主は・・・・今川の・・・・・・・できるのか・・・・・」

朝比奈泰勝「やれるとは行きませんが、私も武士の一人・・・行きます。」

柴田康忠「無茶だ・・・・武田の名将だぞ・・・・・」

朝比奈泰勝「勝つ前提で行くのではありません、私が一人を足止めし残りの一人を・・・・」

柴田康忠「ぬう・・・・」

陣中見舞いの使者で徳川軍の陣を訪れていた朝比奈泰勝。
今川義元から仕え、今川氏真に側近として仕えている男である。
戦闘中なので甲冑を着て流れで追撃軍にいた。
康忠ら追撃軍の将は驚くが、泰勝は気にしない。

そしてしばらく話をした後泰勝は少数の兵を引き連れ、突撃する。

内藤昌豊「あれは朝比奈・・・・今川までいるのか・・・・」

泰勝の朝比奈の家紋を見た昌豊は今川までいるのかと言う。
既になんでもありか・・・・・

昌豊と泰勝がお互い合わさると・・・

内藤昌豊「主は誰だ!!」

朝比奈泰勝「わしは今川が家臣朝比奈弥太郎泰勝・・・・内藤大和守だな・・・・」

内藤昌豊「ほう・・・腰ぬけの今川に威勢のいい奴がいるな・・・・」

朝比奈泰勝「・・・・っき・・・・・・・あの時の雪辱を晴らす・・・・」

内藤昌豊「来るか!貴様を討ちとり・・・・見事に死んでやろうぞ!!」

二人は槍をもって、ぶつかる・・・・・・・
どちらが勝つか負けるか・・・・・死のゲームを・・・・
激しい戦闘が続く、疲労で内藤昌豊の戦闘力が低下する。

ブシュ

内藤昌豊「な・・・・・・・・・・・」

朝比奈泰勝「ぐぎぃぃ・・・・内藤昌豊・・・・」

槍を捨て武装を変更した泰勝の刀が昌豊の腹を突き刺す。
昌豊は口から血を吐くが表情は苦しい物ではなく笑顔であつた・・・・・・・・

内藤昌豊「若いのに・・・・・やるな・・・・・・」

朝比奈泰勝「・・・・・・」

内藤昌豊「・・・・今川の小僧の家臣には・・・・・もったい・・・・・」

バタン

内藤昌豊・・・朝比奈泰勝に討ちとられ死す・・・・・・
泰勝は下馬、昌豊の首を切り落とし陣地へ戻る。
その後ろからは後続部隊が続き武田軍を攻撃する・・・

馬場信春「内藤・・・・」

グッ

馬場信春「ぐっ・・・・・」

「やったぞ・・・・」

ザシュ・・・バタン

馬場信春「しん・・・げんこ・・・今・・・・」

バタン

馬場美濃守信春・・・・死す・・・・
信春の抵抗を持って武田軍殿部隊は壊滅するが、勝頼は無事に信濃国に逃れ。
高坂昌信と合流し、甲斐へ帰還した。

徳川家康「おぉぉお主が朝比奈泰勝か・・・・」

朝比奈泰勝「はい。」

徳川家康「内藤大和守を討ち取る・・・・・大義である。」

家康は昌豊を討ちとった泰勝を気に入り引き抜きを行う。
結果、認められ泰勝は徳川家の家臣になり。
最後は、徳川家康の子であり初代紀州藩主徳川頼宣の家臣として生涯を終えるのである。

長篠の戦いは連合軍の勝利に終わった・・・・・・・・

織田信長「勝頼を許さぬ!!朝敵にし徹底的に根絶やしにせよ!!」

だが・・・・・・・・これは悲劇の序章に過ぎない・・・・・
織田信長による武田殲滅戦の導火線につけられた火がどんどん火薬庫へ向かってゆく・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武田信清伝、武田は宿敵の地で生きる。

2018-01-08 23:10:55 | 短編小説(歴史含む)
注意
この物語は史実を元にしたフィクションである。
詳しい詳細はウィキの武田信清.武田茂.米沢武田氏と検索をお願いします。

               【1582年高野山】
武田信玄の末の子、安田信清は妻と家臣と共に高野山にいた。
何処かの小さな小屋に座り込み、信清は手紙をぐしゃと潰しながら泣いていた。

安田信清「兄上・・・・・兄上・・・・・・」

それは武田勝頼・信勝、葛山信貞.仁科盛信.海野信親の死・・・・・
武田家が織田信長により滅亡した話であった。
運よく高野山にいた信清は、織田家からの残党狩りを逃れた。

しばらしくて、明智光秀により織田信長は本能寺に倒れる。
混乱の隙をついて家族と共に姉である菊姫が嫁いだ上杉家に向かった。

安田信清「兄上は・・・当時僧であった私に還俗して自分を支えてくれと言ったなのに・・・・自分はこうして生きる恥を晒して・・・・・」

越後の地に向かいながらかつての自分の事を思い出す・・・・
信清は父信玄の命令で出家しして巨摩郡加賀美の法善寺に入り、玄竜と号した。
しばらく僧として過ごしていたが、父の死後武田家を継いでいた兄から・・・

武田勝頼「どうか戻って俺を支えてくれないか?頼りになる人間が必要だ!!」

還俗するように言われ・・・・
僧を止めた甲斐源氏の旧族である安田氏の名跡を継承し安田三郎信清と名乗り、海野城主になった。

自分を必要としてくれた兄勝頼の死・・・・
信清は胸が痛くなった。

                   【越後国】
信清一行は無事に越後国に入った。
まず最初にする事は・・・・・・

菊姫「お久しぶりですね、三郎・・・・私が景勝殿に嫁ぐ前でしたね。」

安田信清「はい・・・・あの頃は兄上達もいました。」

菊姫「松や真理姉さまらは生きていますが、甥の信道殿らの一部の一門は残党狩りを逃れ各地に潜伏しているようです。」

安田信清「そうですか・・・・それを聞いて安心しました。」

姉菊姫に会う事である。
菊姫は上杉景勝に嫁いでおり、その縁もあってか信清は自分の逃げ道を確保していた。
ただ・・・・・・・・・

菊姫「これから私の世話になるのですが、景勝殿に仕えますか?」

安田信清「そうですが・・・・・・・それが・・・・」

菊姫「景勝殿の義父は上杉謙信殿、父上の宿敵です。」

菊姫はかつての宿敵である上杉家に仕えて本当にいいのかと・・・・・
武田残党が上杉に仕えているが、風当たりがいいものではない。
そんな状況下で菊姫は弟を心配する・・・・

安田信清「姉上心配しないでください、自分は甲斐の虎信玄が子・・・・・かつての宿敵に世話になるのは恥ですが・・・・・私は少しでも武田の血を絶やさんがため・・・・殿・・・・いや義兄上にお仕えもうします。」

菊姫「・・・・・強くなりましたね、それでこそ信玄が子です。しっかり殿のため働きなさい!!」

安田信清「かしこまりました。」

強い意思を持ってかつての宿敵、上杉に仕える。
信清は死んで逝った兄達の思いを背負い、武田の血を残すため生きる事を決意した。
そして・・・・

上杉景勝「そなたが・・・・信清か・・・・・」

安田信清「ハッ・・・・安田三郎信清でございます。」

上杉景勝「まさかな・・・・義父上の宿敵の子を家臣にするとはな・・・・」

上杉家当主上杉景勝に拝謁した。
初めて会う宿敵の息子・・・・・・緊張する・・・・
信清は緊張した・・・・・

上杉景勝「ははははははは、気にいった目つきがいい・・・」

安田信清「目つき・・・・・・・」

上杉景勝「よし信清、武田に復し上杉家一門・高家衆筆頭としてわしを支えよ!3000石の領地を与える。」

安田信清「ははぁぁ」

何がなんだか分からず景勝のペースに流され、一門高家衆筆頭に任される。
信清はジト目になりながら、引き受ける。

その後、家族が生まれ84歳と言う長寿を持って没した。
上杉家に事情もあり3000石から500石に減らされてしまうが・・・・

                 【第2次世界大戦末期.某所】
信清の末裔である武田茂は日本軍兵士として戦場にいた。
先祖代々の刀を軍刀として連合国軍と戦った。

だが

戦況が悪化もあり、次第に追い詰められていた。
茂が戦っていた戦場ももう終わりの時を向かえようとしていた・・・・

武田茂「ここまでか・・・・・降伏するしかないな。」

「あぁ食糧もない・・・・・指揮官もいない今継戦する事はできないぞ・・・・」

武田茂「そうだな・・・・・・」

降伏・・・・・
当時は捕虜としての恥ずかしめを受ける事を恥とし降伏しないケースがあった。
この時、継戦する能力もなく自決する事ができなかったそれが故の降伏であった。

武田茂「皆、先行ってくれ・・・・俺はある事をしてから合流する・・・・」

「ある事って・・・・」

武田茂「なぁに自決はしないよ・・・・・大丈夫だ・・・・」

茂は軍刀を持って仲間と分かれた。

武田茂「恥だが降伏するのが、今の俺だ・・・・・・・・・だが・・・・武田の魂はアメ公に渡して溜まるか・・・・・・・・・・・武田の魂よ・・・・・ここに眠れ・・・・」

仲間と分かれた茂は先祖代々の刀を改造した軍刀を力を限界までに使い埋めた。
埋め終わると・・・・・

バッ

「降伏しろ!もう既に君達の指揮官は自決している。」

茂は連合国軍に投降した。
日本人としての恥を受けるが、武田の誇りは連合国に汚さん・・・・・
それが茂の今の心境である。

そして日本は敗戦に終わり茂は帰国した。

そして終戦から8年後、1953年2月13日に茂により信清の墓所は米沢市文化財に認定された。
今も
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この恨みを晴らすべし!薩奸討つべし!

2018-01-05 10:24:43 | 短編小説(歴史含む)
西郷隆盛が密偵による視察(刺殺)事件と鹿児島の武器弾薬輸送事件が原因で、政府に不満を持っていた不平士族が決起した。
当初は1万人の兵であったが、どんどん合流し3万者の兵力が集まった。

これに対し有栖川宮熾仁親王を鹿児島県逆徒征討総督、山縣有朋陸軍中将と川村純義海軍中将をそれぞれの実質の総司令官に任命。
帝国陸海軍による討伐軍が九州へ向けて出撃した。

           【西暦1877年2月20日 熊本城】

攻撃目標は熊本城・・・そこを突破しどんどん不平士族集め帝都東京へ進軍した。
熊本城には熊本城があり谷干城率いる部隊が駐屯していた。
別府晋介率いる加治木の諸隊が川尻に到着するが・・・事件は起こった。

ズダーン

「銃声だ!」

「政府め!撃ったな!撃ち返せ!」

鎮台兵の一発の銃声でお互いに高まっていた緊張が弾け、両軍は暴走する。
これにより西南の役が本格的に武力衝突に発展する。

「報告、薩軍が攻撃を仕掛けました。」

谷干城「なにぃ・・・薩摩の芋侍が攻めてきた・・・・援軍が来るまで持ち堪えろ!」
大日本帝国陸軍.熊本鎮台司令官.谷干城.少将

「ハッ」

報告を受けた谷司令は配下の兵に徹底抗戦を指示した、援軍を待つためである。
なんせ薩軍には1万4000名の兵がおり、対して鎮台兵は4000人しかいない。
更に言えば、精強と謳われる薩摩隼人の猛者ばかりである。

この時、谷以外にも参謀長に後に海軍大臣になる樺山資紀中佐.陸軍大臣になる児玉源太郎少佐.参謀総長になる川上操六少佐.奥保鞏少佐ら大物軍人になる人物が大勢いた。

だけど、まだこの時は一般佐官・・・・・
戦線に戦う軍人の一人である。

日露戦争で東郷平八郎と並んで活躍する事に乃木希典少佐率いる歩兵第14連隊などの政府軍が到着する。

「ぎゃぁぁぁぁ」

「がぁぁぁぁ」

岩切正九郎「よし軍旗を取ったぞ!」

だが、第14連隊は軍旗を奪われる当時の軍では不名誉な事が起きる。
明治天皇が御隠れ(崩御)になった際に殉死したのはこの時の出来事を含めてと言われている。

その後も熊本城への攻撃と援軍として派遣された政府軍との戦いは膠着状態になる。
政府軍は立派な小銃と大砲を大量に保留していたが。

「チェスト!!」

「うわぁぁぁぁぁぁ」

ズダーン ズダーン ズダーン

示現流と言う剣術を駆使した薩摩隼人の猛者と農民・町民を加えた陸軍兵士は苦戦必至であった。
困った政府軍は・・・・・・

この時抜刀隊の主力は薩摩藩士だが、パワーを引き上げたのが・・・・・

藤田五郎「・・・何を持ってきたのですか?」
警視隊.警部補.藤田五郎/元新撰組.斎藤一

「戊辰の戦で死んだ3000名余の名が入った腹巻だよ。この前死んだ佐川さんも含め・・・・・」

藤田五郎「3000名余!?そんなに・・・・・・・」

「あぁその数ほど俺達の恨みがあるんだ・・・・あの薩摩の芋侍共め・・・・10年の恨みをここで・・・・」

会津藩
新撰組を組織し朝廷と幕府に忠誠を誓い、懸命に治安維持に活動し。
保科正之を祖とする会津松平家、幕末時は松平容保が治めていた藩である。
だが、戊辰戦争の時.朝廷内部の権力を握った薩摩・長州らにより朝敵にされ。
激しい戦闘の末、城下まで迫られ・・・・・
婦女子は自害し、白虎隊の壮絶な最期など処分後に不毛の地に送られるなど会津藩士達の薩長への恨みが高まっていた。

西南の役が起こると元会津藩士達は喜び。
中でも当時陸軍幼年学校生徒であり後に軍人として活躍する会津出身の柴五郎少年は・・・・

芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし

と喜び・・・
別の話だが、大久保利通が暗殺されると・・・・

両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり

と言う程であり。
陸軍軍人で会津藩家老として戊辰戦争を戦った山川浩陸軍中佐は・・・

薩摩人 みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか

と歌っている。
この抜刀隊の会津藩だけではなく・・・・・

服部正義「戊辰戦争において桑名藩に朝敵の汚名を着せた西郷隆盛に恨みを晴らし、桑名藩再興を赦した明治政府の恩義に報いるには今しかない。」
元桑名藩家老.服部正義

かつて幕府側に立ち、朝敵と罵られた幕府の武士達は政府軍に参加した。
戊辰戦争の恨み・・・・・・・晴らすのは好機と・・・・・・・

              【3月14日 田原坂攻略】
西南の役最大の攻防に抜刀隊が投入される。
会津藩士で編成されているが、薩摩などの別の藩の武士がいる・・・
だけど、それでも会津藩が目立ち・・・・・

「貴様は!!」

内村直義「元会津藩藩士.内村直義、この恨みを晴らす!!」
抜刀隊.会津藩士.内村直義

薩摩への恨みからか攻撃は激しい。
会津藩武士内村直義もその一人である。

ザシュ ザシュ

「かっ・・・・」

内村直義「ざまぁ・・・・・み・・・・ろ・・・・さ・・・・つ・・・か・・・ん・・・・め・・・・へへへ・・・・・・・」

バタッ

田村五郎「内村・・・・・・・・・ぎあぁぁぁぁぁぁぁぁ薩奸めがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
抜刀隊.会津藩士.田村五郎

だけど、かなりの戦死者が出てしまう。
この時、多くの会津藩系の武士が命を落としている。
元白虎隊などのあの頃若き少年だった彼らも・・・・・・・・

その犠牲もあり、薩摩軍はどんどん追い詰められていき。
鹿児島県の白山にて西郷隆盛は自害した・・・・・

山川浩「終わったか・・・・・・」
大日本帝国陸軍中佐.元会津藩家老.山川浩

両軍10万人投入、政府軍側6400人.薩摩軍側6800人戦死と言う犠牲を出した日本最後の内戦である西南の役が終わる。
古代より続き日本における戦争の9割程の内戦がようやく終わるが・・・・

鹿児島への恨みは薄れた会津・・・・だが、何もできなかった長州には恨みがあり。
今も会津と山口は大きな溝がある程、根強い恨みが横へ横へと広がっていくのである・・・・

以後、日本は海外と己自身に禍根と傷を生み今でも大きな問題を抱えてしまう程の過酷な戦争に進んで行くのであった・・・・・・・・・

今だから批難できるが・・・・・・当時は・・・・分からない・・・・・・・
一体当時の人はどう思ったのだろうか・・・・

もっと別の道はあったのだろうか・・・・・・・・・



それを知るのは当時の当事者しか知らない・・・・・・
現代の我々は単なる視聴者か読者に過ぎないのだから・・・・


なお抜刀隊は功績を称えられ、軍歌が造られた。


吾は官軍我が敵は
天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は
古今無双の英雄で
これに従うつわものは
共に慄悍(ひょうかん)決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも
天の許さぬ反逆を
起こせし者は昔より
栄えしためし有らざるぞ

敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


皇国(みくに)の風(ふう)ともののふは
その身を護る魂の
維新このかた廃れたる
日本刀(やまとがたな)の今更に
また世に出ずる身のほまれ
敵も味方も諸共に
刃(やいば)の下に死ぬべきぞ
大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ
人に後(おく)れて恥かくな

敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


前を望めば剣なり
右も左もみな剣
剣の山に登らんは
未来のことと聞きつるに
この世において目(ま)のあたり
剣の山に登らんは
我が身のなせる罪業(ざいごう)を
滅ぼすために非(あら)ずして
賊を征伐するがため
剣の山もなんのその

敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


剣の光ひらめくは
雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打ち出す砲声は
天にとどろく雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や
弾に砕けて玉の緒の
絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の
屍(かばね)は積みて山をなし
その血は流れて川をなす
死地に入るのも君のため

敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


弾丸雨飛(うひ)の間にも
二つなき身を惜しまずに
進む我が身は野嵐に
吹かれて消ゆる白露の
果敢(はか)なき最期を遂ぐるとも
忠義のために死する身の
死して甲斐あるものなれば
死ぬるも更にうらみなし
われと思わん人たちは
一歩もあとへ引くなかれ
敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


吾今ここに死なん身は
国のためなり君のため
捨つべきものは命なり
たとえ屍は朽ちるとも
忠義のために死する身の
名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん
武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな
卑怯者とな謗(そし)られそ

敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし


天地容れざる朝敵・・・・・敵の大将たる者は古今無双の英雄で
・・・・・・・・・・何たる皮肉なのだろうか・・・・
過去は英雄扱いされた人間も・・・・・・・・時代によっては憎き敵になる・・・・

それが歴史なのであろうか・・・・・・・・・・

だが、それがどのような意味をするかは・・・・・世界中の何処を探しても・・・・・それは誰も知らない・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝頼の血を受け継ぐ者

2017-12-30 20:56:38 | 短編小説(歴史含む)
武田家は織田信長により甲州征伐によりどんどん追い詰められていった。
木曽義昌や穴山信君らが造反・・・・仁科盛信らの戦死・・・・

武田家を支えた武将がどんどん死んで行った。

武田勝頼「別行動じゃと・・・・」

松姫「はい・・・私たちは別行動を取ります。後で、合流しましょう。」

武田勝頼「そうだな・・・後で会おう。」

武田信玄の娘松姫は勝頼と別れ盛信の娘である小督姫や勝頼の娘貞ら3人の姫を連れて相模へ落ちのびようとしていた。
このままなんとか逃げられる・・・松姫はそう思った。

武蔵八王子まで落ちびる途中相武国境にて休息を取っていた時・・・・・

「殿が・・・・小山田越前守様が造反・・・・天目山田野にて・・・一族と共に御自害・・・・」

松姫「えっ・・・・・」

兄勝頼の死を知る・・・・・
松姫は・・・・涙を流し勝頼の死を悲しむ・・・・・・・
小督姫の後ろに隠れる一人の幼子が泣き崩れる松姫を見る・・・・

彼女こそが武田勝頼の娘・・・・・貞である・・・・
北条氏康の娘との間に生まれた・・・・勝頼の忘れ形見である・・・・・

                   【1600年代初頭】
関ヶ原の戦いで石田三成・毛利輝元ら西軍に勝利した徳川家康は関白に九条兼孝を入れ、秋田へ移った佐竹義宣の代わりに五男武田信吉を入れる工作を行い。
時の天皇.後陽成天皇から征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命され江戸幕府を設立する。

その時に一人の夫婦が誕生しようとしていた。

宮原義久「兄上(義照)が亡くなって私が宮原の家を継いで、上様の命令である方の娘御を正室を迎え入れる事になったが・・・・・・どんな方なのだろうか。気になるな~」

徳川家家臣宮原義久。
古河足利家の血筋であり、設立したばかりの江戸幕府において高家と言われる家柄の一族宮原家の当主である。

 
◆宮原家系図
足利高基ー上杉憲寛ー義勝ー宮原義照=宮原義久(義勝次男)


兄義照が子なく亡くなられ、家を継ぐ事になったが・・・・
ある家から娘を正室に迎え入れる事になる・・・・

「殿・・・・来ましたぞ!」

宮原義久「来た?まさか・・・・」

「正室になられまする、貞姫様でございます。」

義久の屋敷に正室になる貞姫と呼ばれる女性が来た。
一体どんな方なのか、義久は気になって貞姫に会いに行く。
きつい性格か・・・大人しい性格なのか・・・・義久は気になってしょうがなかった。

貞姫「貞でございます。」

宮原義久「わしが宮原勘五郎義久だ、よく来たな。会いたかったぞ!」

貞姫「会いたかっ・・・・・・・・・」

宮原義久「さぁさぁここではなんだから話そう。」

貞姫の姿を見た義久は喜び、客間に案内する。
それからいろいろと話すると段々と仲良くなった。

宮原義久「父上は武田勝頼殿か・・・・・」

貞姫「はい、母は北条家の娘でした。私は伯母上に連れられ生き延びる事ができましたが・・・・父上と母上.兄上はなくなり・・・・生き残った家族は僧になった勝親のみでございます。」

宮原義久「そうか・・・・苦労したんだな。」

話の中で出た貞姫の出自。
貞姫の出自は甲斐武田家の一族で、父は実質的に最後の当主武田勝頼である。
新府城から父と母と共に脱したが、松姫と勝頼が別行動を取り貞は松姫に従う。

その結果、父は小山田信茂に裏切られ母や伯父葛山信貞などの一族などと共に自害する事になる。

宮原義久「辛くはないのか?」

貞姫「御冗談を・・・・既に20年あまり昔の事・・・・あの頃は子供で泣きましたが・・・・今は子供ではありません・・・いつまでも悲しんでいたら自害した父上と母上や兄上が悲しみますだから私は強くありたい・・・だからあなた様に最後までついていきたいです。」

貞姫は武田家滅亡と言う悲劇を経験し内気な性格かと思われたが・・・・
大人になった貞は父や母や兄が思うように生きられなかった無念を感じとっており。
その分、強く強く生きていこうと誓った。

宮原義久「そうか・・・・・・そなたの覚悟・・・・見事・・・・それでこそ私の妻になる女・・・・これから頼むぞ!」

貞姫「はい」

貞姫の覚悟を聞いた義久はこれから共に人生を迎える事を楽しみになった。
流石は甲斐源氏嫡流で戦国最強武田家の女と・・・・・・・・・・

それから間もなく義久と貞姫は結婚する事になる。
結婚して間もなくの事。

義久は時の将軍徳川家康に来るように言われ出頭する。

徳川家康「義久よ、お主を呼んだのは他でもない。貞姫との子だが・・・・・嫡子が産まれたら宮原姓を庶子が生まれたら穴山を名乗ってくれまいか?」

宮原義久「嫡子が宮原で庶子が生まれたら穴山でございますか?」

徳川家康「うむ。」

嫡子は宮原姓・・・・庶子は穴山・・・・
こう名乗るように家康に言われる。
一体何故そのように言われているのかは、良く分からない。

ただ当時武田家の生き残りで大物であった武田信道・武田信正父子や武田義清など大勢の武田一族が残っている・・・・・・・・

果たして真相はいかに・・・・・・・・・

宮原義久「上様にこのように言われたか・・・確かに貞と子を儲けねばな・・・・・」

家康に上記の事を言われた義久、なんとか子供が生まれればいいと思った・・・・・
それから数年後・・・・

貞姫「お前様・・・・産まれましたよ・・・・嫡男が・・・・」

宮原義久「おぉぉ生まれたか!!でかしたぞ貞!」

1606年、義久と貞の間に子が生まれる。
宮原右京進晴克、義久と貞との間に生まれた嫡男である。
亡くなるまで彼しかいなかったが、その後も貞を通じて勝頼の血を後世に伝える事になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本史の中で一番頼りになる奥さん

2017-11-28 13:09:15 | 短編小説(歴史含む)
時は戦国。
各地の戦国大名が覇権を争い、家臣が主君を倒して代わりに大名になり覇権争い・・・
時には一族同士で争う時代の北条領武蔵国日尾城。
ここに諏訪部定勝と言う武将がいました。

桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、甲斐国大名武田信玄が跡を継いだ今川氏真を攻めた。
氏真に北条氏康の娘である早川殿を正室として嫁がせていた北条家は武田家と交戦状態になる。
その最前線基地となっていたのが定勝が城主として守っている日尾城であった。
常に武田軍と睨めっこと小規模戦を繰り返している日尾城・・・・

定勝自身も氏邦指揮下の秩父衆の重鎮であり武田信玄が小田原侵攻の際は野伏りするなど苦しめるほどの名将であった。
定勝には遠山直景の娘と結婚していた、頼りになる良き妻である。

そんな武田軍と抗争中・・・・1568年のある日・・・・・

「諏訪部殿、よく飲みますな。」

諏訪部定勝「なんのなんのこれからよ。」

「おぉいい飲みっぷり」

日尾城の定勝に客人が来た。
定勝は宴を開き酒を出すなどの歓迎し酒を飲みあう。
だいたい酒を飲んでいるのは定勝である。

なんたって定勝は一晩に3升も飲み干す程の大酒飲みである。
だが、それが定勝の弱点である。
張飛や伝説上の人物ヤマタノオロチや酒顛童子のように失敗するタイプの人間で。
毛利元就の父と兄が酒で飲み過ぎで亡くなり、上杉謙信は酒が原因で死去・・・大坂の陣では本多忠朝が酒が原因で敗退し自身も戦死する事例が数多くある・・・

その結果・・・・・・・・・・定勝は失敗する結果となってしまい一生後悔するミスをする・・・

妙喜尼「お前様飲み過ぎですよ。」

諏訪部定勝「いいではないか、このくらいウック。」

妙喜尼「いつ武田が攻めてくるのか分からないのですよ、いざって時はどうするのです?って・・・ちょっとお前様・・・もう・・・・」

定勝の妻(妙喜尼に統一)は客が帰ってもなお飲んでばかりいる定勝を心配するが、そのまま酔いつぶれて寝てしまう。
頭を抱えながらもし武田軍が今攻めてきたら落城してしまうと・・・・嘆いた。
まぁ考えすぎだろうと、妙喜尼は思うが・・・・・・・その翌日・・・・

「殿一大事でございます。」

妙喜尼「何があった?」

「奥方様・・・・実は・・・・・武田軍が・・・・攻めてきました!!」

妙喜尼「えぇぇ!!」

武田軍の家臣で24将に数えられる山県昌景の軍勢が定勝が守る日尾城に攻めてきた。
すぐさま定勝に報告し、軍をまとめ出陣し迎え撃つか籠城して戦うかに普通はなるのだが・・・・
当人は・・・・・

諏訪部定勝「ぐわぁぁぁぁおぐわぁぁぁお・・・」

妙喜尼「こんな一大事でも呑気に寝て・・・・」

「殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

泥酔状態で寝込んでいた。
仮に起きても二日酔いで軍を指揮できるはずもなく、事実上日尾城は指揮官なしとなってしまった。
一応家臣を集めるが・・・・・

「殿が寝込んでいるだと?」

「こんな一大事なのに頼りない。」

寝込んでいるので、軍議も進まない・・・・
家臣たちは定勝の情けない様子に呆れる・・・・
むしろ・・・・このままでどうやって戦えばいいと・・・・
家臣たちは不安がるが・・・・・

「なっ・・・・」

「お.奥方様・・!!」

そんな中、軍議中に妙喜尼がとんでもない姿で現れる。

妙喜尼「皆何をそんなに驚いている。」

「その恰好は甲冑じゃないですか。」

「まさか・・・・」

「私が情けない夫に代わり出陣するのじゃ、何か?」

「何かって・・・・」

とんでもない姿とは甲冑姿である。
妙喜尼曰く自ら出陣して山県昌景を迎え討つと・・・・
家臣は驚愕しながら甲冑姿の妙喜尼を見る。

山県昌景「各隊どうなっている?」

「ハッいつでも日尾城を攻め落とす準備はできています。」

山県昌景「そうか・・・今までは小競り合い程度だったが・・・今は本気だ!」

昌景は今度こそ攻め落とす気でいた・・・
あの女が出てくるまでは・・・

妙喜尼「誰か・・・具足をもてッ、後貝を吹け・・、出陣前に湯づけじゃー!」

「はい」

妙喜尼は同様に武装した侍女達に具足を持たせ、ほら貝を吹かし湯漬けをもって来させる。
こうしているうちに部隊の編制が完了する。
そして・・・・

妙喜尼「出陣じゃ!!!」

と叫んで山県軍に向かって出陣してゆく。

山県昌景「強すぎる・・・・・なんでこれほどまで強い・・・・」

「報告、敵将は定勝ではなく・・女だそうです!」

山県昌景「女じゃと!!」

戦国最強の武田軍の武将山県昌景は予想外の日尾城兵の強さに驚き。
さらに敵将が女だと知るとさらに驚く・・・
こうして苦戦していくうちにこれ以上の損害は危険だと判断し撤退する・・・・・

妙喜尼の活躍で武田軍を追い返すが・・・・・・・・

北条氏邦「飲んだくれて出陣できず、妻が出陣・・・定勝お前は何をしていた!!」

諏訪部定勝「申し訳ございません。」

北条氏邦「今後一生酒を飲むな!!お前はいい武将だが、酒でダメにする。いいな!」

諏訪部定勝「ははぁ」

この一件が原因で主である北条氏邦は激怒。
今後酒を飲まないことを誓わされることになる。

まさかこんなことになるとは・・・・定勝はものすごく後悔した。
大好きな酒が飲めない・・・・・・・・・定勝は・・・とぼとぼと日尾城へ帰ってゆく・・・・・

その後、北条家の武将として活躍する定勝。
1588年に没することになり、妙喜尼はその菩提を弔うのであった。

酒で失敗・・・・・・・・・・歴史ではよくあることである。
読者の皆様も酒を飲み過ぎて一生後悔するような真似は絶対にしないでください・・・・

後・・・・・・・・・女を怒らせないように・・・・
女は武器を持たせるととんでもなく強いですから(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1次国府台の戦い 小弓公方の終焉と戦後の流れ

2017-11-20 13:17:12 | 短編小説(歴史含む)
北条氏綱率いる北条軍2万名の将兵は江戸川を渡る。
弟.長綱と嫡男氏康らの将や将兵らは緊張感の余り表情が険しい。
勝ち目は見えるが、死の恐怖は完全に払拭できない。
だけど、退路はない・・・・逃げれば末代までの恥・・・・・必ず勝つ・・・

北条軍の兵士は意を決し進む。

                          【下総.相模台】
下総.相模台・・・・・現在の千葉県松戸市。
北条家の上陸に備え椎津以下の小弓公方側の将が布陣していた。
ここはかつて相模台城があり、防御面に優れており陣としても最適である。
北条軍が江戸川を渡河する様子を物見を利用し監視していた。
椎津はいつでも迎撃できるように控えていた。

一方の里見の陣では・・・・

「報告、北条軍現在渡河中。兵力は2万でございます。」

里見義堯「公方様の軍は攻撃したか?」

「殿の予測通り、動きはありません。」

里見義堯「そうか、ご苦労。」

激戦区になるであろう相模台から離れた市川に布陣し情報収集を開始した。
やはり、公方は渡河中の北条軍を攻撃しない。
分かっていた事だが、苛立つ・・・・こんな戦知らずで己の武勇を過信する甘い考えの持ち主である義明と行動を共にしなくて正解だった。
義堯は我ながら自らの選択を称賛した。

遠山綱景「松戸台に陣を張れます。」

北条氏綱「うむ、分かった。」

北条軍2万の兵は松戸台に布陣する。
この松戸台もかつては城であり、防御に適している。
背後には江戸川、逃げるのも難しいまさに背水の陣である。

椎津隼人「想定はしていたが、公方様に使いを・・・・敵は・・・・松戸台に上陸と・・・・」

配下の報告に、椎津は義明に使いを出し。
松戸台に上陸、全軍攻撃を進言するようにと要請した。

しかし

足利義明「椎津に伝えておけ、わしは国府台に敵が来るのを待つ。」

「それは・・・・」

足利義明「いいから伝えておけ!」

「ハッ」

義明は兵は動かさなかった、これを聞いた椎津は落胆するが。
このまま逃げるわけにはいかないので北条軍の前方部隊に矢を射かける。

「美作守様、前方相模台より攻撃!我が軍劣勢。」

笠原綱信「落ち着け!士気と数はこちらが上、焦ったら相手の思うつぼだ!」

「ハッ」

前方部隊が攻撃されると北条軍も応戦を開始。
苦戦を強いられながらも一進一退を繰り返すようになる。
北条軍前方部隊は一気に戦況を有利に進めるべく・・・・

「御所様の 小弓の弱くなりぬれば 引きてみよかし 力なくとも」

と言葉攻撃を実施し、相手を挑発しだす。
挑発し前へ引き出せば、こちらが有利になると・・・
だけどこうもいかない。

「あずさ弓 互いに引くも引かれぬば 運の極みは 天にあるべし」

と言う歌が小弓軍から歌われ、何度も繰り返すが結果は同じであった。

北条氏綱「まだ決着はつかぬのか?」

遠山綱景「ハッ敵側は守りが堅い陣地にて戦っており、我が軍の被害が甚大です。」

北条氏綱「ぬぅ」

一進一退の攻防に痺れを切らした氏綱はいらだっていた。
一気に攻めても戦力の損失が増加するだけであり用意に攻められない。
義明亡き後の空白地域の占領ができなくなる・・・・氏綱は次第に焦り始める。

北条長綱「兄上、それがしが国府台の反対側を攻めて本陣を強襲します。」

北条氏綱「やってくれるのか?」

北条長綱「無論です。」

北条長綱は国府台の反対側から本陣強襲を進言し、氏綱に採用される。
さっそく部隊を率いて反対側から周り本陣を襲う。
まさかここに攻めてくるとは思ってなかった小弓軍は混乱し嫡男足利義純と弟足利基頼は討ち死にする。

足利義明「おのれ北条氏綱め!わし自ら討ち果たさん。」

義明は弟と嫡男の戦死に激怒し突撃を開始する。

足利義明「どけどけ!」

安藤備前「うわぁぁぁぁぁぁぁ」

                                  ザシュ

安藤備前「ぐぎゃぁぁぁぁ」

足利義明「討ち取ったぞ・・・・・どうじゃ・・・これがわしの力じゃ!氏綱よ恐れ入ったか!うわはははははは」

義明は孤軍奮闘の中、北条家武将安藤備前を討ち取った。
返り血で染まった義明は意気揚揚笑った。
なんせ20人を斬り殺している・・・・
それを見る影が・・・・・・・・・・

横井神助「あれが小弓公方足利義明か・・・孤立して討ち取るのが今だな・・・・」

士気を高め孤軍奮闘をしている足利義明を見る武者。
鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の末裔で、弓の名手の横井神助。
後北条氏の家臣は鎌倉執権北条氏の末裔が多い事で知られている。
神助は弓を構え、義明に矢を放つ・・・・

「報告、小弓公方足利義明が三崎城代横井神助殿により討ち取りました。」

北条氏綱「そうか、よくやったぞ!後で褒美を取らせよう。」

「ハッ」

足利義明は横井の三人張十三束の強弓で額に三寸(9cm)ぐらい貫通し討ち死にした。
これを知った小弓公方軍は一気に瓦解敗走を開始する。
勢いに乗った北条軍は追撃しつつ後方にいる里見義堯の陣に迫る。

正木時茂「殿、もはやこれまでですな。」

里見義堯「あぁ全軍撤退、安房まで逃げるぞ!逃げて、直ぐに戦力を再編し義明の領土を奪うぞ!」

『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!』

里見軍は殆ど被害を受ける事なく、領地である安房まで撤退してゆく。
撤退していく里見軍に、苦戦を強いられている北条軍に止めるすべもなく。
本拠地である相模国小田原城へ退却する。

この戦いで小弓軍は約1000名の兵士が戦死、小弓公方は崩壊を迎えたのである。

                                   【エピローグ】
小弓公方は崩壊し北条軍も戦力を再編、小弓公方の領土を確保。
真里谷信応を追放し、信隆を当主に据えた。
一方の里見義堯はすぐさま空白地域になった義明の領土を確保し、安房.上総の勢力圏を確保する。

後に両者は再び国府台の戦いで激突する事になるのだが別の話。

なお・・・・・

足利頼純「小弓公方足利義明が次男、足利頼純でございます。」

豊臣秀吉「おうおうよく来たな。」

里見氏に保護された次男国王丸は元服し、足利頼純と名乗る。
娘が秀吉の側室になった事で嫡男国朝が喜連川城を有し、国朝・頼純亡き後継いだ足利頼氏は足利義氏の娘義姫と結婚し喜連川氏を名乗る。
この家が江戸時代における足利一族の大名であり、幕末まで存続する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1次国府台の戦い ワレ・ヨシアキ・ヲ・ミステ・コウドウス

2017-11-19 22:13:30 | 短編小説(歴史含む)
                【天文7年/1538年 下総・武蔵国境.江戸川付近】
北条氏綱とその弟長綱と嫡男氏康などが率いる北条軍2万名は武蔵国江戸城を出発、下総・武蔵国境付近に到達。
そこに陣を敷き情報収集に入る。

北条氏綱「動きはどうじゃ?」

「小弓公方足利義明率いる軍勢は嫡男足利義純.足利基頼・里見義堯・真里谷信応らを自らから率いて布陣しております。推定される数は1万の兵です。」

北条氏綱「分かった・・・下がれ・・・」

「ハッ」

北条氏康「やはり動きましたね。」

北条氏綱「ふん武勇と家柄は優れているが、我らが臆すると思っているのか・・・・皆の者・・・軍議を始めるぞ!」

氏綱は情報を入手すると、ふと笑う・・・・
己の家柄と武勇だけが取り柄の男が、我々が怯えると思っているのかと・・・・・
やはり単純な男だと・・・・・

そう思っているとすぐに配下の武将を招集し軍議を始める。

戦うには渡河する必要があり、一体何処に上陸すればいいのか氏綱らは考えていた。
近い距離だと真間川と江戸川の分岐を狙いたいのだが・・・・・
そう考えていると・・・・・

大藤信基「殿、敵は我らの侵攻予測部分を江戸川と真間川の分流付近と国府台付近と予測しています。我々は更に上流にある下総相模台付近に上陸すべきだと私はそう進言します。」

北条氏綱「お前はどう思う?」

北条長綱「私も同意見です、敵が予測している地点は避け強襲を仕掛けるべきだと存じます。」

配下の一人大藤信基は敵が予測する真間川と江戸川の分岐地点と国府台城付近を避け。
上流で手薄であろう相模台付近に上陸すべきだと進言した。
長綱も同意したため、氏綱はその案を採用した。

一方の小弓公方軍は相模台に椎津隼人らが布陣、義明と義堯・信応は国府台城に布陣する。
軍議を開きどのように戦っていくかを話しあった。

里見義堯「公方様、氏綱とその息子氏康を甘く見てはいけません。渡河される前に、攻撃し討ち取るべきです。」

足利義明「それはいかんな、氏綱は上陸後に叩き確実に討ち取る。」

里見義堯「なっ・・・・・」

1万人と数で劣るので優勢に進めるべく、義堯は義明に渡河中の北条軍を攻撃し氏綱らを討ち取るべきと進言するが却下される。

里見義堯「何故です、何故そのような・・・」

足利義明「分からぬか?わしを誰だと思っている?将軍家の一族ぞ・・・・」

里見義堯「それが何が関係あると言うのでありますか?」

足利義明「関係はある・・・・氏綱如き高貴な足利将軍家の一族であり武勇の誇るわしに弓を引くことができないそれだけじゃ・・・」

義堯は何故そのような事を言えるのか義明に質問するが、返答した答えが足利将軍家であるから。
足利将軍家の一族の権威は権力を行使する事を意味している。
義明はその肩書きを利用すれば氏綱率いる北条軍は戦意損失すると思っていた。

だが

それは間違いである。
今の足利将軍家は権威を失っている・・・・
また北条家が同じ足利将軍家の一族である堀越公方を滅ぼしている。
それらを把握している義堯はその考えは危険と思った。
更に言えば・・・・

足利義明「戦上手の里見義堯は分かるじゃろ、川を渡らせて逃げ場を失えば氏綱父子は確実に討ちとれると・・・もう一つの上陸予測地点の相模台には椎津を配置している・・・そこを挟撃すれば勝てる。」

里見義堯「それは賭けでございます、数は我らが不利・・更に言えば北条側からすれば背水の陣、決死を決めた兵は攻勢も強く・・・・」

足利基頼「おい!安房の田舎侍が兄上に対し出しゃばるんじゃない!!」

里見義堯「なっ・・・・・・・・・」

足利義明「そう言う事じゃ・・・・義堯・・・分かったじゃろ・・・・」

里見義堯「ハッ・・・・分かりました・・・・」

川を渡り退路を防ぎ攻撃をしかけようとする義明にそれは背水の陣となり攻撃が危険になり危ないと進言する義堯。
だが、結局は退けられてしまう。
安房の田舎大名・・・・・・・・・・それを基頼に言われた義堯の中で何かが切れた。

その後、義堯は里見の陣に戻る。
陣には正木時茂・時忠兄弟などの里見家の家臣が勢ぞろいしていた。

正木時茂「殿、どうでした?」

里見義堯「駄目であった。」

正木時忠「駄目とは?」

里見義堯「まったく相手にしてくれん・・・・」

義堯は家臣の一同がいる場で義明に対する不満をぶちまけた。
表情は怒りが籠っていた、それを見た時忠は・・・・

正木時忠「でどうしますか?」

と義堯に聞く・・・・・・・・・すると・・・・・・・・・

里見義堯「我々は戦知らずの公方と共に行動せん、公方はどうせ破れるだろう勝つ見込みがない・・・」

正木時忠「となると・・・?」

里見義堯「退路を確保し、公方亡き後・・・・空白地を確保し我が里見の領土拡大とする・・・・」

義堯はこの戦いで義明が死に小弓公方が崩壊する事を予測し。
北条家に領土を確保される前に出来る限りの領地を獲得し、里見家の強化に当たる事を決めた。
勝つ見込みがないのならば、小弓公方のために働かず自家のために戦う。
これが今の戦国のならわしそれが今の義堯の考えである。

里見義堯「時茂・・・」

正木時茂「ハッ・・・」

里見義堯「公方の次男国王丸を保護せよ!」

正木時茂「ハッかしこまりました。」

だけど、次男である国王丸は保護する。
いずれは何か役に立つのだろうと、義堯は保護を時茂に任せた。
その頃・・・・・・

北条氏綱「江戸川か・・・・」

北条氏康「父上どうなされました?」

北条氏綱「いやなんでもない・・・・・・・では行くぞ、氏康・・・」

北条氏康「ハッ・・・・」

北条軍2万の兵が江戸川を渡り始める。
これにより第1次国府台の戦いが幕を開けるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1次国府台の戦い 内紛漂う南関東

2017-11-16 11:42:47 | 短編小説(歴史含む)
足利高基「おのれ義明め、還俗して小弓公方じゃと・・・・わしは認めんぞ!」

義明が小弓公方を立てた事に本家である古河公方足利高基は激怒した。
そればかりか基頼も加わってしまう。
江戸湾西部一帯を勢力下に入れ、扇谷上杉家と同盟を結ぶ。
今期最大攻略目標は鎌倉と定め軍備増強が図られる。

一方頃。
相模・伊豆を勢力に持つ北条氏綱が鎌倉を占領した。
そして武蔵江戸城も・・・・

「大変でございます、太田資高殿が北条方に内応しておりました。」

上杉朝興「馬鹿な・・・・資高が・・・・」

太田資高が北条方に内応し、扇谷上杉家当主上杉朝興は逃亡し北条軍に占領される。
近隣の世田谷城の奥州吉良氏当主.吉良頼康は抵抗できないと悟り従属する。
葛西城などの周辺の城を制圧すると勢力圏は小弓公方に近づいていた。
氏綱はまだ抵抗続ける扇谷上杉家を潰すため、義明と和睦する事を決めた。
無論その思惑は義明も一致し・・・・

これにより義明は氏綱と和睦.その報告を聞いた千葉勝胤・昌胤父子は義明側に付き里見・真里谷氏も続いた。

だが

義明と支援者であった信清との対外政策で対立するようになる。
そろそろ高齢だし邪魔者は消えるだろうと考えていた義明・・・・

考えている頃、里見氏で稲村の変と言う内紛が勃発した。
内紛内容は義通の跡を継いでいた里見義豊は家督を預かっていた義通の弟実堯を殺害した事。
実堯は房総水軍を率いて品川などに展開する北条軍を攻撃し家中でも発言権が強かった。
それに脅威を感じた義豊であったが糟谷石見守の讒言が切っ掛けで実堯と腹心正木通綱・弥次郎を襲撃し殺害.次男時茂が負傷する事になる。

里見義堯「父上が殺されただと!?・・・・・・・・義豊め許さん!すぐさま北条氏綱殿に援軍を要請し、義豊を討ち滅ぼさん。」

父を殺害された義堯は激怒し氏綱に援軍を要請し負傷していた時茂・時忠ら正木兄弟と共に決起する。
最初は義堯が劣勢だったが、すぐに反撃し撃ち破り一進一退の攻防であった。
信清の応援を受けた義豊であったが、犬掛の合戦で大敗し自害に追い込まれる。

足利義明「里見で内紛で信清が支援した義豊は滅んだか・・・・いいぞもっとやれ・・・・どんどん自分の首を絞めるんだな、信清。」

義明は笑う、信清の失敗に・・・・・
歴史が義明の思惑を支援するかのように、時は流れ信清や嫡男であった全鑑が亡くなり、次男.信隆が相続する。

足利義明「ついに老害も死んだか・・・・・今が好機、信応を奉じて信隆を追放する!!」

義明は信隆を追放し、弟である信応を当主にした。
追放された信隆は船で相模水道を渡り小田原城に向かった。

真里谷信隆「頼む、私を助けてくれ。」

北条氏綱「ぬぅ・・・・幻庵どう思うか?」

北条長綱(幻庵)「私は受け入れるのに賛成です。まぁ兄上次第ですが・・・・」

北条氏康「私も叔父上と同じく・・・・」

北条氏綱「そうだな、一門などの問わず意見を・・・」

北条家中はいろいろと受け入れるかどうかの意見の出し合いをした結果信隆を受け入れる事を決めた。
氏綱は信隆を受け入れると・・・・・・・・・・・・・

扇谷上杉家の本拠地である河越城をついに攻め落とす。
これにより北条家は武蔵をほぼ確定的に勢力下に収める事に成功した。

足利義明「河越城が陥落・・・・・・・氏綱め・・・・・そろそろ危険かもしれぬな・・・・・」

河越城を制圧した北条家に義明は脅威を感じる。
近いうちに衝突する可能性があると・・・・そんな中、義明に従っていた千葉氏が離反する事になる。

北条氏綱「よし攻めろ!」

氏綱は武蔵・下総の国境に位置し現在の環状7号線が通る場所にあった葛西城を制圧した。
これにより北条家による下総方面への進出が現実味となる。

足利義明「このままではまずいな、山内上杉を支援するとするか・・・・」

北条家の危機を感じた山内上杉氏を支援した。
これに対し・・・・・

北条氏綱「世間知らずな公方だな・・・・古河公方の足利晴氏殿と手を組み義明を討ち果たすぞ!」

山内上杉氏と義明と戦うため、氏綱は古河公方足利晴氏と手を組んでいた。
数年前に義明の兄高基が亡くなっており、息子である晴氏が継いでいた。
この動きに千葉氏も同調する事になる。

里見義堯「ぬぅわしは北条についていけんな・・・」

この動きと亡命した信隆を受け入れた事で、信応を支持していた義堯は北条氏から離脱する事になる。

足利義明「わしは氏綱と戦うぞ!」

足利基頼「兄上それは本当ですか?」

足利義明「あぁいくら氏綱と言えども足利将軍の一族に本気で弓を引けるはずがない勝機はこちらにある。義純・・・」

足利義純「ハッ・・・・」

足利義明「おぬしも参陣せよ!」

義明は里見・北条・千葉などの動きに決起する事を決めた。
里見・真里谷と同盟を結び氏綱と対峙する事を決めた。
無論勝算はある、なんせ義明は将軍家の一族。
氏綱如きが手を出す事はできない、だから簡単に氏綱を討つ事ができる。
つまり戦は簡単だと、それが義明の勝算である。

だが

これが誤算である事を義明は後に知る事になりそのまま悲劇街道を真っ直ぐ進む事になる・・・

北条氏綱「氏康.行くぞ!」

北条氏康「ハッしっかり戦功を立てて見せまする!」

北条軍は2万の兵を率いて出陣した、目標は葛西城。
そこで布陣し下総に渡河するためであり・・・・2万の北条軍は第1段階として江戸城に入る。

一方の義明の軍勢は里見義堯と真里谷信応ら1万の兵で国府台城に入場した。
これによりすべての役者は揃う事になり、2度に渡る国府台の戦いの第1回目が開始される事となる。

これは下総・上総・安房における勢力図を確保するための重要な戦になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1次国府台の戦い 小弓公方設立

2017-10-06 18:56:43 | 短編小説(歴史含む)
                    【1518年(永正15年)上総国 真里谷城】


還俗した足利義明は真里谷信清の居城真里谷城を訪れていた。
現代では千葉県木更津市立少年自然の家がある真里谷城。
その実情は天然の要塞と言っていいほどの軍事要塞としての要素が強く。
農作物生産拠点や街を造る平坦な土地が少なかった。

それもそのはず。
元々この辺を治めていたのは千葉氏であり。
ここに築城した武田信長は外部の人間であったからである。
千葉氏だけではなく安房の里見氏や酒井氏.土岐氏などの千葉の豪族たちから攻撃を受ける危険性があり。
このような生産率の低い土地に追い込まれ、同じ武田信長から分かれた一族の庁南武田氏の居城庁南城は12km先にある。

なお庁南武田氏の現在の当主は武田宗信である。

真里谷信清「これはこれは公方様、よくぞお越しくださいました。それがしは真里谷武田家当主である真里谷信清でございます。」

真里谷信隆「嫡子信隆でございまする。」

真里谷信応「信清が次男信応でございます。」

足利義明「そちが信清父子か、私を利用し勢力を拡大する気ではないな?」

真里谷信清「とんでもございません、公方様。私は父左馬頭(足利政氏)と公方様の兄上足利高基様の不毛な戦いを見て怒りを感じました。そんな愚かな方々は頼りになりません、ここは義明様が新たな公方となり、戦ばかりの関東の地を治めくださいませ。」

足利義明「そうか分かった。」

会見は順調に進んだ・・・・・・・・・・・・表は・・・・・・・・
実際は・・・・・・・・

真里谷信清「馬鹿な公方よ、所詮公方なんぞ力のない神輿に過ぎん。せいぜい我が真里谷氏の勢力拡大に役に立ってもらうぞ。」

信清は義明の事を神輿程度にしかみていなかった。
簡単に言ってしまえば、利用価値のある道具と言う事である。
一方の足利義明は・・・・・・・・・・

足利義明「信清め、この足利義明がお前の道具になるとでも思ったのか?出家して何もしないままだったのに、折角の好機・・・・・・・・・お前が没するまで道具を演じてやるわ・・・・ふふふ。」

信清の道具に収まる気は全然なかった。
だが今直ぐ動くのではない、時が来るまで道具を演じる。
見た所息子二人は大した事はない・・・・・・・逆にこっちの操り人形に出来ると見ていた。

                   【1518年(永正15年)7月 下総国 小弓城】


下総国小弓城。
1300年頃に築城され、千葉一族である原氏の居城となっていた。
この城には千葉勝胤の家臣である原胤隆や高城胤吉がいた。
その中には・・・・・・・・・

原虎胤「父上、真里谷信清めが公方様の子を擁立したのは本当ですか?」

原友胤「あぁ事実らしい。」

後に武田24将の一人になる原虎胤の姿があった。
この時21歳の若武者である。
弟には後に織田家家臣になり桶狭間で戦死する桑原甚助がいる。
虎胤は武田信虎の時に虎の一文字を貰った名であるが、初名が不明なため虎胤で統一する。

信清が義明を擁立した事に元々敵対していた千葉氏は警戒していた。

原友胤「今後、奴めがどう動くか分からん、警戒はしないといけないが・・・・」

原虎胤「しないといけないが?」

原友胤「最前線になるので、いつ攻めてくるか分からん・・・・準備はしておけ。」

原虎胤「準備・・・・・はっかしこまりました。」

最前線である小弓城はいつでも防戦の準備をする必要はある。
足利義明を擁立し公方とするならばうってつけの場所であるから。
虎胤はその場をさろうとしたが・・・・・・・・

「大変でございまする。」

原友胤「どうした?」

「前方の櫓より武田割菱・・・・真里谷めが軍勢来襲でございます。」

原友胤「なんだと!?」

「それだけではございません、安房の里見めが軍勢もいます。」

突然、真里谷氏の軍勢が里見義通と手を組み小弓城へ襲来した。
目的はもちろん、足利義明を公方として擁立するためである。

原隆胤「おのれ甲斐源氏の内紛で逃れた武田信長の末裔が・・・・全軍、城の守りを固めろ!」

『ははぁぁぁ』

城将である原隆胤は各将に小弓城の防備を固めた。
城の防備を固めると数多くの真里谷・里見連合軍が殺到する。



(画像はイメージです)

防戦側である小弓城を守る千葉軍は奮戦した。
必死に戦い連合軍を抑えていた・・・・・・が・・・・・・・・・・・

原隆胤「ぐっ・・・・・・・・信清め・・・・・・・・・」

原隆胤討ち死に・・・・
原友胤父子は逃亡(次男桑原甚助は尾張へ落ちのびる)高城胤吉は撤退・・・
千葉軍の完敗で終わった。
小弓城は足利義明・真里谷信清・里見義通らの軍勢により落城。
義明は小弓初代公方になるのであった。

原虎胤「父上何処へ落ちのびるのですか?甚助は尾張に向かいましたが・・・・」

原友胤「甲斐に向かう・・・・」

原虎胤「甲斐って真里谷の本家である甲斐源氏嫡流の武田ですか?」

原友胤「あぁ我らは武田信虎殿に仕える。」

この後、原親子は武田信虎に仕え福島正成を討ち取る功績を得て。
信虎・晴信(信玄)二代に仕えるのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1次国府台の戦い 空然の還俗

2017-09-20 21:16:45 | 短編小説(歴史含む)
この物語は史実を基にした物語である。
史実をベースにしたフィクションである。
__________________________________________________

時は戦国。
室町幕府8代将軍足利義政の後継者争いが元の応仁の乱で、日の本は荒れる。
守護大名を押しのけ自分が大名になる下剋上、それは親族であっても関係ない。
武家が争う中日の本の頂点に立つ帝でさえ、関係ない・・・・・・・・

公家や朝廷は生活に困窮しており。
明応9年10月21日(1500年)に崩御した後土御門天皇は・・・
財政難により葬儀が出来ず埋葬もできず、40日の間御所に御遺体が置かれる事になっていた程であったと言う。

そして関東、伊勢盛時(北条早雲)北条氏綱父子が後北条を興し、関東に覇を唱えようとしていた頃。

「父上や叔父上(上杉顕実)とはやっていけるか!!わしは上杉兵庫頭殿(上杉憲房)に御味方する!!」

古河公方足利氏では公方足利政氏とその嫡男高基が上杉家の処置を巡って対立する。
その上杉家の処置とは。
叔父上杉顕実が義兄弟である上杉憲房と対立し不利になり兄政氏に援助を求める。

ところが

憲房は政氏の嫡男高基を味方につけてしまう。
その結果

★上杉顕実側
足利政氏
岩城常隆
岩城由隆
佐竹義舜
小山成長
芳賀高勝(宇都宮家家臣)
結城顕頼(白河結城氏)
皆川氏綱
佐野秀綱
佐野秦綱

★顕実側から憲房側へ寝返り
足利基頼(高基の弟)
小山政長
那須資房

★上杉憲房側
足利高基
結城政朝
宇都宮成綱
宇都宮忠綱
小田政治(堀越公方足利政知の子で将軍義澄の兄弟)
小田成治
那須資親
千葉勝胤
千葉昌胤
北条早雲(伊勢盛時)
北条氏綱
伊達稙宗

★中立
上杉顕定
上杉朝良

関東の大部分の大名を始め、東北の伊達氏や白河結城氏まで巻き込む大きな戦いになった。
そんな中・・・・・・・・・・・

                     【鶴岡八幡宮若宮別当(雪下殿)】
相模国鎌倉にある鶴岡八幡宮若宮別当。
鎌倉はかつて鎌倉幕府があり、室町時代になると足利尊氏の子足利基氏が鎌倉公方を創設する。
しかし6代将軍足利義教時代になると当時の公方足利持氏が対立(永享の乱)し破れ滅亡。
結城合戦において遺児春王丸・安王丸も義教と争って破れ殺害される。

義教が暗殺されると、復活が望まれ政氏の父成氏によって鎌倉公方が再興される。
だが成氏と室町幕府と対立し、古河へ移転し古河公方を興す。
古河へ移った成氏に代わり足利政知を送るが鎌倉が危険地帯になっていたため。
堀越に留まり堀越公方を興す。

そして子の義澄を将軍家へ政治を小田家の養子へ出していたが。
政知の死後、対立がありそれに付け込まれた伊勢盛時に滅ぼされる事になる。

この情勢下、足利政氏の子が出家し坊主として過ごす事になる。
その坊主の名は空然と言う名前であった。

そんなある日

「私が還俗しろと申されるのですか?」

「はい殿がぜひ空然殿を迎え入れたいと、勿論支援を・・・・・」

「しかし・・・・・」

空然の元に上総国の大名.真里谷信清の使者がやってきた。
ぜひとも還俗(僧が現世に帰る事)し、公方として独立して欲しいと・・・・
突然の事に空然は困惑する。

何故上総の大名の信清が空然を還俗しようと目論んだのか・・・
それには信清の野望があったからである。

真里谷氏とは正式名称は真里谷武田氏といい長南武田氏の分家であり。
更に言えば甲斐武田氏の一族であり。
武田信長(甲斐武田家当主武田信満の子)が足利成氏に従い上総に勢力を得た勢力であった。
信清は関東制圧を目論み、千葉氏や原氏を叩くには大義名分が欲しかった。
そう足利の血が・・・・・

それに目を付けたのが空然であった。
空然を擁立し、傀儡として使い足利の大義名分を利用しようと考えていた。
最初は断っていた空然だが・・・・・・・

いや待てよ、父上.叔父上.兄上が争っている今、ここで独立するのも悪くない・・・
このまま僧として過ごすくらいならば、還俗してこの乱世で名をあげるのも悪くない・・

使者の話を聞いていくうちに次第に己の野望を抱くようになる。
このまま僧として過ごすよりも・・・・・・・・
そう思った空然は・・・・・・・・

「分かりました、私は還俗し古河公方から独立しましょう。」

「おぉぉよくぞ申されました。我が御屋形様にいい報告ができますぞ。」

「まず私は下野国(栃木県)に一回移り改めて信清殿にお伺いしましょう。」

この会見から間もなく空然は下野国に移り宗済と改めて間もなく還俗し足利義明と名乗り真里谷信清の元へ
参った。
お互いに野心を持ちながらの会見であった。

その上総国の隣国安房国では・・・・・・・・

「信清が空然いや足利義明を擁立か・・・・・」

「はい兄上。」

安房大名里見義通が弟里見実堯から信清の義明の擁立の報告を聞く。
この頃の義通は安西氏に下剋上を果たし安房三浦氏正木通綱を服従させたり。
足利政氏に仕えており副師と名乗っていた。

「兄上、いかがなさいますか?我々は公方様に仕えていますが・・・」

「実堯・・・・・・・・当分、様子を見ようと思う。」

「様子ですか・・・・・・?」

「これからの動向次第だがじゃな。」

義通は弟実堯の問いに様子を見ると伝える。
義明を擁立した真里谷信清がどう出るか・・・・・その事と次第によっては。
我が里見の利益となるか、まずは見定めなくてはならない・・・・

【次回予告】
真里谷信清に擁立された義明。
まず第1歩として千葉家家臣原胤隆.原虎胤.高城胤吉の籠る小弓城に狙いをつけた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする