マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

織田信康

2018-10-26 21:25:41 | 戦国武将・戦国姫図鑑
織田信康
【諱】
信康
【苗字】
織田
【朝臣】

【通称】
与次郎
【生没】
不明-1544年
【父親】
父:織田信定
【母親】
不明
【兄弟】
織田信秀
織田信正
織田信光
織田信実
織田信次
松平信定正室
長栄寺殿(牧長義室)
おつやの方(遠山景任室→秋山虎繁正室)
秋悦院(織田信安室)
【子息】
織田信清
織田信益
織田信張正室ら、
【養子】
織田信時
【解説】
織田信定の息子で、織田信秀の弟。
織田達勝と争い和睦が結ばれると、代理人として清洲城に入る。
今川氏との小豆坂の戦いで兄に従い活躍するが。
織田軍が大敗した加納口の戦いで戦死する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐竹氏義

2018-07-27 12:54:06 | 戦国武将・戦国姫図鑑
佐竹氏義
【諱】
氏義
【苗字】
佐竹
【朝臣】

【生没】
不明ー1504年
【父親】
佐竹義藤
【母親】
不明
【正室】
不明
【子息】
佐竹義盛
【解説】
佐竹氏庶流山入佐竹氏当主。
山入佐竹氏は本家佐竹氏が上杉氏から養子佐竹義人を当主として迎える事に反発し対立していた。
父義藤の代には佐竹氏本拠太田城を奪うなど優位に立っていた。
しかし、父の病死し家督相続し和睦した翌年に佐竹本家の反撃を受け・・・
同じ佐竹庶流の長倉氏が降伏し江戸通雅や小野崎親通が離反するなど弱体化する。

あくまでも佐竹本家当主佐竹義舜との対立に拘り、反撃し義舜を自害寸前に追い込む。
天候の変化に乗じた反撃で敗北し、岩城氏の援護を得て反撃体制を取り。
篭城戦の末、太田城は陥落し。
息子義盛と共に茂木で山入氏の庶流の小田野義正に斬られる。
孫は年少のため許される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松正澄

2018-06-21 11:08:35 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松正澄
【諱】
正澄
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
?-1578年
【父親】
赤松正満
【母親】
不明
【解説】
赤松正満の嫡男。
一族と共に織田信長の中国攻めに上月城の戦いに参加し。
防戦の末、討ち死にしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松正満

2018-06-21 11:03:29 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松正満
【諱】
正満
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
不明
【父親】
赤松政元
【母親】
不明
【兄弟】
赤松政範
赤松政直
赤松政茂
横山義祐
福原則尚室
【正室】
不明
【子息】
正澄
【解説】
赤松政元の長男。
同じ兄弟の中で実像が少なく、播磨鞍掛山城を築城ぐらいしか記録にない。
子供がいるのは事実だが、実際どのような人物なのかは謎のままである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松政宗

2018-06-21 10:57:18 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松政宗
【諱】
政宗
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
不明
【父親】
赤松政範
【母親】
不明
【子息】
赤松頼兼
赤松頼尚
女子
【解説】
赤松政範の子息。
父が上月合戦で一族と共に落命する中、家臣に連れられ脱出。
毛利輝元の保護下に入る。
関ヶ原の戦いに従軍し池田輝政の元に向かったと言う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松政範

2018-06-21 10:48:59 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松政範
【諱】
政範
【苗字】
赤松
【朝臣】

【父親】
赤松政元
【母親】
不明
【兄弟】
赤松正満
赤松政直
赤松政茂
横山義祐
福原則尚室
【子息】
赤松政宗
【解説】
赤松政元の子。
父と同じく西播磨殿と呼ばれており武勇も優れ責任感のある武将で。
思慮分別もあり配下に思いやりがあり先見性もあるが、優柔不断な一面がある。
織田信長の中国攻めで羽柴秀吉3万の兵が来襲。
沼城主の宇喜多広維の援軍3千と赤松家本隊7千と共に防戦。
しかし、敗色が濃くなり自害して果てる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松政直

2018-06-21 10:38:36 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松政直
【諱】
政直
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
?-1578年
【父親】
赤松政元
【母親】
赤松正満
赤松政範
赤松政茂
横山義祐
福原則尚室
【解説】
赤松政元の三男として生まれる。
織田信長の中国攻めの上月城の戦いで防戦する。
政直は評定で野戦に打って出て姫路まで進出し東播磨の諸勢力を味方に画策しようとした。
防戦の末自害、ある説では脱出し行方不明になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松政茂

2018-06-21 10:32:51 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松政茂
【諱】
政茂
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
?-1578年
【父親】
赤松政元
【母親】
不明
【兄弟】
赤松正満
赤松政範
赤松政直
赤松政茂
横山義祐
福原則尚室
【解説】
赤松政元の子として生まれる。
兄弟と共に織田信長の中国攻め上月合戦で籠城している。
奮戦の末で、自害または討ち死にした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横山義祐

2018-06-21 10:28:08 | 戦国武将・戦国姫図鑑
横山義祐
【諱】
義祐
【苗字】
横山
【朝臣】

【生没】
?-1578年
【父親】
赤松政元
【母親】
不明
【兄弟】
赤松正満
赤松政範
赤松政直
赤松政茂
福原則尚室
【子息】
不明
【解説】
赤松政元の5男とされる。
詳しい実情はないが、兄達と共に織田信長の中国攻めの際の上月城攻防戦で防戦に参加した。
落城した際に家臣と共に逃れ翌年死去。
その家臣と末裔は明治まで郷士の家柄として存続した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松政元

2018-06-21 10:16:57 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松政元
【諱】
政元
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
1500年
【父親】
赤松義村
【母親】
不明
【兄弟】
赤松晴政
高島正澄
赤松政道
【正室】
不明
【子息】
赤松正満
赤松政範
赤松政直
赤松政茂
横山義祐
福原則尚室
【解説】
赤松義村の次男と言われている。
一説によれば兄であり赤松本家当主晴政よりも先に産まれたと言われており。
義村の長庶子の可能性もある。
武勇に優れ西播磨殿と呼ばれていたが、その実像は不明である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高島正澄

2018-06-21 10:09:43 | 戦国武将・戦国姫図鑑
高島正澄
【諱】
正澄
【苗字】
高島
【朝臣】

【父親】
赤松義村
【母親】
不明
【兄弟】
赤松晴政
赤松政元
赤松政道
【正室】
不明
【子息】
高島正友
【解説】
守護大名赤松義村の三男として生まれ、高島姓を名乗り播磨国高野須城主の武将。
織田信長の中国攻めの際.羽柴秀吉が播磨上月城に攻め寄せた時。
上月城にいた兄政元の子赤松政範に味方し、赤松家の家老として補佐し防戦した。
政範が自害した後、一族の早瀬正義.宇喜多広維.国府寺入道.中村伊勢入道らと共に殉死し果てた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松義村

2018-06-21 00:59:42 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松義村
【諱】
義村
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
?-1521年
【通称】
次郎
【父親】
七条政資
【養父】
赤松政則
【養母】
洞松院
【正室】
小めし
【子息】
赤松晴政
赤松政元
高島正澄
赤松政道
【解説】
赤松一族である七条政資の息子と産まれる。
浦上則宗をはじめ、別所則治、小寺則職、薬師寺貴世、赤松則貞らの画策で。
赤松氏復興させた赤松政則の婿養子になった。
就任時まだ年少であり、養父の死後の4ヶ月後に播州錯乱といわれる内乱が起こり。
浦上則宗が権勢を振るいそれに反発した一族の浦上村国が対立するなど混乱が起こった。
10代将軍・足利義尹と11代将軍・足利義澄が対立すると。
将軍への返り咲きが確定した義尹し、一文字貰い義村と名乗り。
中央への影響力を持つようになった。
成人して重臣浦上村宗・小寺則職の補佐を受ける一方で奉行制を導入し権力強化に努めるが。

反発した浦上村宗と対立、その末に図られ播磨の室津城に幽閉の後暗殺される。

それ以後、赤松氏は没落する、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松村秀

2018-06-20 14:08:08 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松村秀
【諱】
村秀
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
1493年ー1540年
【父親】
赤松政則
【養父】
宇野政秀
【母親】
不明
【兄弟】
小めし(赤松義村正室)
【子息】
赤松政秀
【解説】
赤松政則の息子として生まれる。
父の死の当時、自身はまだ幼かったため一族から赤松義村を迎えて当主になったため。
家督を相続する事なく別家を立てる事になった。
家を継いだ義村の一文字をもらい赤松村秀を名乗る。
家を支えながら小寺氏や宇野氏と協力して浦上氏との抗争に貢献している。
47歳で病没している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斎村政広

2018-06-18 14:00:23 | 戦国武将・戦国姫図鑑
斎村政広
【諱】
政広
【苗字】
斎村
【朝臣】

【生没】
1562年ー1600年
【父親】
赤松政秀
【母親】
赤松晴政の娘
【兄弟】
赤松広貞
赤松祐高
さこの方
【正室】
宇喜多直家の娘
【子息】
平位利貞室
伊藤新四郎室
済村右京
清(新免道貞室)
【解説】
赤松政秀の子として生まれる。
最初は赤松広秀であったが、一時避難する事になった際に逃れた佐江村から斎村と名乗った。
兄であった赤松広貞が死去すると家督を相続する。
本家である赤松義祐の家系よりも赤松氏の嫡流であったと言う。

織田信長の中国侵攻により羽柴秀吉に降伏。
その後羽柴秀吉配下として中国大返しで殿を務め。
賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどで武功を挙げて但馬竹田城2万石の城主になる。
九州征伐や小田原征伐、朝鮮出兵に参戦。

関ヶ原の戦いでは西軍に属するが、石田三成が敗北すると東軍に寝返っている。
この時の焼き打ちが問題になり改易の末、自害させられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松祐高

2018-06-18 13:51:12 | 戦国武将・戦国姫図鑑
赤松祐高
【諱】
祐高
【苗字】
赤松
【朝臣】

【生没】
1559年ー1615年
【父親】
赤松政秀
【母親】
不明
【兄弟】
赤松広貞
斎村政広
さこの方(足利義昭侍女/側室)
【正室】
不明
【子息】
赤松祐則
【解説】
赤松政秀の子として生まれる。
父の死後兄斎村政広と共に活動し、中国地方に侵攻した織田信長に降伏する。
半田山家鼻城1万石の大名になり、関ヶ原の戦いでは西軍に属するが東軍に寝返る。
しかし、兄が焼き討ちをした事が問題となり改易され自害。
自身は浪人した末、豊臣秀頼に仕えた。
大坂の陣に参加し、敗北後播磨に逃れるが。
池田利隆の兵に囲まれ、部下を助けるため自害した。

子息の祐則は帰農し武士を辞め、子孫は曽谷氏と称した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする