帰蝶
【生没】
1535年ー不明(1612年または1583年など諸説あり)
【父親】
斎藤道三
【母親】
小見の方
【兄弟】
斎藤義龍
斎藤龍重
斎藤龍定
斎藤利堯
斎藤利治
女(斎藤利三正室)
胡蝶(姉小路頼綱正室)
女(稲葉貞通正室)
女(金森長近室)
女(休庵室)
【旦那】
織田信長
【子息】
なし
【解説】
斎藤道三の娘として美濃国に生まれる。
帰蝶は斎藤道三の子供の中で唯一の正室の子供である。
叔父に明智光綱がおり、その息子である明智光秀とは従兄弟関係である。
父道三は美濃国守護土岐頼芸を追放し、美濃を奪い取る。
しかし、土岐に忠誠を誓う家臣が多く兄義龍が頼芸の落胤として国主にされる。
それに反発した土岐氏は頼芸の甥土岐頼純を大将に北から朝倉孝景、南から織田信秀が攻め込んでくる。
道三は津田武永ら率いる織田軍と戦うが敗北、織田信秀の嫡男である織田信長と娘を婚約する約束し。
頼芸を美濃国に出迎え、越前朝倉氏とも和睦した。
織田信秀と朝倉孝景は道三討伐を諦めていなかった。
土岐頼芸・頼純に挙兵を促し道三を討とうと持ち掛ける。
それに気が付いた道三はその前に攻撃し、完全に頼芸を追放する。
信秀は稲葉山城城下を攻撃するが、帰還中に襲撃され大敗を喫す。(加納口の戦い)
そしてこうした経緯もあり、和睦が成立。
織田信長と帰蝶は正式に結婚する。
しかし
子供に恵まれないばかりか
斎藤家の菩提寺常在寺に父・道三の肖像を寄進したのを最後に帰蝶の行方が不明になる。
【その後】
行方不明になった帰蝶だが、諸説ある。
離縁
嫡男も生めないため道三が死んだため、離縁された。
兄義龍を嫌い叔父明智光安のいる明智城に身を寄せた。
ただ、離縁する理由は特別な理由なくその証拠がないので信憑性はない。
早世
織田信長と結婚するが、若くしてなくなり別の人間が正室になった。
これも信憑性が低い。
明智城で死亡
上記の離縁説と合わせ、義龍の美濃統一戦で明智城が攻撃され。
叔父明智光安ら明智一族と共に死亡した説。
本能寺で戦死
本能寺の変で夫織田信長と共に従兄弟で謀反を起こした明智光秀と戦い戦死した説。
初出は絵本太功記であるが、これは作品であり。
創作説である、ただ民間伝承に帰蝶の遺髪塚がある。(西野不動堂)
生存説
生存説は結構存在しており、1583年まで生きたとか。
江戸時代初期まで存命していたといろんな話がある。
織田信雄分限帳では安土殿と呼ばれる女性がおり、学者はこの人物こそ帰蝶ではないかと言われる。
すべて総括すれば、帰蝶がどのような末路を辿ったのかは当時の人かつ帰蝶しか知らない。
この事実は神のみぞ知ると言う物ではないだろうか。
まだ歴史にはまだ発掘されていない資料があるので、今後も捜査が必要である。
【おまけ】
姉小路頼綱正室・胡蝶(帰蝶の妹)