「紫陽花や 溜めてはこぼす 雨の音」
江戸時代の俳人、成田蒼きゅう(きゅうという字は虫偏に礼の右側のつくりという字だけど外字作業しないと見あたらない)の句だが、この季節になると思い出す。
今はあじさいと言っても洋あじさいを含め、実にさまざまな種類のあじさいが出回っていて、色も多岐に渡るが、この句の紫陽花は固まりの大きな、青色のあじさいだろうと思われる。
日本の土壌は酸性質らしいので、昔は大部分がブルー系のあじさいだったようだし、洋あじさいと違って花の首がもひとつたよりなげなので、雨を溜めてその重さで花が傾く、そこでたまった雨が落ちるという風な、のどかな情景が思い浮かんで来る。
また、額縁あじさいの中に「墨田の花火」という名前の紫陽花があるが、これもぐるりに丸く星形の花びら(まぁ、ガクだが・・・)が外周のみに咲きこぼれて、ほんとに夜空に打ち上げられた花火のイメージそのままに美しい。
ネーミングが粋。
また脱線するが、ネーミングの妙といえば虫が巣を作って丸まった落ち葉につけられた「落とし文」、これも、本来は、「直接言えないことを手紙に書いて、伝えたい人の近くの路上に落としておく文」からきてるんだけど、日本人らしい感性のあらわれだなぁと感心しちゃうのだ。
で、写真のあじさいだが、実家の田の側を流れる用水際に父が挿し木したものが、まあ、遠慮なく広がっちゃったのだが、これは去年の写真。
今年は大胆に残酷に剪定されていっきょに規模は縮小、まだ花もこれからというところである。
写真では解らないのだが、水辺という環境のせいかどうか、川面の近くのあじさいの花房の中に直径4、50㎝もあろうかというバカデカイのを見つけて(何じゃ、コリャ)とあきれてしまったことも思い出した。