楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

今月の源氏

2013-05-25 21:24:15 | 

突然ですが、わたくしは寅さんやのび太が好きではありません。
彼らは周りから俗に言う「ダメ人間」と思われていて、出来れば、身内や友人には持ちたくないと思ってしまいます。
ただそうした自分の心理を分析すると、自分自身のダメな部分を鏡写しに見るようでイヤなのかもしれないと思うし、そのくせ彼らが持ってる計算なしの他者への優しさを持ち合わせてない自分の計算高さや狭量さを意識させられて何となく後ろめたくなるのかもしれません。
詳細を語ると個人攻撃になりかねないので抽象的な表現で続けますが・・・。
問題を提議するときには、少なくとも自分が意見を持ち、それを他者に伝えるだけの言葉の理論構築をするのが筋だと思うのですが、単なる単語をひとつふたつ並べただけで「後は言いたいことは分かるでしょ、そいううことなのよ」と人にその構築をまる投げする。それもいかにも自分は高い見識を持っているが故にそういう問題に言及してみたとポーズを取る。
う~んともやもや感が拭えない。
また、例えば絵画を鑑賞しているのに、絵ではなく突拍子もなく額縁や照明の話をし出して、人の関心を得ようとする。
違うんじゃないと困惑してしまう。
人は誰でもある程度の自己顕示欲を持っているので、相手の欲が自分のある種のツボを刺激して相手が透けて見えるように感じることもあります。
わたくしの感覚、評価が正当と言い張るつもりは毛頭ありませんが、本人達はそのように感じる人間もいると言うことに対しての慮りはあるのだろうか、あるいは自分のことは棚に上げ、細かいことにこだわる自分こそ偏狭な人間なんだろうかなどとぼんやり考え込んでしまった今月の源氏でした。
肝心の源氏のお話では、須磨に訪ねてきた中将と源氏がお互いに贈り物をし合うという場面で、源氏は中将に馬を贈るんですね。
で、その時源氏が「流罪の人の贈り物では不吉だとお考えかもしれないが、馬は風がふくと嘶(いななく)くので」と言うんですね。???サッパリ意味が分からなかったんですが、「文選」の古詩の『越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶く』から来た“故郷を忘れがたく、恋い慕う”という意味が隠されていたんですね。納得。
本日は須磨の最後でもあったんですが、源氏が“お払い”をしていた時に突然天候が荒れ出し、ほうほうの態で帰宅。
その晩見た夢から、海の竜王が美しい自分に魅入られたのか、困ったもんだと悩んでいるところで終章、次の明石へと移行するのですが、これは単に自惚れの強い源氏というだけではなく、この時代の自然への脅威への気持ちを表わす一つのお約束的キャラの紹介でもあるのかなと解釈しました。
本日の茶菓子は福屋さんの最中と和三盆二人静でした。
コメント
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