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日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

京都旅行のうんちくチラシ

2017-06-06 23:47:11 | 旅行
今月中旬に以前勤めていた会社の研修旅行に連れて行ってもらうことになってるんだけど、社長からデータ送るから、チラシにまとめてくれという依頼があって現在製作中。元データが↓これなんですけど、今日は時間がないので、原材料のまま。チラシが出来たら差し替えます。

テーマ  「ちょっとディープな京都歴史旅」

これまで京都に行ったことの無い人は少ないと思います。古来より「京のぼり」と言う言葉があるように、日本人にとって京都は古の昔より日本人のアイデンティティの礎を支えてきた町であります。今回の研修旅行企画では、通常の観光旅行とは少し違った視点で京都の魅力や京都という町の歴史を、建物と庭、食と町並みの体感を通して五感で知る京都旅行を企画してみました。ちょっとディープな千年の都『京都』をご一緒に。

ディープポイント1.
今回の研修会の宿泊は、南禅寺界隈別荘郡にある二軒の料理旅館の内「八千代」で宿泊。
庭園は、明治の名庭師と言われ、近代日本庭園の先駆者と言われる作庭家小川治兵衛通称『植治』の作である。「植治」は、八千代の庭園を始め、隣接する料理旅館「菊水」を始め、松下幸之助別邸「真心庵」「大龍山荘」など南禅寺界隈別荘郡の名園の多くを手掛けている。

料理旅館「八千代」の建物は築100年になる木造建築であり、明治以降の日本の歴史とともに、名旅館として今日を迎えている。夏野菜を主とした京料理も楽しみの一つである。

ディープポイント2.
二条城
1603年に、徳川家康が造営したとされており、後に徳川家光が増築して、今の形になったとされています。徳川慶喜が大政奉還を行った場所として有名な場所である。

ディープポイント3.
高瀬川二条苑
慶長16年(1611年)高瀬川開削者(京都と伏見間9.7キロを結ぶ運河)豪商角倉了以、素庵親子によって作られた。当時の大阪京都間の物流の中心となる。吃水30センチの浅い高瀬舟を最盛期159隻運行し、曳き子700人が従事していた。開削費用は今のお金にして150億円費やし、高瀬舟の建造にも資材を投じたが、運河運行の使用料を徴収することにより、莫大な利益を得た。高瀬舟による高瀬川交易は江戸時代以後の盆地である京都の経済発展を支え物流の中心として300年間に亘って活用された。
のちに高瀬川二条苑は明治時代に入って、山形有朋の別邸として使用され、明治時代の数々の歴史の舞台となった。山形有朋は山口県萩市にある松下村塾で吉田松陰に政治を学び、第3代、と第9代の内閣総理大臣をなった人物。高杉晋作が創設した騎兵隊に入って頭角を表し、伊藤博文とともに社会的には低い身分から栄達を遂げた代表的人物。
その後、第3代日本銀行総裁川田小一郎の別邸、阿部市太郎(塩、麻布で財を成した近江商人)別邸と引き継がれ現在に至っている。
コメント
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