楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

実はですね

2016-08-26 22:15:49 | 手芸いろいろ
昨日、もうじき日も変わろうかという夜中にブログを更新していた時に、二階から降りてきた夫が「腹が痛うて辛抱できん。病院まで連れて行ってくれ」と言うんですね。
昨日のブログの文章が尻切れとんぼになってた時間にご訪問くださった読者様には失礼しました。実はそういう事情だったのでした。
診察の結果は尿管結石だったようで、ひとまず安心。痛み止めの薬をもらい、様子を見た後、週明けにもまた、検査に行くということでございました。
夫は石の出来やすい体質らしく、独身の時には、まだ石を砕く機器の導入がごく限られたところにしかなく、切開手術で取り除いたという話は聞いておりました。
わたくし自身もそれに罹患した経験があるもんですから、その痛みがいかに耐え難いか知ってるんですが、でも、癌とか命にかかわる様な病気でなかったので、胸をなでおろしたことでございます。

さて、そんな夫を尻目に、本日は、Yさんと約束していた「情熱の女たちからのメッセージ作品展」を見に木工会館まで出かけて参りました。



源氏物語の女御たちの折り紙、和紙の美しさとデザインの素晴らしさにぎゅっと心つかまれました。



夏らしいガラスの作品。涼やかで、こちらの胸にも涼風が吹く心地がします。



石鹸を彫った作品らしいんですが、こういう圧倒的な技術を目の当たりにすると、何か思考が停止してしまうんですね、自分には到達不可能な領域ということで一種排他的な気持ちになるというか・・・。すみません。



かずらの作品は、ただただ、頭の中に(ええな、ええな)のフレーズが踊ってます。





そして、最も親しみを込めて眺めてきたのが、布小物のスペース。









いくつかは真似できそうというものを見つけられて収穫でした。

で、最後はレジ近くの猫の置物が出迎えてくれる「みよし野」でバイキングした画像を少し。









いや〜、食べ過ぎて夕食はパスでした。
寝不足もあって、体調はよろしからず、自分の手芸もパス。
Yさん宅で折り紙折り倒してた話などはまた、明日。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍しく暑気したかも。

2016-08-25 23:29:31 | 手芸いろいろ


昨日、今日と児童館にちょっと手伝いに行ってて、まぁ、えっとぶりの綿菓子。
わたくしは折り紙教えたりしてきたんですけど、イベントが終わって、「コーヒーでも如何?」とリーダーのお家に誘って貰ったので、お邪魔してきました。







玄関やお部屋に楽しそうな小物が飾ってあったので、ちょっとだけお写真撮らせてもらったんですが、毎度、わたくしは選り好みの激しい人間だなぁと再認識したのが、たくさん飾ってあったリボンフラワーとか、布造花は一枚も撮ってないということにおきましてですね・・。



本日はほぼ外に出ておりましたら、さすがに身体に熱がこもったような感じになりまして、言い訳程度の手芸しか出来ませんでした。



上が貰ってきた型紙なんですが、直線部分が「わ」になりまして、布はちょっと歪んだ円を形どることになります。
で、カーブの緩い方を内側にして、4つに折り畳み、外側にファスナーを手縫いで付けるという段取りです。
悩んだ猫の向きは、あまり気にしないでおこうということにいたしました。
本来は縫い目部が下で、「わ」部が右横に来るんですが、それが逆になっても使用者の勝手でどっちでもいいんじゃないかということであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

延長した本、ギリ返却

2016-08-24 23:16:53 | 


このく○暑い時節になかなか本を読む気にならなかったんだけど、今日が返却日だったので、むりやり流し込んで読み終えた。
瀬戸内寂聴の
「花芯」
「あふれるもの」
「夏の終り」
「けものの匂い」
「みみらく」
「蘭を焼く」
「吊橋のある駅」

このうち、「花芯」には以前に少し触れたが、肝心の課題図書の「あふれるもの」についてはいやでもまとめておかなくちゃいけない。

あらすじ

相沢知子は、売れない小説家の小杉慎吾とは8年に及ぶ愛人関係にある。
慎吾は、妻と知子の間をほとんど等分に往復して暮らすという生活を続けている。
そんなある日、知子は慎吾から“木下凉太”に会ったという話を聞かされる。
木下凉太は元夫の佐山の教え子で、佐山との離婚の原因になった6歳年下のかっての恋人である。
凉太は結婚に失敗し、南の島から一人で上京、近くに引越ししてきたらしい。
凉太と別れて12年、現在の暮らしにどっぷりと浸かった知子は、何ほどの感慨もなく、遠い身内の感覚でその事実を受け入れていたはずなのだが。
半分は妻のものである慎吾の欠けた時間に、穴埋めのように凉太を誘惑してしまう。
知子は慎吾に対する貞操観念を抱えながら、生気のない、かっての恋人にエネルギーを注ぎ込むかのごとく凉太にも身体を与えてしまうのだった。

感想

寂聴さんは「私は自分がしっかりしてるから、どうしてもダメンズを好きになってしまうのね」って言ってましたね。
分かる気はします。
友人関係でも夫婦関係でもお互い似てる部分と補い合う部分の両方が必要ですよね。
知的レベルや倫理観、道徳意識が違いすぎても、好きという感情は生まれにくいように思います。
かわいい娘やイケメンを好きになってしまうのは、本能の仕業ですから、この際置いときますが、いびつであるから惹かれるという人間のひとつの癖が曲者なんでしょうね。
ただ、一般市井の人間にとってはタブーの感覚が強い俗に言う「不倫」、作家なら大目に見てしまうは、そこに非難を引き受け、己の感性に従って生き抜いて行こうという覚悟があるからのように思えます。
世間というものに守られてぬくぬくと生きていける側の人間が、世間のやぶすまにさらされても、何かを追求していきたいとする殉教者的立場の人間に多少の寛容を示すという図式なのかもしれません。
しかし、奥さんの気持ちには目をつぶってるわけですよね。
自衛のなせる術か想像力は停滞して、踏み込んでいくことが出来ない。
凉太とよりを戻すのも、凉太への同情に見せかけて、自分では埋めきれない空洞への補填材とした要素があったのではなかったか・・・。
結局、自分しか見てないという傲慢さが浮かび上がってきやしないですかね。
単にわがままであさはかと切っては捨てられないかもしれないけど、それが自分に忠実に生きることとも言えないような気がします。
「あふれるもの」の続編として「夏の終り」が書かれているんですが、結局凉太は捨て駒になり、半身の慎吾では決して完結し得ないという不毛感が結論にならざるを得ないというお話です。


写真は先日帽子を買ってくれたTさん宅のレモンちやん。ガチャガチャでとった被り物付けたのを友人であるYさんが送ってくれました。きゃわ♡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多分、どじった

2016-08-23 22:54:41 | 手芸いろいろ


先日買って来たキルト生地で、折りたたみポーチ(と勝手に名付けた)作りかけているんですが、せっかくのにゃんこが横向きになるみたいで、このままファスナー付けるか、迷ってます。
ルピアのイワサで、手芸教室の教材として飾ってあった見本を見て、「教えて貰いたいけど、時間が合わないなぁ」とつぶやいていたら、店員さんが、「簡単ですよ、型紙ありますから、写して家で作ったらいかがですか」と声をかけて下さったので、例によってうろ覚えの記憶をたどりながら作り始めたのですが、やっぱり手元に見本もなしで、ちゃんとしたもの仕上げるのはわたくしには無理だったみたいです。
性格がイケイケなので、完成品をイメージして、逆算して手順を決めるという当たり前の作業をさぼるんだな。
も一度、イワサで確認してこよう。
貝の口ポーチはキルト綿をはずして、作りました。
実はこれを作りたくて、この布買ったのでした。
猫の大きさが、ちょうどよかろ?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まったりの夜

2016-08-22 23:29:31 | 手芸いろいろ


何かと思いますよね。
毎年夏には地元のお地蔵さんに当番で灯明を灯す風習がありまして、今晩は拙宅の番でした。
何となくの思い付きで、ロウソクで照らしたお地蔵さん撮ってみました。たまにはちょっと変わった画像で気分転換というところです。



目が疲れるのに、ぶどうシリーズ揃えたいというこれも何となくの欲求に応えて、バネポーチ。



そんなテーブルに小さなお客さんが来たようなので、パシャリ。
早く涼しくならないかな。
この暑さで脳細胞が溶けて、認知症への扉が手招きしてる気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする