安心を得ると言うことは、穏やかさと求める事と、不可を無くすと言うことになる。
安心とはなんだろう?
物から得るものなのか、それとも感覚的なものなのだろうか?
安心は自らが手に入れる物ではなく、相手から与えられるものだと思っている人が多いのではないだろうか?
自らを守る意識が弱いのが私達日本人なのかも知れない。
周りを海に囲まれ人の流入が殆ど無く、独自の進化をしてきたと言ってもいい。
攻められ植民地になったことも無く、穏やかな国であり、外的から身を守る必要はなく、守られている中で生き繋いで来たため、内面的な強さを持つ必要が無かったのだろう。
生きながらえる為に必要なのは、外敵からではなく仲間の中から弾かれる事を恐れ、周りを気にしその流れに乗ることが守る事に通じ、異端児としては生きられず、共鳴することが生きるための手段で、私達は知らず知らずのうちに、その”すべ”が遺伝子の中に組み込まれ進化してきたのに違いない。
多勢に無勢、長い物には巻かれろ・・・・出る杭は打たれる。
今、陸の孤島であった日本は過去の物で、簡単に海を越えることができ、世界の情報を瞬時に見て取ることが出来る時代に入り、私達の中にすり込まれた遺伝子を排除しなければならない時代なのだろう。
自分の身は自分で守ると言う意識を強く持ち、貴方任せの考えを捨て、理屈で物事を考え”みんなに聞いてから考える”と言わず、自らが自らの選択肢を選ぶ強さを持たなければ、国が守ってくれる訳でもなく、周囲が守ってくれる訳でもない。
自分らしく生きて生きたいとの思いは強いにもかかわらず、いまだに大きな流れの中に身を置く安心感を捨てきれずにいる。