予算を観るとき、観る人の置かれている立場により、またその意識によっても変わってくる。
今、日本経済は不況の中にあり、かつて高度成長を経て、日本が安定期に入ったとき、豊かな生活を目指し、切磋琢磨した意識も忘れ、結局のところ日本を引っ張ってきた霞ヶ関の連中も、自分の保身の為、日本の国の行く末を案じる事も考えなくなり、4000以上もの法人を作り、国民から吸い上げた税金を自分たちのブレ~ンに流してきた。
一旦造り上げた組織は、そう簡単に解体することはできず、その組織の中には、働く人がいて、その家族が居る。
ここまで来て、まだ本当の危機感は感じておらず、何処かで景気回復を望み、自然の流れに身を委ねようとしているのだろう。
国も個人も、一年の生活にかかる費用は、金額の大きさは違っても、その手立ては同じで、自分の家族が生きていく資金が不足しそうになれば、生活費を借金し、生きていこうとは誰も考えない。
それをすれば、借金が膨らみ返済が出来ない事を知っているかだ。
まず、無駄を無くし、買いたい物を控え、食事を切りつめ、収入と支出のバランスの取れた生活を考える。
今年も年度末を迎え、国も地方も、相変わらず道路を掘り起こし、予算を使い切る為、同じ事をやっている。
自分のお金なら、使い切りなど考えず、もっと有効に使うことを考えるだろうが、役所の人も、国で働いている人も、結局自分の生活に影響しないお金を、意識なく配分しているのに過ぎない。
過去に、国や地方が作ってきた箱物も、競争入札で業者を決めていたが、結局落札された予算は、孫請けまでいっても補えるだけの予算を許していた。
競争入札本来の機能を果たせず、談合により予算は確保され、形だけ整えた中で、国の予算は殆どが人間の欲の中で使われていたのだろう。