テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

邦題

2013-05-13 23:52:09 | 脱線して底抜け
映画、小説、歌、演劇など古くから翻訳物の作品に親しんできました。
母国語のタイトルのままのもの、カタカナ表記にしたもの、直訳にしたもの、そして意訳、あるいは、一から創造したものまであります。
意訳以上のことをした作品には、印象に残っているものがけっこう有ります。
以前に少し紹介したフランシスの競馬シリーズを嚆矢にすると、かの菊池 光氏の名訳によるFor Kicksを”興奮”、Bankerを”名門”とタイトルしたあたり、上手いと感じさせます。ほかにはディックの”虚空の眼”など。音楽では古くはビートルズの”抱きしめたい”、”恋のアドバイス”、ピンクフロイドの原子心母、オジー・オズボーンの“暗闇にドッキリ!”など。映画では”グッドナイト・ムーン(原題Stepmom)”、”冷たい月を抱く女”、”天使にラヴソングを”たくさんあります。
こんなことをつらつらと考えていると、やたらと古い映画が見たくなってきました。
最近の映画は家でテレビで見るのが好きなのですが、古い映画はどっちかというと、映画館で見たいほうなので、困りものなのですが。