テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

鳥の声と人の声

2013-05-25 19:49:41 | 日記
最近クルマの中で、野鳥の声のCDをよく聞いています。
できれば、四季折々、場所により違う鳥の鳴き声を”聞き分け”て、「あ、あれは、アカショウビンの声だ」などと、思いながら目覚めてみたいという、ほのかな願望のためです。
幸い、ウチの近所には、住宅地ではありますが、結構野鳥たちがやってくるトコロで、年間で20種以上の野鳥が訪れているようです。
今の時期でしたら、4時過ぎには鳴き声が聞こえ始め、一時間ばかり、いろんな鳴き声を聞かせてくれます。
主な鳥の鳴き声は、”さえずり”(雄の繁殖期の声)、と”地鳴き”(短い)に分けられます。
不思議なのは、たとえば、ウグイスという種なら、雄のさえずりは、特有で、これは、文化的な伝播ではなく、遺伝子に組み込まれているに違いないことです。一方ウグイスの地鳴きは、非常に地味でヂッヂッという低い声です。ここで類推されるのは、さえずる雄にとって、固有の独特の節と音階、は、実は、メロディーや音楽に擬したなにかではなく、文字通り本能、種としての生命の叫びではないかということです。彼等は歌っているのではなく、渾身の思いで叫んでいる、だからこそ、種によってさえずりは千差万別であり、例えばヨタカの打撃音のようなさえずり、もの悲しいサシバのさえずり、トビの笛のようなさえずり、あるいはホオジロの一筆啓上仕り候(聞きなしと云われます)など、間違いようのない個性豊かなさえずりになっているのだと思うのです。
人にたとえるなら、オスのさえずりは、ウォーという鬨の声であり、メスの場合は、キャーという悲鳴がそれにあたるもので、歌声や会話やハミングは地鳴きにしか過ぎないのでしょう。