昨日のお仕事は、連合の女性集会でした。
(皆さんをお連れしただけー)
気が付けば「男女共同参画」という堅苦しい担当を
6年ぐらいやってることになります。
男女平等ということばは、
はじめのころ、女性だけが喚き散らしているようにみえたものです。
実はいまだに、この言葉があまり好きではありません。
結局のところ、男でも女でも、若くてもそうでなくても、
生きたいように生きることができればいいんだよね。
この仕事をしてて、仕事をしながら妻や母を続けるために
うんと苦労してきたカッコイイ女性にたくさん会いました。
でも、生きたいように生きるために、
そんなに難儀をしないでよいようにならないものか。
心が強くなくても、自然に生きたいよう生きられないものかなぁ。
最近の政治家さんが言っている「男女共同参画」は、
要は女性も働いてくれないと、子供を産んでくれないと
経済が動かないという、ひじょーに打算的なお話で、
わざわざ口に出して叱られないようにしているけど
「女はコドモ生産マシン」の感覚でやってるし、
「働く人が足りないから外に出て働いてね」って、
女は補欠選手かよ!って感じもする。
ま、だまされたふりして外に出てみるのもいいけどね。
男女共同参画関連の集会(特にお役所系)に行くと、
どこで仕込まれたのか、いわゆるバックラッシュ派さんが
必ずいう言葉があります。
「専業主婦で何が悪い!」
だれもそんなことは言っていないのです。
結婚して、あったかい家庭を作って、子供を産んで
ダンナさんが帰りたくなる家をつくる
(実はやってみたかった私。「すてきな奥様」憧れたわー)
それはひとつの、間違いなく素晴らしい選択肢です。
でも、その一方で、
仕事の面白さに生きがいを感じて、
同時に結婚も育児もしたい、という生き方も
これまた間違いなく素晴らしい選択肢。
そして、子供を育てるのに、
お父さんとお母さんが一緒に取り組んでいくのも
お母さんに任せて、お父さんが背中を見せるのも
どっちもありかな、と私は思っています。
でも、職場で「子供の保育園の時間があるから」といって
定時で仕事を終わろうとする部下に
「職場は戦場なんだ、戦線離脱するとは何事だ!」と
どなる上司がいるんだそうで。
そんな現象について、昨日の集会に参加されてた
東レ経営研究所の渥美由喜さんは
「黒船襲来におびえる幕藩体制」という例えをされていました。
いままでは男性にとって「職場は戦場」で当たり前で、
わざわざ口にすることはなかったはず。
言葉にして言わなければならない、ということは
危機感の現れではないか、とのこと。
なーるほどねー。
「お父さんのせなかを見せてれば、子供は育つ」世代のおとーさんにとって、
子育てにさくっと入り込む世代が増えていく現象は、
自分が理解できない時代の流れに呑まれていく恐怖。
まさにクロフネなのでしょうね。
(あっ、だから維新の志士ってみんな若かったのか→気づくのが遅い)
でもこれは、世代や時代の流れでつくられたものであって
どちらの生き方ももOKなんじゃないですか、おとーさんたち。
せめて、お互いの生き方を否定し合うのはやめましょ。