でぶぶろぐ

沖縄生まれ、小田原在住。
人生1/2世紀越え、
でぶな私のゆるゆるな日々。

かなしいとき。

2005-06-20 15:36:40 | Weblog
前の職場で、とてもかわいがってもらった上司が亡くなった。
私の前の職場は沖縄で、退職後に東京に出てしまったので、
退職後は上司が出張に来たときに年に1、2回飲むだけの付き合いになってしまっていた。
訃報を知って、迷ったあげく沖縄での告別式に駆けつけた。
飛行機の中で、思い出が次から次へと浮かび、まぶたが熱くなる。
会場で、遺影を見た瞬間、こらえきれずにボロボロ涙がこぼれた。
上司は、花に囲まれて、私をかわいがってくれたときと同じ最高の笑顔で微笑みかけていた。
タクシーで帰る道すがら、あの店も連れて行ってくれた、この店も連れて行ってくれたと思い出してまた涙。
おいしいものが好きで、小さな店が好きで、いわゆる「隠れ家」っぽい店が好きな上司だった。
そしてそんな店にいつも連れて行ってもらってた私。ごちそうさまでした。

東京に帰ってきて1週間以上経つが、予想以上に喪失感が大きく、とまどっている。
思った以上に、私の基盤となる部分にその上司ががっちり食い込んでいたのだなと思っている。

いま、友達同士で演劇をしているのだが、なかなかテンションをあげることができなくて困っている。
ただでさえ「演技をする」ということはテンションを上げなければならない上に、
私は超ハイテンションでその場を引っかきまわすという役どころ。
最近、身体の動きにとらわれて壁にぶつかってる上に、先週の一件もあって、
ここ2週間はすごくノリが悪い。みんなに迷惑をかけて申し訳ない。
芝居をしてるときだけでも、元気にならなければと思うのだが。

いちばん大変なのは、そばで見てるダンナだろう。申し訳ないと思う。
(やつあたりもしてるし)
もう少し感情のコントロールはならないものか。

鴻上尚史さんの「あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント」という本の中に、
「感情の教養」という言葉が出てきた。
役者サンだって「悲しい」ときでも「楽しい」演技をしなければならないこともある。
そういう時は「うそをつく」のではなくて、感情をスイッチする。
楽しいことを考えて、楽しい感情に持っていく。
胸がはりさけそうなときは「その原因を追求する」だけでもコントロールしやすくなるらしい。

ちょっと取り入れてみようかな。
(ダンナいわく、「そういう風に考えすぎるところがよくないんじゃないの?」らしい。
ごもっともです、ハイ)


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