○都心、48年ぶり零下4度 居座る寒気、水道も凍る
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13330110.html?ref=pcviewer
寒くて8時まで布団の中に。
LEO君の散歩をしなくては。
当然水道は凍って出ない。
バケツがカンカンに凍っている。
厚さは1センチぐらい。足では割れずスコップで。
居場所で気温を見ると−4度。
記念に自撮り。
はつらつ体操、トヨタ烏山店、薬局、整骨院、ヨーカドー、成城石井、クイーンズISETANと回って帰ってくる。
甲州街道、東八道路には雪なし。
連雀通りはたまに凍っているところあり。
何しろ寒い。昼間で3度以上にならないという低温気候。
調布の梅の湯でゆっくりあったまってきた。
○48年前の俺はどこで何を 1970年(昭和45年)1月17日。
どうも北志賀高原竜王スキー場田川山荘でアルバイトをしていたらしい。
叔父のガソリンスタンドを12月で退職し、ツテを頼って田川さんのお世話になっていた。運良く運転免許を取得できたので番頭として働けた。ここで雪道の運転を叩き込まれた。轍走行の名手となった。本人はそう自覚しているが、乗っている人は恐怖のようだった。買い物で中野まで出かけたり、観光協会の会長の運転手で飛び回っていた。
そのころの竜王スキー場は全くの無名で小さなスキー場だった。誰も知らないところで寝泊まりするのは初めて。結構長い間いた。
ここで人生が変わった。人見知りの性格が少し改善された。ガソリンスタンドの経験が唯一生きたのはお客様対応だった。「いらっしゃいませ」が言えるようになった。地元の人には可愛がってもらった。本当はお礼に行かなくてはいけないのだが・・・。
知らない人との出会い、そこから夢をもらった。「お前みたいなやつが、働きながら学ぶ学校の先生になれよ」と。そのころ書いた雑文。
POEM
遠く夜空に星をあおぎ
おのれの人生を、かなた遠くの天に祈る
その時のためいきとともに
人生のはかなさを感じる
無情の雨
この俺の気持ちも察しないで
心の奥底までもしみいるようにつき進んでくる
俺はこれを何でくいとめればよいのだ
真実か・・・・?
瞬時の楽しさとははかないもので
すぐその場で忘れてしまうものである
友情とはどんなものであろうか
又青春とははかなきものではなく
何物であろうか?
あの山々をつらぬくあお空のように
けわしく、またきよらかに
しかし金利的なこと関係なしに
この自然が好きならそれでよいではないか
それ以上望むのは楽観的すぎるのではないか
俺も今年で24才になった
しかし、以前に本当に自分が欲している職業というのはみつかっていない
一生見つからないかも知れないが、それを探求するのが俺の人生だと思う
又二日間家に閉じ込もりで本を読むぞ
絶対誰にもじゃまにされないで
○零下とマイナスの違いは?
https://yurai777.com/hyoutenkareika