少し前のこと。
4月29日(月:祝日)、佐倉市の「旧堀田邸(さくら庭園)」「佐倉順天堂記念館」「武家屋敷」の3館を巡って来ました。「特別公開日」にあわせて、友人7人と訪れました。特別公開日の旧堀田邸は、書斎棟、居間棟2階など通常非公開な部屋が見学できます。
当日、9:00過ぎにJR佐倉駅に集合し、先ずは徒歩(約20分)で「旧堀田邸(国指定重要文化財)」に向かいました。
道を間違えて遠回りになり、9時半の開館を過ぎてしまったため、既に多くの見学者が来ていました。
こちらで3館をお得に回れる「三館共通入館券(540円)」を購入し、「文化財ボランティアガイド佐倉」の方に案内して頂きました。
余談ですが旧堀田邸には雨戸が159枚あり、毎日30分かけて開けるそうです。
「旧堀田邸」(玄関棟)玄関の「起(むく)り破風」
最後の佐倉藩主「堀田正倫(まさとも)」の邸宅で、明治4年(1871年)の廃藩置県後、華族として東京に移住していましたが、明治20年に佐倉に戻り、後半生を農業と教育の発展に尽くそうと、明治23年(1890年)に故郷佐倉に建てて移り住んだ屋敷。
「またぎ鬼瓦」に家紋の「竪木瓜(たてもっこう)」、その下に「懸魚(げぎょ)」
国指定名勝「旧堀田正倫庭園(さくら庭園)」。平成11年に大規模な補修復元工事を行い、庭園と共に一般公開。
今は大きな木で見えませんが、昔は田んぼが見えていたそうです。(JR佐倉方向)
ガラスは手づくりのゆらゆらガラス。和風の庭。奥は芝生の洋風の庭。
往時の堀田邸は敷地面積3万坪の広さがありましたが、今は3分の1ほどの広さです。
廊下の杉丸太(6間)
各種行事や接客に使用していた「座敷棟」。邸内で一番広い部屋。床の掛け軸は「楽(らく)」と書かれており、正倫の甥で最後の高崎藩主「大河内輝声(てるな)」の書です。
「襖」の柄はお目出度い「松喰い鶴文様」の「金箔押し」
128年前の「菱格子欄間」
「雛止め」の長押と「桐の釘隠し」このほか「橘」「楓」の釘隠しがあります。
「居間棟」の床。床柱は「鉄刀木(たがやさん)」。天袋・地袋は「跡見花溪画」
インド更紗(布)の引戸
「居間棟」二階にあがる急勾配(60度)の階段。手摺が無く、上がるのに難渋します。
居間棟二階からみた「書斎棟」(通常非公開)
「書斎棟」上の間の数奇屋づくりの床
「西陣織り」を張った天井
続いて向かったのは「佐倉順天堂記念館」
「順天堂」は、1843年に蘭医・佐藤泰然が、蘭医塾兼外科診療所として創設したものです。
現在の記念館の建物は1858年に建てられたもので、昭和50年(1975年)に千葉県指定史跡に指定されました。
泰然は佐倉で開業した時に、この「順天堂」という堂号を用いました。
”順天”とは「天道に従う」、すなわち「自然の理に従う」ということを意味するそうです。
昼食は蕎麦処「川瀬屋」でとり、続いて、「武家屋敷」へ。
土塁や生垣にも城下町佐倉の面影を今に残す武家屋敷通り。
「旧河原家住宅」など身分の違う3棟(旧但馬家、旧武居家)の建物が見学できます。
どの住宅も簡素なつくりで、武士の質素な暮らしぶりがうかがえます。
「河原家住宅」(千葉県指定結家文化財) 佐倉に残されている武家屋敷では最も古いもので現在の地に移築復元したもの。
甲冑などの展示
小屋組み。天井はありまぜん。
こちらは「旧河原家住宅」の土間。台所に二連の竈
佐倉 サムライの古径(こみち)「ひよどり坂」。
武家屋敷通りに隣接した江戸時代とほとんど変わらない竹林に囲まれた古径
門などの建物は明治初期に取り払われ、大手門跡から西の台地が城址公園として保存され、水堀、空堀などしかありません。
無料開放されていた「くらしの植物園」で「さくら草(写真)」の展示などを見学。
「国立歴史民俗博物館」:日本の歴史と文化を全時代にわたって研究・展示する唯一の博物館。
このあと「佐倉城址公園」内を抜けて、「京成佐倉駅」から「京成船橋駅」まで京成本線に乗車し、予約してあった船橋で飲んで帰ることにしていましたが、飲み会の店があまりにも高くてろくに注文もせず、早々に引き上げました。