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世界半導体市場統計が示した日本の衰退 【連載】頑張れ!ニッポン④

2024-10-03 05:26:30 | 【連載】頑張れ!ニッポン

【連載】頑張れ!ニッポン④

世界半導体市場統計が示した日本の衰退

釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)

 

▲マイセンの街並み

 

世界48の半導体メーカーが加入

 かなり以前から、半導体は時代の先行きを占う産業として注目されていた。そこで世界規模の統計の必要性が認識され、主要半導体企業から成るWSTS(世界半導体市場統計)という組織が設立される。設立以来35年の歴史を有し、今や現在世界48の半導体メーカーが加入しているのだ。

 加入メンバーは毎月の売り上げをWSTSに報告しなければならない。その集計データをもとに、世界の半導体出荷額が計算され、報道機関に公表されている。
 またデータはメモリ、マイコンなど細かい品種ごとに集計される。出荷先の4地域(米国、欧州、日本、アジア・パシフィック)ごとにも集計されるデータから、日本市場の世界に占める割合が低下している事が分かるというわけだ。

 ここで注意を要するのは、これらのデータには台湾のTSMCのようなファンドリーメーカーは対象外となっている事である。何故なら、ファンドリーメーカーは他のメーカから頼まれてチップをつくり、それを頼まれたメーカーに戻し、頼んだメーカーが自社ブランドの名前で世に出荷するからだ。
 例えば、携帯電話向けのプロセッサで世界ナンバーワンのファブレスメーカーであるクアルコムは、TSMCにチップの製造を委託し、TSMCは完成したチップをクアルコムに納めている。しかし、市場に出すのはTSMCではない。あくまでもクアルコムである。
 少しややこしいが、出版業に例えるとイメージが湧くかもしれない。我々が本を買う時、講談社とか集英社、あるいは小学館から出版された本を購入するが、その時本を印刷した大日本印刷や凸版印刷のことは意識しない。
 印刷会社が半導体で言えばファンドリーメーカーに相当すると思えばいい。まあ、一般の人にとってはどうでもいい事かも知れないが、今やファンドリーメーカの雄TSMCが熊本に大工場を建てつつあり、人々が関心を持っていると思うので、敢えてややこしい話をしている訳である。

毎年春秋に観光地で予測会議

 WSTSの場合、毎年春と秋に向こう3年の半導体市場予測を行い、それを公表している。各地域から代表が集まり予測会議を開催する。日本代表はEIAJ(日本電子機械工業会)で活動をしている主要半導体メーカの担当者で構成されている。
 予測会議では、半導体製品の出荷実績をベースに向う3年間の市場予測を議論する。その中では、半導体のエンドユーズマーケットの動向や各地域のマクロ経済動向などについても議論する。その議論をベースに半導体の市場予測を品種ごと、地域ごとに決めるのだ。会議は月曜日から金曜日まで、毎日朝9時ごろから夕方5時まで続きく。かなりハードなスケジュールなのである。
 ちなみに、予測会議を行う場所は毎年春と秋に米・欧・日・アジア・パシフィックの4地域で順番に選び、その場所に世界各地域の代表が集まる。
 予測会議の場所は、観光地として有名な都市になる事が多い。例えば米国ではモントレー、サンディエゴ、ニューオリンズ、ハワイなどで開かれた。欧州ではウイーン、パリ、ロンドン、リスボンなど。観光ばかりしていると思われても仕方ない所ばかりだ。
「出張するたびに観光に行っている」
 と誤解されたものである。
 しかし、実際は上述の通り、毎日朝から夕方までホテルの会議室に缶詰めで、ハードな作業をやっていた。もちろんEIAJからの代表メンバーは、現地入りの前後で市内観光はしている。そのお陰で表面的であるが、私も世界中の都市を見ることができて、視野が少し広くなった気がしたものだ。

30年前に韓国代表団から私に質問が…

 1990年代後半に日本の半導体が衰退へ向かい始めたころ、韓国の代表団の1人が話しかけてきた。
「日本は最近少しおかしくなっているけれど、大丈夫? この先の見通しはどうなの? じきに回復するよね」という趣旨の話だった。探るような目つきだと感じたのは、こちらの僻みかも。
 私はどんな応答をしたか覚えていないが、いずれ回復へ向かっていくようなことを言ったのだろう。事実、当時は誰もこのまま30年も低迷するとは思っていなかった。
 既にファンドリーが台頭しつつあったが、「所詮、人の製品を下請けで作っている所だよね。自分で設計や開発が出来ないから…」という認識が強かったのである。
 また、ファブレスメーカーが米国で誕生していたが、「自分で工場を持てないから、ファンドリーに頼んで製品をつくるしかないよね」という認識でもあった。ましてや2000年代にこれらが大きく伸びて、ついに半導体業界の主導権を握るようになるとは思わなかったのである。

▲マイセンで工場見学

▲今もコーヒーはマイセンのカップで

 固い話が続いたので、最後にWSTSの予測会議でのエピソードを少し紹介しよう。
 朝から晩まで会議室に缶詰めになって作業に明け暮れたように言ったが、勿論そんな事ばかりでは身が持たない。実は会議最終日の金曜日は少し早めに終わって、ホスト側がいろいろなエンターテイメントを提供するのが恒例だった。
 開催地域のホスト役が色々趣向をこらして参加者をもてなすのである。日本が当番の時は、京都、熊本、沖縄などで予測会議行ったが、京都の都ホテルでは、舞子さんを呼んで踊りを披露して貰った。もちろん、欧米からの参加者に大いに受けたのは言うのでもない。
 欧米からは、夫婦同伴での参加者が居て、ディナーの時どこからともなくご夫人達が現れるのであった。因みに海外での予測会議には、日本から夫婦で参加した人は誰も居なかった。
 私が印象に残っているのは、ドレスデンでの予測会議で最終日に行われた近郊のマイセンの工場見学である。そこでコーヒーカップとソーサをお土産に購入した。今でも私はそのカップでコーヒーを楽しんでいる。

 

 

【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】

昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)


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