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山崎眞海将の証言 フォークランド紛争が海自の兵力装備を変えた!

2024-09-20 05:30:22 | 特別記事


【山崎眞海将証言】

フォークランド紛争が 海自の兵力装備を変えた!

 

 1982年に起きたフォークランド(マルビナス)紛争。本ブログ編集人は当時、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスとその周辺に1カ月近く滞在し、情報関係者を中心に取材しました。あれから42年―。時の経つのは、早いものです。本ブログでは、「【特別企画】42年前からのフォークランド紛争から学ぶ」を今年6月10日から8月6日にかけ5回に分けて連載しました。その特別企画を読まれた元海自自衛艦隊司令官の山崎眞海将からメールが送られてきました。メールには、こんなことが書かれていました。山崎海将はフォークランド紛争直前、防衛庁海上幕僚監部の防衛課に着任したばかり。同課で水上艦艇全般を担当し、昭和58年度予算で建造する護衛艦(「あさぎり型」)の要求性能を作成する責任者でした。ところが、この艦を予算要求する過程でフォークランド紛争が勃発。そのお陰で、予算要求の中身に大きな影響をもたらすことになったそうです。山崎海将は海上自衛隊を退官後、月刊『軍事研究』の2018年の4月号から2年間、「一海上自衛官の回想」を連載しました。2018年9月号が連載の6回目で、タイトルは「海幕における艦船施策」。一体、フォークランド紛争の勃発で予算要求がどんな影響を受けたのでしょうか。大変興味深い内容なので、本ブログに山崎海将の注釈も交えて再現することにしました。(本ブログ編集人・山本徳造)

 

一海上自衛官の回想⑥
海幕における艦船施策

山崎眞(元自衛艦隊司令官)

 

防衛班での最初の仕事は護衛艦「あさぎり 」の要求性能作成であった。ところがフォークランド紛争で英国海軍が艦船6隻を失ったことで、護衛艦の防空態勢について疑問が出始めた。


 1982年3月に勃発した英国とアルゼンチン間のフォークランド紛争が、4月に入るとフォークランド島への双方の上陸合戦にエスカレートしてきた。

 フォークランド紛争は、冷戦下において、近代化された軍同士による初めての紛争であり、最新型対艦ミサイルを搭載する(アルゼンチンの)近代的ジェット戦闘機と最新の対空ミサイル等を装備する(英国の)戦闘艦が初めて戦い、その結果は多くの教訓をもたらした戦いであった。教訓は、その後の海自の艦艇の設計思想等にも大きな影響を与えた。
 
 最初に、1982年5月2日、アルゼンチン海軍の巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」(満載約1万2000トン)が、英国海軍原子力潜水艦「コンカラー」が発射した魚雷4発(2発命中)により撃沈され多数の戦死者を出した。(注:これによりアルゼンチン海軍の艦艇は行動の自由を奪われた)しかしながら、その後、英国海軍の艦船は、アルゼンチン空軍の果敢なミサイル攻撃等により大きな損害を被ることになった。

 英国海軍の最初の犠牲は、駆逐艦「シェフィールド」(満載約4800トン)であった。同艦は僚艦二隻と共に、5月4日朝、フォークランド島の南東数十マイルにおいて行動中の、空母「ハーミーズ」を旗艦とする英国主力機動部隊のレーダー警戒及び防空艦としての任務に就いていた。
 一方、アルゼンチン空軍のフランス製シュペール・エタンダール戦闘機は、味方哨戒機が英防空艦の電波を探知したとの情報により直ちに空軍基地を発進した。哨戒機の誘導の下、英艦隊に超低空で接近し、最終的に機上レーダーにより英防空艦を探知した。
 シュペール・エタンダール戦闘機二機は、フランス製の最新式対艦ミサイル「エクゾセ」(Exocet)を各機1発ずつ発射した。うち一発が英防空艦「シェフィールド」の艦橋後方右舷に命中、ミサイルの弾頭は爆発しなかったが、ミサイルの固体燃料ロケットが命中後も燃焼し続け、艦内の燃料等に延焼し、懸命の消火活動にも関わらず火災は拡大した。
 遂に火災は消火不能となり、弾薬が誘爆する恐れもあり、総員離艦が下令された。駆けつけた僚艦の消火活動により火災が鎮火後、艦は近くの島に向け曳航されたが、10日昼頃、遂に破口からの浸水や消火水等により沈没した。

▲沈没3カ月前の英駆逐艦「シェーフィールド」
   

 火災拡大の大きな要因は、艦内の隔壁、通風管、仕切弁などがアルミ合金製であり、火災の熱で溶解してしまったこと及び電纜(電線)の被膜が燃焼したため、火災の他区画への延焼を止められなかったことであった。艦内における火災の熱は、約1000℃になるが、アルミ合金の融点(熱により溶ける温度)は約660℃であるため、隔壁等が熔解してしまった訳である。(注:隔壁が溶解すると火災や浸水が他区画にも拡大する)船体自身は、融点が1150~1500℃の鋼鉄(スチール)を使っており、火災により熔解することはなかった。
 当時、軍艦の構造物、特に上部構造物は、重量軽減のため、アルミ合金が使われることが多かった。(「シェフィールド」の上部構造物はアルミ合金ではなくスチールを使用していた)
 概略の数値ではあるが、アルミ合金は、鋼鉄の約2倍の厚さで鋼鉄とほぼ同等の強度があり、それでも鋼鉄の約半分の重量である。このため、重量制限が厳しい軍艦では、船体を除いて、アルミ合金が使われることが多かった。

 軍艦におけるアルミ合金の構造物と火災の問題は、これより七年前に、ある事故により既に表面化していた。
 1975年11月、米海軍巡洋艦「ベルナップ」(満載約8900トン)は、夜間地中海で空母「ジョン・F・ケネディ」(満載約8万3000トン)を護衛中に、空母「ケネディ」と衝突した。
 空母の飛行甲板左舷張り出し部分の下に、「ベルナップ」が突っ込んだため、その上部構造物が空母の航空燃料管を破壊した。燃料管から噴出した航空燃料は、「ベルナップ」の上部構造物に降り注ぎ、火災を発生、「ベルナップ」の上部構造物は全て熔解した。

▲衝突・火災後の「ベルナップ」

 

「ベルナップ」では、上部構造物の重量を軽減するため、アルミ合金が使われていたのである。衝突後、公開された写真は衝撃的であった。空母ケネディは、この事故のあと、米海軍で「CAN OPNER(缶切り)」というあだ名をつけられた。
(注:リチャード・ウイドマーク主演の映画「駆逐艦ベッドフォード作戦」に登場する最新鋭巡洋艦クーンツ級の上部構造物はすべてアルミ合金であった)


▲「駆逐艦ベッドフォード作戦」のポスター


 米海軍では、この教訓により、イージス駆逐艦「アーレイ・バーク」(1991年就役)以後は、排水量とコストの制約を乗り越えて上部構造物でのアルミ合金の使用を止め、鋼鉄を使用することになった。

 アルミ合金は、融点以外にも軍艦の構造部材としては問題があった。アルミ上部構造物のスチール製船体への取り付け部では、ひずみにより亀裂が発生することが多かった。また、弾片等がアルミ合金に当たった場合、アルミの破片(スプリンターと称する)が飛び散ることが実証されていた。これに加えて、ある記者会見で、海自の高官が「アルミは燃える」と誤って発言したために、アルミ業界から猛抗議を受けたこともあった。

 筆者は、ミサイル護衛艦「あまつかぜ」のミサイル発射訓練で派米中に、ロサンゼルスで衝突当時の巡洋艦「ベルナップ」艦長(退役)との会食に同席したことがある。
 艦長は、衝突時、艦橋には居らず士官室で映画を観ていたので、軍法会議で衝突の責任を問われることはなかったということであった。衝突の責任は、すべてブリッジに居た当直士官にあるとされた。海自の常識から考えると、やや頭を捻りたくなるような話であった。(注:海自では、すべて艦長の責任になる)

 海上自衛隊においては、昭和52年度護衛艦(52DD はつゆき型)において、列国海軍と同様、既に上部構造物にアルミ合金を使用しており、これに対する対策と、これから予算要求する58年度護衛艦(58DD あさぎり型)において、アルミ合金を鋼鉄に代えるための設計変更などの問題が持ち上がった。

 折しも、海幕の組織編成の変更が昭和57年7月1日付で実施され、防衛班の要求性能グループは、新設の防衛部装備体系課に横滑りで移籍されることになった。装備体系課の中には、装備体系第1班、第2班、第3班及び研究班が新設され、第1班は総括及び陸上システム等、第2班は艦船、第3班は航空機、研究班は研究開発等を所掌することになった。各班には、各分野で経験を積んだオペレーターのみならず専門の技術幹部も配置された。(注:白井健康元気村の玉井秀幸村長は第3班の班長を務められた)

 そもそも装備体系課の新設は、ポスト四次防(昭和52~54年度)以降、護衛艦や潜水艦の近代化並びにP-3Cの導入及びヘリコプターの改造・近代化などと共に、デジタルコンピューターの時代になりつつあり、各種装備において多様な研究開発が必要になってきたこと、これに的確に対応するために、装備を体系的に考察して、時代を先取りし具体的に推進する組織が必要になったことによるものである。各種装備の要求性能を、任務を基準にして多方面からの検討を加え、最適のものにまとめ上げるには、この様な組織が不可欠である。

 58年度護衛艦(58DD)の要求性能は、防衛班の時に海幕長(前田優海将、海兵73期)の決裁を得ていたが、その内容の詰めと具現化には、幾つかの課題が新たに生起していた。その中で最大の問題が、アルミ合金の使用など艦の防御力と抗たん性に関わるものであった。この時点で設計段階の52DD型(56DD及び57DD)については、可能な限り上部構造物をスチール化するとの方針により、設計が変更され、上部構造物は全てスチールとした。これにより、上部が重くなったので、重心を下げるために船体(スチール)の鉄板厚さを増した。これにより防御力及び抗たん性は、大きく改善された。

 58DD(あさぎり型)については、当初から全スチール製に設計変更した。また、ミサイル命中による被害を極限するためにエンジンルームをシフト配置(左右推進器に繋がるエンジンを前後に並んだ2つの区画に分けて配置する)とし、この2区画の間に緩衝としてもう一つ別の区画を設けた。このため、船体の長さは52DDより7メートル延長され、137メートルとなった。基準排水量は100トン増加して3500トン(満載5200トン)になった。

▲護衛艦「あさぎり」

 

 フォークランド紛争において、アルゼンチン軍戦闘機などのミサイル攻撃等により、英国海軍が艦船6隻(駆逐艦2隻、フリゲート2隻、揚陸艦1隻、コンテナ船1隻)を失ったことにより、海自の護衛艦の防空態勢は大丈夫なのかという疑問が海幕内で出始めた。
 英国軍艦がミサイル攻撃を防ぎきれなかった要因はいくつかあり、
①空中早期警戒機(注:米海軍は空母搭載E-2D、自衛隊は空自E-2D)を欠いたため、空母戦闘機シーハリアーによるアルゼンチン戦闘機要撃のための時間的余裕を確保できなかったこと(艦隊の防空体制の不備)。

②電子戦装置の有効活用ができず、戦闘機レーダーの電波を探知できなかったこと及びミサイルに対する有効な電子妨害が出来なかったこと。(電子戦対策の不備)

③英国駆逐艦は、中距離防空ミサイル(シーダート)又は新式短距離防空ミサイル(シーウルフ)を装備していたが、近距離自艦防御のための装備(CIWS:Close in Weapon System)を装備していなかったこと(縦深防空体制の不備)などが挙げられる。

 ここで海自に目を向けると、

①の問題は、海自は空母を保有していないため、機能の欠落があり、英国海軍より防空体制が劣っていた。しかし、昭和63年度からターターミサイルシステムの後継として、イージスシステムの導入を始めたことにより、防空態勢が大幅に改善された。

②については、多分に英国海軍のオペレーション上の問題があった。「シェフィールド」の場合は、僚艦が発射したチャフ(CHAFF:電波欺瞞のため空中に散布する金属細片)により、戦闘機が目標を逸れて「シェフィールド」に向かって来たものであり、英国海軍徴用コンテナ船「アトランティック・コンベイヤー」(沈没)の場合も各艦艇が発射したチャフにより対艦ミサイル「エクゾセ」が目標を逸れて本船に命中したものであった。「シェフィールド」の場合は、電波探知機の配員上の問題もあった。
 海自護衛艦の電子戦装置は、国内開発による装備が搭載されており、昭和60年度からは、ミサイル警戒・防御に特化した電子戦装置も搭載されている。

③については、海自は昭和51年度計画護衛艦「くらま」から高性能20ミリ機関砲(CIWS)の装備(注:この装備は、1996年RIMPAC(環太平洋合同演習)において、海自護衛艦が米軍機を誤って撃墜したことがある)を開始しており、以後すべての護衛艦にCIWSを装備し、近接対空防御に万全を期している。

 

(★以上が『軍事研究』(2018年9月号)に掲載された山崎海将の「海幕における艦船施策」に海将自らが注釈を加えたものです。じつに貴重な資料と言えるでしょう。なお、文中の漢数字は、通常使われるアラビア数字に変換しました)

 

【山崎眞さんのプロフィール】

昭和16(1941)年11月、岐阜県高山市生まれ。昭和40(1965)年3月、防衛大学校(9期、機械工学科)卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「あきぐも」艦長を経て、昭和60(1985)年に米国海軍大学校に留学する。帰国後、第1護衛隊群司令、練習艦隊司令官、海上幕僚監部装備部長、大湊地方総監などを歴任して平成10(1998)年7月に自衛艦隊司令官に就任。同年8月、北朝鮮のテポドン1弾道ミサイル対処を指揮し、翌年3月には能登沖不審船対処(わが国初の海上警備行動)を指揮したが、この年の12月に退官した。平成24(2012)年2月まで日立製作所および伊藤忠商事顧問、BMD国際会議、米海軍水上艦協会(SNA)シンポジウム、ISA(International Studies Association)Conventionなどに参加。現在、全国防衛協会連合会常任理事、日本国際政治学会会員。

 

 


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