
【連載】呑んで喰って、また呑んで㊱
二日酔いの私は連れ去られたが…
●フィリピン・マニラ
あー、呑みすぎた。後悔先に立たずである。頭がフラフラするどころか、ひどく痛い。本来なら、ベッドに戻ってもうひと眠りしたいところだ。しかし、この日ばかりはそうはいかない。マニラに行かなくてはならないのである。
時計を見ると、えー、もうこんな時間か。フライトの出発時間が迫っている。のんびりしてられない。昨夜は夕方から呑み始めて、明け方近くまでスクンビットのバーを転々とした。誰と呑んだかも定かでない。1985年のことだったから、もう30年以上も前の話である。
顔も洗わず、タクシーを拾ってドンムアン空港へ急いだ。当時の国際線は今のように洗練されたスワンナプーム国際空港ではなく、小汚いドンムアン空港だった。さて、一体何の目的でマニラまで行くのか。
その数日前、東京から滞在先のホテルに国際電話が入った。報道写真家のMさんからである。人質救出作戦を手伝ってほしいと言うのだ。この年の1月、フリーカメラマンのIさんが、フィリピンのイスラム系反政府ゲリラのモロ民族解放戦線(MNLF)に拉致された。
しばらくして、日本大使館にMNLFから連絡が入る。彼らの要求はこうだ。マシンガン100丁と30万ドル(約7000万円)と引き換えにIさんを「解放」するというのである。しかし、日本政府は弱り果てた。そんな要求はのめないからである。そんなわけで、いつしか交渉が宙ぶらりんに。
Iさんの家族も困り果てた。そこでIさんの友人たちに相談したところ、回りまわってMさんに話が。Mさんはフィリピンの取材を何度もしており、イスラム関係にも顔が広いからだ。が、一人では心もとないので、バンコクで暇を持て余している私を誘ったというわけである。私なんか何の役にも立たないだろうが、まっ、カバン持ちでもやってあげようか。そんな軽い気持ちで引き受けた。
案の定、機内でもドライ・マティーニを何倍もお替りすることに。飛行機の中は、タダでアルコールが吞める。たとえ二日酔いでも、「呑まないと損」という気持ちが強かったのだ。
で、マニラに着いたときには完全に千鳥足。飛行場の外に出て、タクシーを拾おうとしたところ、全身下品という感じの男に声をかけられた。
「タクシーはこっちだよ」
酔っぱらっていたので、警戒心がほとんどなくなっていた。誘われるがまま一台の車に誘導された。
「あれっ、これ、タクシー?」
「そうだ、そうだ」
そして、無理やり後部座席に押し込まれた。すると、私の横に男が座る。声をかけた男ではない。もう一方のドアも開き、別の男が乗り込んできた。両脇から屈強な男2人に挟まれたのである。しまった! が、もう遅い。前に運転手と助手席に私を誘導した男がいる。車は発進して、空港からどんどん離れていく。こうして私は誘拐された。人質になったカメラマンを助けに行った私が誘拐されるとは、洒落にもならない。
「お金、いくら持ってんの?」
と助手席の男が片言の英語で尋ねた。
「カネ? ほとんど持ってない」
そう答えると、
「冗談は言うな!」
と男は男は語気を強めた。
左隣の男が私のポケットを調べ始める。ジーンズの右ポケットから出てきたパスポートを見て、日本人だと分かると、
「へっ、お前、日本人かよ。お金持ちなんだ。いいから、お金、よこしな」
「だから、さっきから言ってるだろ。ないって」
右隣の男も加わって、私の服という服を調べました。が、出てきたのは米ドルで20ドルとちょっとだけ。マニラに先回りしているMさんが軍資金を用意しているので、現金はほとんど持っていなかった。
「ほんとだ。おまえ、本当に日本人か?」
「ああ、貧乏な日本人だ」
仲間うちで何やら言い争いが始まる。タガログ語ではないから、南部のビサヤ語だろう。雰囲気としては、私を殺して捨てるか、可哀そうだから空港まで戻そうとか言っていたに違いない。結局、穏健派が勝利したのか、車はUターンして空港へ。私を誘った男が言った。
「お前は幸運な男だ。解放してやるから20ドルだけよこせ」
「20ドルも渡したら、マニラのホテルまで行けないじゃないか。10ドルにしろよ!」
「うー、仕方がない。いいだろう」
別れ際に、男が言いました。
「いいか、この空港は物騒だ。だから、黄色のタクシーに乗るんだぞ。それなら安心だ。じゃあな」
なぜか握手してにこやかに別れた記憶があるので、その時点でもかなり酔っぱらっていたのだろう。
▲マニラの空港では黄色いタクシーに乗ること!
ちなみに、この救出作戦は失敗に終わる。数カ月後、ある世界の大物がMNLFとの交渉に乗り出し、拉致から14カ月後にIさんは無事解放されることになる。何でも多額のカネが支払われたそうだ。しかし、私はたった20ドルで解放された。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。複雑な気持ちで呑んだウイスキーのストレートが、いやに苦かった。