デラウェア大学のバイデン文書
前の記事でハンター・バイデンのパソコンからジョー・バイデンの車庫に機密資料が入っていたボール箱がハンターに開けられ、機密を勝手に使用したらしいと書いたが、その後さらにハンターが機密文書をコピペして当時のパートナーだった Devin Archerとウクライナのブリスマの社員に送ったことが発覚した。しかもメールを送信した1週間後にジョー・バイデンがウクライナを訪問し、ハンター・バイデンがブリスマ社から8万3000ドルのサラリーの高級顧問となったのである。これはバイデンが車庫に放置していた国家機密がバイデン一家の国際汚職に使われていた証拠である。
ジョーバイデンが国家機密をあちこちに放置していた事実はすでに4箇所で発見されている。しかもバイデンが上院議員時代だった時も勝手に機密を持ち出して各地に放置していたのである。それゆえ今ではバイデンがデラウェア大学(UD)に贈呈した「上院議員時代のジョー・バイデン資料」にも国家機密の資料が有るかもしれないという疑問が起きて、新調査の要求が高まっている。これは別に新しいことではない。デラウェア大学が資料提供を拒絶したため問題化しているのである。
ジョー・バイデンは2021年、彼がオバマ時代の第1回目の副大統領の任期が終わる頃の2012年6月6日、上院議員時代の資料文書をデラウェア大学に贈呈した。これは今では「UD-JB Documents」と呼ばれ、内容は1850箱以上の文書及び415ギガバイトの電子資料である。
これだけ膨大な資料は大型トラック3台で運んでも足りないが、誰が運送資金を提供したのか、資料を納めた部屋が何処にあるか、などいろいろ疑問がある。
バイデンの機密保持の杜撰さから見れば、過去数十年の政治活動でバイデンが勝手に機密を持ち出した可能性はDOJ(司法省)とFBIが率先して調査すべきだし、DOJが調査しないなら国会が調査すべきである。
デラウェア大学の元学長Patrick Harkerの2011年の談話によると、UD-JB Documentsとは「過去数十年の米国の国策と外交資料の宝庫」であると言う。しかし、バイデンは大学との間にUD-JB Gift Agreementと言う約束があり、この資料はジョー・バイデンの政治生涯を終えた2年後まで一般公開されないことになっていると言う。但し一般公開ではなく、特別な状況で資料調査を要求することはアメリカの情報公開法(Freedom of Information Act=FOIA)で可能なはずだ。
Judicial Watch(監視グループ)が2020年にデラウェア大学に資料提供を要求したところ、大学側はバイデンとのギフト約束を盾に資料の提供を拒否した。それで2020年7月にJWとデイリーコーラーニュース財団は、この案件をデラウェア州最高裁判所に提訴したところ、デラウェア州最高裁もまたJWの提訴を却下した。
そこで2023年1月にJWとデイリーコーラーニュース財団はデラウェア州最高裁に提訴すべく、Appeal Brief(上訴理由文書)を発表した上にギングリッチ元上院議長や上院議員に経緯の説明をした。またこの件についてJonathan Turley大学教授はFoxnewsの対談で、ジョー・バイデンはデラウェア大学との資料守秘約束を解消した上で資料を公開すべきである」と述べた。
前の記事でも述べたように、国家機密文書を閲覧するのは簡単ではないし、持ち出しはほとんど不可能である。クルーズ上院議員によると上院議員が機密書類を閲覧するには国会の地下何階にある鍵のついた部屋を何箇所も通ったあとで機密閲覧室に入り、文書を取り出す際は書類と閲覧者の登記をした後で「室内で」読むことができる。文書を読み終えたら返還する際にまた登記を済ませてから室外に出ることができると言う。
機密を持ち出した人は直ちに処罰される。CIA長官だったペトレアス大将は機密を自宅の金庫に納めていたことが発覚して即免職となった。クリントン時代のNational Security AdvisorだったSandy Bergerは機密文書を下着の下に隠して持ち出そうとして即免職となった。バイデンだけが処罰されないのは全く不可解である。バイデンは放漫な機密文書扱いを自宅のガレージとオフィス、それにバイデンセンターにも放置していた。しかもボール箱に入った機密書類を息子が持ち出して外国にメールしたのである。
ああ、それなのになぜDOJはバイデンを即免職にしないのか。なぜ国会はバイデンを弾劾しないのか。