【連載】呑んで喰って、また呑んで㉝
名物記者とアイリッシュ・コーヒー
●タイ・バンコク
▲「サイゴンから来た妻と娘」(文春文庫)
「美味しいアイリッシュ・コーヒーを飲みませんか」
近藤紘一さんからの誘いである。近藤さんは当時、サンケイ新聞のバンコク支局長だった。ちなみに、当時は今の「産経」ではなく、カタカナの「サンケイ」だった。
「えっ、コーヒーですか」
「コーヒーと言っても普通のコーヒーではないですよ」と気のない返事をした私に近藤さんは言葉を補足した。「アイリッシュ・コーヒーにはウイスキーが入っている。私は一滴もアルコールを呑まないけど、アイリッシュ・コーヒーだけは大丈夫なんだ」
そんなわけで、スクンビット通りに面したホテルの喫茶コーナーで会うことに。このホテルにはサンケイ新聞バンコク支局が入っていた。
「ここのアイリッシュ・コーヒーが最高でね」
運ばれてきたアイリッシュ・コーヒーを近藤さんが美味そうにすする。アイリッシュ・ウイスキーをベースにコーヒー、砂糖、生クリームが入ったホット・カクテルだ。私も飲んだが、甘すぎる。
さて、近藤紘一さんのことを知らない人にざっと説明しよう。早稲田大学仏文科で学んでいたとき、同じクラスに浩子さんがいた。駐仏大使の萩原徹の娘である。二人は卒業して間もなく結婚するが、その7年後に浩子さんが他界する。傷心の近藤さんはサイゴン支局へ。ベトナム戦争の真っ只中である。
サイゴンで近藤さんは子連れのベトナム女性と知り合う。ふたりは結婚した。帰国して本社勤務になったのだが、夫人とその連れ子との日々を面白おかしく描いたノンフィクション『サイゴンから来た妻と娘』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
「谷恒生さんと親しいみたいだね」ひとしきり世間話が終わった後、近藤さんが本当の要件を切り出した。「一度彼に会いたいんだけど、私が奢るから、谷さんも交えて一緒に晩飯でも食べない?」
「ああ、いいですよ」
「私も小説家になりたいと思ってね。で、谷さんにいろいろとアドバイスしてもらいたいんだよ」
その谷恒生さんの説明もしておく。谷さんは鳥羽商船高等専門学校卒業後、外国航路の一等航海士になった。しかし、船を降りて小説を書きはじめ、冒険小説『喜望峰』『マラッカ海峡』の長篇2冊を同時刊行。『喜望峰』『ホーン岬』は直木賞候補にノミネートされた、新進気鋭の冒険作家だった。毎日新聞のバンコク支局長に紹介されたのだが、なぜか意気投合し、連日連夜、呑み歩いていたのである。
そんなわけで、近藤さんから依頼があった2、3日後、私と谷さんは指定された場所に約束の時間よりも5分ほど早く出向いた。このシリーズでも登場したパトゥナームの屋外食堂街である。
通りに一台の乗用車が停まった。助手席から近藤さんが下り、すぐさま後部座席のドアを開けた。すると真っ白いドレスを着た超美人が。その後から中学生ぐらいの女の子がつづく。ナウ夫人とその連れ子のユンちゃんだった。
近藤さんは彼女の手をとりながら、恭しくエスコートするではないか。あ、このことか。近藤さんの噂は他の特派員たちからも度々聞いていた。ナウ夫人をまるで貴婦人のごとく優しく接するので、それを目撃した特派員の奥様連中から、
「あなたも近藤さんのように、私にも優しくしてよね!」
と文句を言われて困っているというのだ。なるほど、近藤さんも罪な人である。テーブルは近藤さんが予約していた。さっそく近藤さんは谷さんと私に飲み物を尋ねた。特派員の間で近藤さんは下戸で有名だが、かなりの美食家だと聞いている。
「さてと、蟹はどうですか」
と近藤さんが私たちに尋ねた。
「いいですね」
谷さんと私は同時に返事した。
「では、焼き蟹にしましょう」近藤さんはナウさんの方を見ながら微笑む。「ベトナム人は焼いた蟹が好きなんです」
ナウさんも無言で微笑んだ。
しばらくしてから焼き蟹が運ばれてきた。甘酸っぱくて激辛のたれにつけて頬張る。これがまた美味い。シンハー・ビールにもよく合うではないか。炭酸水をちびりちびりと舐めながら近藤さんが、谷さんに小説家の心得を次々と質問する。嬉々として答える谷さん。酒好きの谷さんはメーコン・ウイスキーの炭酸割りを何杯もお代わりしていた。日本語をほとんど理解できないナウさんとユンちゃんは、蟹と格闘するのに忙しい。その夜は、久々に充実した夕食だった。
近藤さんは昭和58(1983)年までの5年間をバンコク支局長を務めた。帰国した翌年、小説『仏陀を買う』で中央公論新人賞を受賞する。念願の小説家になったのだが、それも長く続かなかった。昭和61(1986)年に胃癌のため旅立つ。まだ45歳の若さだった。葬儀の送辞を読んだのは、同じ産経新聞の先輩だった司馬遼太郎である。ユンちゃんはパリでバカロニアに合格し、フランス青年と結婚した。
近藤さんから相談を受けた谷恒生さんは、タイから帰国後、小説『一人っきりの戦場』と『バンコク楽宮ホテル』の2作品を発表した。楽宮ホテルは私が半年間住んでいた木賃宿である。両作品とも私らしき人物が登場している。その谷さんも平成15(2003)年、食道癌で亡くなった。享年57歳。
近藤さんはアイリッシュ・コーヒーの飲みすぎだろうか。一方の谷さんは、ほとんど何も食べずに酒を呑みすぎたのが原因だったのかもしれない。今日は東京で呑み会だ。さあ、喰って、呑むぞ!