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日英交通事情 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑲

2023-08-26 08:53:29 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑲

日英交通事情

ロンドン(英国)

 

 

 日本と英国では、交通行政の哲学が全く異なる。日本と英国で共通なのは、どちらも左側通行であることぐらいだ。大雑把に言えば、英国では、運転者、歩行者の常識的且つ主体的判断を尊重するので、無駄に細かいルールを作らない。そして、交通違反を未然に防止しようとする工夫がある。
 例えば、見晴らしのよい下りの坂道では、ついスピードを出し過ぎてしまう。そのような場所には、畳半畳ほどの大きさの電光掲示板が設置されており、突然、とんでもない輝度で 'Slow down!' の警告表示が点滅する。
 大抵のドライバーは、びっくりして思わず、減速するので、速度超過を防ぐにはとても効果的だ。日本の「ネズミ取り」は、スピードを出しやすい場所に隠れていて、「はい、いらっしゃいませ」とばかりに罰金を科す。そんな陰湿なやり方とは違う。

▲スピード違反警告灯

 

 また、英国ではスピード違反監視カメラの数がとても多いのだが、監視カメラのずっと手前に、「監視カメラがあるぞ!」と注意喚起する標識が設置されているので、自ずとスピードの出し過ぎには注意してしまう。私がロンドンに駐在していた2010年当時のスピード違反監視カメラの数は1万5000台ほどだった。今はもっと増えていることだろう。
 私も、違反する前に警告するというこのシステムは好ましいと考えていたが、当の英国人の約70%からは、「政府が、歳入を増やす為にカメラの数を増やしているのではないか」と、極めて不評であった。

▲スピード違反監視カメラがあるぞ!
   

▲スピード違反監視カメラ


 制限スピードについては、可能な限り速いスピードを出せるよう設定されている。英国の郊外特有の曲がりくねった丘陵地を走るときには、小刻みに制限速度が変わる。見晴らしのとても良い区間は時速50マイル(80km/h)、住宅地に近づくと時速40マイル(64km/h)、住宅地に入ると時速30マイル(48km/h)、そして住宅地を抜けるとまた時速50マイルに戻る、といった具合だ。

 日本では、真っ直ぐで車の往来がほとんどない田舎道でも、最高速度が40km/hに制限されている場所が多い。しかし、そこを通る車のほとんどは、40km/hの制限にお構いなく、60km/h ほどのスピードで走行している。そんな場所で「ネズミ取り」をやっているのだ。

「旦那さん、スピード出しすぎですよ。59kmでした」

「えーっ、他の車と同じスピードで走っていたんですよ。何故、私だけ…」恐らくネズミ取りに捕まったドライバーは同じ言葉を口にするだろう。こうなれば、泣き寝入りするしかないのが日本だ。私は、続けた。

「ゴールド免許なんですよ。勘弁してもらえませんか…」
「残念ながらゴールド免許だからといって見逃すと言うわけには参りません」と、警官は
事務的な口調で答える。

 ロンドンに赴任するちょうど1週間前のことだった。表現しようのない怒りがこみ上げ、己の運の悪さを呪った。

 車の流れに乗り、走行していた私にはスピード違反の意識は全くなく、旗を振る警察官に何故止められたのか理由が分からなかった。いずれにしても、私のゴールド免許証が消滅した…。

 日本の一時停止違反の取り締まりも腹立たしい。そもそも一時停止ラインがあまりに手前に設定されている。人間は心理的に、左右が見渡せる地点に到達してから、左右の安全を確認しようとするのではないだろうか。注意深く徐行しながら、前方で交差する道路の手前で一時停止したのだが、道路の向こう側の死角に隠れていた警察官に捕まってしまった。
 妻とハリー・ポッターの映画を観た後の幸せな気分が一瞬で吹き飛んだ。待ち伏せのような形で、違反を摘発するより、一時停止線の場所で監視して、違反や事故を未然に防ぐのが警察の役目だと思うのだが、如何だろうか。
「あなた、こんな取り締まりをして心が痛みませんか」 
 私を捕まえた若い警察官に尋ねると、
「いえ、全然」
 そんな言葉が返ってきた。悲しかった。

 信号に関する日英の差も小さくない。全く車が通っていなくても、歩行者は信号が青になるまで、お行儀良く待つのが日本だ。この習慣が、「ルールを守る日本人」の象徴として誇らしげに語られたりもする。
 一方、英国では、歩行者用信号が赤でも、車が通っていなければ、自己責任で道路を横断するのが一般的だ。警察官でさえ、そうしている。融通無碍を旨とする英国人の一部は、日本人を自分で安全かどうかを判断できない「信号の奴隷」と揶揄する。
 私は、ロンドンから帰任して半年くらいの間、歩行者用信号が赤でも道路がガラガラで車が通っていなければ、躊躇なく横断していた。しかし、時間が経つにつれて、周りの目が気になりだした。不本意ながら、郷に入っては郷に従えで、信号を守るようになった。
 近所の横断歩道には、押しボタン式の信号機がある。ようく観察していると、全く車の影さえ見えなくても、7~8割の人は当然の如くボタンを押して、青信号になるのを静かに待っている。
 全く車の影さえ見えない、この横断歩道で、わざわざボタンを押して信号が青になるまで待つ必要はあるのだろうか。私には理解できない。車がいないことを確認し、自己責任で横断することにしている。但し、幼稚園児や小学生がボタンを押して横断しようとしているときだけは、別だ。私も従順に信号が変わるのを待つことにしている。

 下の写真は、有名な Abbey Road の Zebra crossing(横断歩道)の写真だ。ギザギザの線は、前方に横断歩道があるので徐行せよのサイン。道路の両側には、上部に黄色いランプを頂いた黒白の支柱が見える。
 これは、Belisha beacon(ベリーシャ・ビーコン)と呼ばれ、ベリーシャ・ビーコンが点滅又は点灯していて、道路を横断しようとしている歩行者がいる時、歩行者が優先で、車は必ず停車しなければならない。もし、歩行者を無視してZebra crossingを通過しようものなら、たちまち警察に通報され、罰金刑をくらうことになる。
 ロンドン暮らし初心者の頃は、ベリーシャ・ビーコンがあっても怖ず怖ずと道路に足を踏み出していた私だが、ロンドン子のように車が接近してきても悠々と横断できるようになるまでに、さほど時間はかからなかった。 
 が、日本人らしく止まってくれたドライバーに黙礼か片手を上げて感謝することは忘れなかった。普通の英国人は、そんなことはしない。優先権は自分にあり、ドライバーが停車するのは義務であると考えるからだ。


▲Abbey road, Apple studio 前の横断歩道


▲ビートルズのアルバム'Abbey Road'のジャケットに使われたあの横断歩道。上の写真は、同じ場所を最近撮影したもの。道路に白ペンキで多くの情報が追加されているのが分かる


 このベリーシャ・ビーコンシステムを是非日本にこそ導入して欲しい。人も車も必要な時以外、止まる必要がなく、無用のストレスから解放され、車が全く通っていない横断歩道で、信号が青に変わるの辛抱強く待っている不気味な光景を目にしなくて済む。日本人が信号の奴隷から解放されることだろう。
 ところで、ベリーシャ・ビーコンも信号もない横断歩道がある。左右両方の車線で車の流れが同時に途絶えることは滅多にないが、そんな場合には、道路の中央部分にPedestrian Refuge Island(島状安全地帯)が設置されている。片側の車の流れが途絶えたら、まず道路の真ん中の Island まで進む。そこで反対車線の車の流れが途絶えるのを自ら確認し、自己責任で向こう側にたどり着く仕組みだ。
 Island に人がいても、ドライバーは一時停止してはいけない。Island がある場合は、自動車が優先で、一時停止などすると追突される恐れがあるからだ。

 

▲道路の真ん中に「島状安全地帯」が

 

 あ、そうそう、免許不携帯の場合の扱いも日英で歴然たる差がある。日本の場合、反則金3000円を支払わなければならない。一方、英国では、住所・氏名を告げ、警察官がコンピュータで本人確認できれば、「これから、忘れないように気をつけてください」と注意はされるが、お咎めは一切なしだ。日本では、「免許証を『今』持っているかどうか」が問題にされるが、彼の地では、「免許証の存在自体」が問われる。この考え方の差は、とても示唆に富んでいる。目の前の現象に捕われるか、物事の本質を見極めようとするか、の違いである。
 
 少し英国のことを良く書きすぎたような気がする。日本の交通モラルだって、他国と比べたら決して悪くはない。道を譲ってもらったらハザードランプで「ありがとう」と意思表示するし、救急車やパトカーがサイレンを鳴らし、非常灯を点滅させながら接近してきたら、一斉に道を空ける。
 子供たちは、横断歩道で止まってくれたドライバーにお辞儀する。しかし、贅沢を言えば、日本には、杓子定規な規則一辺倒ではなく、安全確保の為に何が大切か、その本質を考える姿勢と寛容の精神があったらいいなと思う。

 英国の交通事情を語るには、Roundabout(環状交差点)の話が避けて通れないのだが、又の機会に譲りたい。
                                    

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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