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「楽宮」のオモロイ日本人たち④ 【連載】呑んで喰って、また呑んで(52)

2020-07-01 15:05:47 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(52

「楽宮」のオモロイ日本人たち④

●タイ・アランヤプラテート

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 

 

「ここはアジアなのに、日本人のボランティアがいないのは寂しいわね」
 カンボジア国境のアランヤプラテートからバンコクに戻るバスの中で、犬養さんがつぶやいた。1979年12月のことである。
 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)とタイ内務省が、カンボジアから押し寄せる難民を収容するために、アランヤプラテートの北約20キロの地点にカオイダン難民キャンプを設置したのは、その2カ月前のことだった。
 インドシナ難民の実情を知るためにバンコクにやって来たのが、評論家の犬養道子さんである。私も彼女に誘われて1週間ほどボランティアとして働くことに。しかし、ボランティアは欧米人ばかりで、日本人の姿は一人もいなかった。そんな実情に疑問を感じた犬養さんだったが、私も同感だった。バンコクの楽宮大旅社に戻った私は、大き目の紙にマジックインクでこう書いた。
「ボランティア急募! カンボジア難民に愛の手を!」
 その紙を私の部屋のドアに貼った。なにしろ暇人ばかりの安宿である。案の定、反応はすぐにあった。その日、大阪でコックをしていた30代の「コック」と早大院生の「手」の二人が私の部屋のドアを叩く。「コック」は説明することもないだろう。大学院生がなぜ「手」なのかというと、いつも手に左手に白い包帯を巻いていたからである。
 翌日、元コックがカオイダンに旅立ち、その次の日には「手」が出発した。それから数週間後、私は5人の暇人、いや「難民救済」という崇高な理念に燃える志願者を引き連れてカンボジア国境に向かう。その中には、「レスラー」も、そして「狂犬病」もいた。
 ボランティア専用の宿舎に私たちが着いたのは、夜8時を回っていただろうか。私たちの到着がよほど嬉しかったのか、「手」が転がるようにして私たちに駆け寄る。もう一人の「コック」の姿が見えない。
「あの人、ベッドの蚊帳に入ったまま出てこないんですよ」
 と「手」が心配そうに言う。
「コック」を叩き起こし、数分後、私たちは近くの屋台でビールで再会を祝すことにした。アルコールが入ったせいか、「コック」が重い口を開き始めた。そして驚くべき告白を。なんでも白人のボランティアから腹を蹴られたりするなど、陰湿ないじめに遭っていたというのだ。私は「コック」を励ました。
「もう大丈夫。5人も日本人を連れてきましたから」
 宿舎には30人ほどのボランティアがいたが、この日から日本人が総勢8人となり、最大のグループになったのである。いじめの先頭に立っていたというイギリス人たちは、集まってひそひそ話をしていた。「コック」の表情に笑みが浮かんだのは言うまでもない。
 翌朝、ボランティアの送迎バスで私たちは難民キャンプに「出勤」した。「手」は慣れたもので、物資運搬の車両を白い包帯を巻いた手で誘導している。「コック」は料理担当だったろうか。鼻が異常に大きい「鼻」は、いつもヘラヘラニタニタして捉えどころのない人物だ。しきりに白人の女の子に話しかけていた。
 さて、ケチで有名な「狂犬病」はさっそく本領を発揮する。難民からアメリカにいる親せきに手紙を出してほしいと頼まれたのだが、
「ダメだ。切手を貼ってないじゃないか!」
 と大声で吠え、難民から切手代を徴収していた。
 その夜、みんなで屋台に繰り出す。私たちには日当が出た。日本円で500円ほどである。朝食と昼食は無料で支給されるので、お金はかからない。問題は夕食だ。自己負担なので、たいてい安い屋台で済ませることになる。黄色い麺の汁そば「バーミーナム」が、確か10バーツぐらいだったか。その当時の交換レートは覚えていないが、日本円で80円もしなかったと思う。ラーメンに似ているので、日本人には人気の一品だ。
 食べ終わって支払うとき、騒動が持ち上がった。「狂犬病」が店のおばさんに喰ってかかっているではないか。なんでも20バーツを渡したのだが、釣銭が1バーツ少ないと怒っているらしい。結局、おばさんも根気負けしたのが、あるいはその剣幕に圧倒されたのか、1バーツを手渡すことに。10円もしない釣銭のために怒り狂う姿を目の当たりにすると、単なるケチではないように思えた。やはり狂犬病の犬に噛まれたのことが、その後の性格形成に影響したのかも。
 私は1週間ほどでバンコクに引き揚げたが、ほかの連中は1カ月以上もキャンプで働いて、楽宮に戻ってきた。人助けをして、貯金もできたので、みんな満足げである。しばらくして「レスラー」は兵庫県に戻り、「ボクサー」はどこかに消えた。「狂犬病」とはそれから1年もしないうちに東京で再会する。夫人にも紹介されたが、半年後に単身ニューヨークに旅立つ。すっかり放浪癖が身についたのかも知れない。それも人生だ。もっともっと楽宮大旅社の「住民」たちのことを書きたいが、テーマの「呑んで喰って、また呑んで」から脱線したままなので、この辺で止めておこう。


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