【連載】呑んで喰って、また呑んで(54)
出版社で鍛えられた酒②
●日本・東京
ある日の編集会議で新連載がスタートすることが決まった。普段は滅多に顔を見せない作家の藤島泰輔さんだが、「編集長」という肩書なので、編集会議にだけは必ず参加していた。新連載の執筆者はエッセイストの矢口純さんである。
矢口さんは仙台陸軍飛行学校から復員直後、陸軍航空本部の上官だった人の依頼され、千葉県誉田村にあった陸軍秘匿飛行場跡に入植して農業を始めた。しかし、3年後に婦人画報社に入社し、『婦人画報』も編集長も務めた後、洋酒の宣伝をする広告制作会社「サン・アド」へ。
同社には、開高健を筆頭に、山口瞳、柳原良平といった作家や画家が重役として名をつらねていた。もうお分かりだと思うが、サントリー宣伝部に席を置いていた人たちである。
矢口さんは当時、同社の専務取締役だったが、エッセイストとしても活躍していた。日本ペンクラブの理事だった関係で、編集長の藤島さんとも親しかったらしい。
「さて、タイトルは何がいいかな」
藤島さんも、新連載のタイトルが浮かばないようだ。新米編集者の私に突如、ひらめきが。『Who's Who(フーズ・フー)』という有名な人名録があるが、それをもじればいいのではないか、と。
「あのー、『フーズ・フッド』っていうのはどうですか?」
「うん、いいね。『Who's Food』か。それにしよう!」
こうして私の提案が採用され、新連載「ふーず・ふっど―Who's Food」が船出し、私が担当することに。というわけで、毎週、有楽町のサン・アドまで原稿を取りに行くことになった。編集部に戻ってからの原稿整理が楽しみである。主に和食が中心で、読んでいると、お腹が鳴って仕方がない。
が、単なるグルメ・エッセーで終わらせないのが、矢口さんである。第2話の「うな丼の美学」を読み返してみると、開拓地で村の子供たちに交じってドジョウすくいをしたり、野球をしたりと大忙し。県が開拓地を住宅地にすると決めたので、県知事と大喧嘩したエピソードも。
東京に出て編集者になった頃は、新橋の闇市近く呑み屋「蛇の新」の常連になり、写真家の杉山吉良をはじめ、千田是也、土門拳、江戸川乱歩といった錚々たる面々とカストリを呑み交わす。名だたる編集者も出入りし、文化サロンの様相を見せ始めたが、その中にひときわ目立つ美青年がいた。後に作家としてデビューする吉行淳之介である。
戦後、新聞に連載した似顔絵入りの風刺漫画で一世を風靡したのが那須良輔だ。この人にうなぎの話をさせると、止まらない。その知識は魚類学者はだしだったという。疎開中、毎日朝から晩まで、うなぎを捕るために穴釣りから置き針をやっていたというから、まさに「名人」である。
このように、うな丼を語るのに、脱線、脱線、また脱線。しかし、読み終わった後は、頭の中に爽快感が広がり、否応にも知識が増す。まるで一冊の良書を読み終えたようなのだ。
そんな矢口さんの著書には、『滋味風味 対談』(東京書房社)、『私の洋酒ノート』(大泉書店)、『酒を愛する男の酒』(新潮社)、『酒の肴になる話』(新潮社)、『ウイスキ-讃歌 いまこそ<生命の水>のとき』(集英社文庫)、『ワイン・ギャラリー 栄光の美酒への招待』(集英社文庫)など、酒にまつわる本が圧倒的に多い。私なんか、矢口さんに比べたら、シラスにもなっていないので、お恥ずかしい限りである。
いずれにしても、矢口さんの連載を担当したおかげで、自然と「酒」と「食」が生活の大部分を占めるようになったことは確かだろう。罪な出版社ではないか。(つづく)