【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(75)
残してほしいチョンキンマンション(重慶大厦)
香港(中国)
▲チョンキンマンション――異世界への入り口
チョンキンマンション(重慶大厦)をご存じだろうか。広東語の怪しげな響きが一体どんな場所だろうかと想像力を掻き立てる。チョンキンマンションは1961年に個人用の住宅ビルとして建てられたものだが、その後幾多の変遷を経て、現在は「複合ビル」と化している。
低層階には、土産物屋や雑貨店、両替店、インド料理を主体とする屋台に毛の生えたような小さな飲食店がひしめきあう。中高層階には800軒近くの貧乏旅行のバックパッカーを対象にしたゲストハウスや何をやっているのか分からない怪しげなオフィス、そして個人の住居が混在している。
この大きなビルは九龍一の繁華街チムサーチョイ(尖沙咀)の彌敦道(ネイザン・ロード)に面して建っているのだが、その一画だけがお洒落なブティックやカフェが立ち並ぶ周囲の環境から不自然に浮き上がって見える。
その理由は、単に古ぼけたビルの外観によるものだけではない。ビル周辺に屯しているのが中華系の人たちではなく、インド系や中東系の人たちが殆どであるからだ。 ビルに近づくにつれ、なんとなく複数の視線が突き刺さってくるような感じがしてくる。否、感じがしてくるのではなく、実際にじろじろと見つめられるのである。ムンバイやマラケシュの市場を歩いている時と同じ感覚だ。
偶然目が合いでもすれば、満面の笑みを浮かべて話しかけてくる。彼らには、私が香港人でないことが直ぐ分かるのだろう。
「コンニチハ、オゲンキデスカ?」
「ハイ、元気です。あなたは?」
日本語の会話はそれで終わり。次は、矢継ぎ早に英語で質問を投げかけてくる。
「今日はいい天気ですね。何処から来ましたか。香港で何をしているのですか? 観光ですか? ニセモノの時計は要りませんか? 両替が必要ですか? 美味しいインド料理屋を紹介しましょうか?」
彼の目的がいったい何のかは分からない。はっきりしているのは「なんとか、カモにしてやろう」という下心が笑顔の下に垣間見えることだ。ああ、面倒くさい!こういう時は、視線を合わさずに、「あなたに興味はない!」と冷たく突き放すのが賢明だ。
チョンキンマンションに住む人たちの国籍は、海外からの宿泊客も含めて120ヶ国にも及ぶという。香港はなんとなく国際都市だと思っている方も多いだろうが、香港の人種構成は、案外シンプルだ。2021年の統計によると、中華系(主に広東人)が91.6%、フィリピン2.7%、インドネシア1.9%、その他(主に英国)3.7%だ。
フィリピンとインドネシアの割合が高いのは、「アマ」と呼ばれる住み込みのハウスメイドが多いせいである。この数字から見れば、チョンキンマンション住民の人種構成は極めて異例であることが分かるだろう。
ここは、香港一ディープな場所だとか、悪の巣窟、地下組織のアジトが集積する治外法権地帯などと呼ばれることもある。なるほど、確かに妖しい雰囲気が漂ってはいる。
しかし、実態はインドやパキスタンなどで食い詰め、香港に流れ着いた男たちが起死回生のチャンスを求める為の仮住まい・拠り所というのが実態なのではないか。そうは言っても、まとわりついてくる彼らが鬱陶しいことに変りはない。それでも、何となく親しくなったパキスタン人から身の上話を聞いてホロリとしたこともあったが…。
先週書いたように、中国政府は香港における「一国二制度」の約束をいとも簡単に反故にした。チベットやウイグルを見ても分かるように、異文化を排除し、文化的・人種的な同化を図るのが中国政府の基本方針である。
さて、香港の小さな片隅にあるチョンキンマンションは、食い詰めた男たちの拠り所として存在し続けることができるのだろうか。
▲チョンキンマンション外観
▲チョンキンマンション内のインド料理店で食べたビリヤニ(香辛料の効いた炊き込みご飯)とフライドチキン。美味!
香港ではJordan(佐敦)にあるEaton Hotelを定宿にしていた。ホテルから九龍半島と香港を結ぶ渡し船Star Ferry が発着するヴィクトリアハーバー(Victoria Harbour)までの約1キロの散歩は、休日の楽しみだった。
チョンキンマンションの手前には緑豊かなカオルン公園(Kowloon Park=九龍公園)があり、日曜日にはインドネシア人のアマ(ハウスメイド)たちが、食べ物を持ち寄って終日おしゃべりをして過ごす。彼女たちにとってお金がかからない唯一の娯楽だ。
カオルン公園を通り過ぎ、スターフェリーの船着き場に辿り着くと、そこではフィリピン人のアマさんたちが大音量で音楽を流し、集団で踊っている。民族が違えば楽しみ方も違うものだと感心する。
▲九龍公園の日曜日 インドネシア人のアマさん達が集まり日がな一日おしゃべりする
▲スターフェリーターミナルで踊りで休日を楽しむフィリピン人のアマさん達
チムサーチョイ界隈には英国植民地時代の政府公館やペニンシュラなどの高級ホテルが建ち並び、香港にとっては極めて貴重なゆったりとした空間が広がっている。日が陰り始める頃には、美しい夕陽を楽しむため、多くの人で賑わう。
▲▼コロニアル様式のかつての英国公館
▲ヴィクトリアハーバーで休日の午後を楽しむ筆者
▲▼ヴィクトリアハーバーの夕陽と夜景。息を呑むほどに美しい
私が初めて香港の土を踏んだのは、1974年3月のことだ。マドリッドでの1年間の留学生活を終えて帰国するため、ロンドン発の南回りの格安フライトの航空券を手に入れた。
確か中東のエアラインだったが、名前は覚えていない。中東で2、3カ所に着陸、そして香港に寄港して羽田に向かう「各駅停車」のような便だった。私は、気まぐれで香港に2泊した。
飛行機が着陸したのは、1998年に廃港されたカイタック(啓徳)空港である。カイタック空港は、九龍(クーロン)半島の北東端に位置しており、空港の北側には獅子山(Lion Rock)が聳えている。
この地理的制約の為、ギリギリまで獅子山に向かって飛行し、空港直前で右方向に45度急旋回するという離れ業的な着陸を強いられることで有名だった。飛行ルートは、香港カーブと呼ばれ、香港で最も人口密度の高い、香港最大のスラム街九龍城砦(1993年から1994年にかけて取り壊された)の上空をかすめるように飛ぶ。
密集した古いビル群の谷間を縫うように、ユラユラと左右のバランスを微調整しながらの着陸にドキドキしたことを何故かよく覚えている。
飛行場を出ると、何人もの雲助(この言葉はもう死語かな?)タクシーの運転手たちが我先にと広東語でけたたましく叫びながら群がってきた。私のバックパックをひったくらんばかりの勢いである。欧州では見たことのない光景だ。切羽詰まった生存競争を見るようで、気圧されてしまった。
▲▼ビルの谷間を縫うようにして着陸する
▲九龍城砦の一画
さて、チョンキンマンションは、九龍城砦の雰囲気を彷彿させると言われているようだが、九龍城砦の猥雑、混沌、底知れぬ謎めいた空気とは比較にならない気がする。香港の多様性の象徴として是非存続し続けて欲しいものだ。
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。