【連載】呑んで喰って、また呑んで㉟
ドライ・マティーニは秘密クラブで
●アメリカ・ニューヨーク
「あのさあ、オレ、ニューヨークでマフィアの親分と知り合いになったんだ。だから、いつでも取材ができる。いつでもいいから来なよ」
そんな誘いの電話をしてきたのは、元週刊誌記者でニューヨーク在住のJである。マフィアの親分に単独インタビューか。面白い。さっそく、ある月刊誌に企画を持ち込んだところ、すぐにOKが出た。喜んでJに電話すると、
「ん? マフィアの親分に取材するって?」と打ち沈んだ声が返って来た。「うー、オレ、そんなこと言ったかな?」
「何を言ってるんですか。この前の電話ではっきりと言ったでしょ。だから月刊誌に持ち込んだんですよ」
「すまん、すまん。でも、オレ、そんなこと言った覚えがないんだよなあ」
どうやら、Jは酔っぱらって電話してきたようである。だから、何も覚えていないのだろう。
「そんなこと言っても、もう航空券を手配してしまったんですよ」
「うーん、困ったなあ」
「困ったのは、こっちですよ!」
しばらく沈黙がつづいてから、Jが明るく言い放った。
「そうだ、コロンビア・コネクションを取材するといいかもな。あの狂暴な麻薬シンジケートだよ。知ってるでしょ?」
もうコロンビアでも、メキシコでも、どこでもいい。とにかくニューヨークに飛ぶことにした。カメラマンのОと一緒に。
ニューヨークに着いたのは、確か正午過ぎだった。Jは自分の泊まっているホテルに私たちを連れて行き、番頭と何やら交渉している。
「決まったよ」とJは私に振り向いた。「1週間200ドルでいいって」
「えらい安いですね」
「ああ、オレなんか、もう2年以上住んでるから、週150ドルなんだ。さ、職場に行かなくちゃ。じゃあ、また今晩ね」
そう言ってJがホテルをあとにした。なんでもステーキハウスでバイトをしているという。番頭に案内されて部屋へ。小汚いベッドが2つ。殺風景な部屋だ。一人週100ドルである。まっ、安いから我慢するか。
その夜、Jに連れられてホテルから歩いて5分ほどの日本料理屋に。遅めの夕食だ。こじんまりとした店である。にぎり寿司を適当に注文し、ビールで乾杯だ。
「この店には有名人が沢山来る」とビールをちびりとやりながら、Jが得意げに言う。「あのナスターシャ・キンスキーも常連なんだ」
キンスキーは旧西ドイツ出身の女優で、『今のままでいて』『テス』『キャット・ピープル』『パリ、テキサス』『ワン・ナイト・スタンド』などの作品に出演。また男性遍歴が豊富なことでも有名である。映画監督のロマン・ポランスキーをはじめ、マルチェロ・マストロヤンニ、ジェラール・ドパルデュー、ロブ・ロウなど数多い。それはともかく、コロンビア・コネクションの取材をしなければ……。
「まずアルファベット・シティーを見ておいた方がいいな」と元週刊誌記者のJがしたり顔でアドバイスする。「しかし、オレ、明日も仕事があるから、ふたりで行ってね。麻薬の売人がたむろしているので、写真だけでも撮ればいいよ」
マンハッタンのローワー・イースト・サイドにあるアルファベット・シティ。A、B、C、Dの4つのアベニューがあることから、その名がつけられた。今でこそオシャレなバーやレストランに事欠かないので、ちょっとした観光コースになっている。が、当時はマンハッタンでもっとも危険な地域と言われていた。
翌朝、Оと私はタクシーでアルファベット・シティに向かうことにしたのだが、タクシーがなかなかつかまらない。行き先を言うだけで、タクシーの運転手が乗車拒否するのだ。かなり危ない地域だったのである。十何台目かの運転手にチップをはずむと、渋々ながら現場へ。
タクシーがゆっくりとアベニューAを走る。寂れ果てた通りには、何とも言えない不気味な空気が漂っていた。気怠そうに歩く少年。道端のベンチに腰掛けて遠くを見る男。後部座席の窓を少し開けて、Оがカメラを構えている。カシャ、カシャというシャッター音が車内に鳴り響く。アベニューBからCへ。タクシーの運転手が「なぁ、もういいだろう」と怯えたような口調でせかす。
そのときだった。後方から怒鳴り声が。スペイン語らしかった。男が走りながらタクシーを追いかけてくるではないか。手には何やら持っている。ピストルだった。やばい!
絶えず周囲に目を配らせていたタクシーの運転手がこれに気づき、アクセルを力いっぱい踏んだ。男の姿がどんどんと遠ざかった。撃たれなくて幸いである。
その夜、職場から戻ったJに誘われて、一軒のバーに繰り出した。「ティン・パン・アレー」という名の店だ。ウエイトレスが注文を取りに来たのだが、かなりの美人である。ジン・トニックを呑みながら見とれていると、Jが教えてくれた。
「この店で働いている女の子のほとんどが女優かモデルになりたがっているんだ。でも、オーディションになかなか受からないので、こんなバーでバイトをしてるんだよ」
なるほど、どおりで美人が多いはずだ。そんな彼女たちを目当てなのか、男性客がやたらと多い。この「ティン・パン・アレー」には、連夜のごとく通うことになる。
さて、ニューヨークに来て6日ほど経っただろうか。この日の夕食はステーキだ。それもニューヨーク・カットである。アルゼンチンやウルグアイで食べたステーキに匹敵するほど分厚い。しかも1ポンドもある。カルフォルニア産の赤ワインもすすむ。
しかし、酔いが回ったのか、あるいは少し疲れていたのか、「ティン・パン・アレー」に立ち寄らずに早めにホテルに戻ると、Jがやって来た。
「よかった。今日、秘密クラブに行くことにした。コロンビア・コネクションと関係のあるクラブだ」
そう言ってJは腕時計を見た。
「まだ9時だな。2時頃に出発しよう。それまで仮眠でもしときなよ。オレが起こしてやるから」
▲ニューヨークの夜は深くて長い
それから5時間後、私たちがタクシーから降り立つ。Jが目の前のビルまで忍び足で近づく。そして、大きなドアをノックすると、内側からのぞき穴が開いた。Jが顔を寄せて何かをささやく。中の人物が「お前の横に立っている二人は何者か?」と詰問したのだろう、「オレの友人だ」とJが答えたと同時にドアが開いた。
中はほぼ真っ暗だったが、5メートルほど歩いてもう一つのドアを開けると、そこはきらびやかなバーだった。10メートルはあるかと思われる長いカウンターには数人が腰かけているが、みんな着飾っている。テーブル席も20卓ほどあったろうか。よほど人気の店なのか、ほぼ満席である。Jを真ん中にして私たちもカウンター席に腰かけた。私の隣には、30代前半と思しきブロンド美人がひとりでドライ・マティーニを呑んでいる。私もドライ・マティーニを注文し、その女性に話しかけた。
「お一人ですか?」
「今のところはね」と彼女は謎めいた笑みを浮かべた。「あなた、どこから来たの?」
「トーキョーから」
「あー、そうなの。私、日本人に興味あるのよ。でも、こっちも興味があってね。ちょっと失礼するわね」
そう言うと、彼女はバッグから紙包みと手のひら大の鏡を取り出し、カウンターに置いた。そして、紙を開く。中には白い粉が。鏡にその粉をほんの少し落として細い一列にするではないか。そしてストローのような筒を鼻の穴に入れ、粉をすうっと吸い込む。映画でしか見たことがなかったが、コカインに違いない。そのとき、彼女に男が近寄り、隣に座った。
「どうだい。上物だろう?」
「うーん、いいわね」と彼女は男にしなだれかかった。「あ、紹介するわ。私の夫よ」
「あ、そうですか」
がっかりである。さあ、取材をしようっと。
「あそこにドアがあるだろ」5メートルほど先のドアを指さしてJが私にささやいた。「そのドアの奥に売人がコカインの売人がいるんだ。いまいくら持っている?」
「50ドルくらいかな」
「じゃあ、20ドルでブツを買うといいよ。そうすると怪しまれないから」
Jの言うとおりにした。
ドアを開けると20畳ほどの部屋があった。奥の方にテーブルに黒人が座っている。私が20ドルを無言で突き出すと、男も無言で紙包みを私に手渡す。時間にして2分もかからなかったのだが、私には20分にも思えたものである。こんな秘密クラブがニューヨークには何カ所、いや何十カ所もあるという。
で、その後も取材が順調に進み、無事に帰国した。しかし、直後に雑誌社が倒産し、コロンビア・コネクションの記事は未発表のまま。すべて私の脳裏にだけ残っている。それにしても、貴重な体験だった。ニューヨークって、ほんと刺激的な街である。