白井健康元気村

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夢は実現するもの 【村民の声⑦】

2023-04-17 05:20:04 | 村民の声

【村民の声⑦】

夢は実現するもの

岩崎利明

 

 私が所属している鎌ケ谷カントリークラブの会報に、一緒にプレーをしたことのある医師の小暮賢三氏が「ゴルフ医学講座」を連載されている。
 小暮氏は今年1月号で、新年の挨拶とともにコロナ禍やウクライナでの戦争にも触れ、「それらの悪夢は早く断ち切って私達の夢を実現させましょう。私達ゴルファーには年代を越えてそれぞれの夢があります」とし、「古人が努力して作ってくれた人生13の祝事」を披露した。
「今後の生活に必ずや参考になる」と小暮氏が記したが、私も興味深く読んだので、皆さんにも紹介したい。
 
①還暦(60歳) これからが人生の出発なり 
②古希(70歳) すべてを味わう味覚の年 
③喜寿(77歳) 人並みの人生になれて来た頃 
④傘寿(80歳) 少しは世の役に立っているか 
⑤半寿(81歳) これで人生ようやく半分 
⑥米寿(88歳) まだまだお米が食べたりぬ 
⑦卒寿(90歳) 人生に卒業はないはずだ 
⑧白寿(99歳) せめて百歳越えたいなぁ 
⑨百寿(100歳)一つの節目だが、いまだ未熟   
⑩茶寿(108歳)もっと良いお茶を飲んでから 
⑪皇寿(111歳)心づもりは出来たけど 
⑫昔寿(120歳)そろそろゆずる日本一 
⑬天寿(182歳)これで人生完もうかな 

 なかなか含蓄のある言葉が詰まっているではないか。日々の生活をあせらず、一歩ずつ、朝な夕なに感謝したいものだ。健康に注意するということは、肉体の健康ばかりではない。脳の働きをきたえることも大切である。 
 ゴルフやパークゴルフの際には、3打目、4打目と数えていくことも、楽しみながらの小さな脳トレになっているのかも。

▲鎌ケ谷カントリークラブの仲間たち。左から遠山さん、筆者、太田さん、高野さん(13年前の会報より)

 


 私も13年前、小暮氏が連載している同クラブの会報の「同球生交歓」欄に「エンジョイ! ゴルフライフ」という一文を寄稿したことがある。72歳のときだった。以下がその寄稿文だ。

《これからもゴルフライフをエンジョイするには、何か大きな目標を持ちたい」と思った私は、エージ・シュートを目指した。プロでも難しいと言われているが、プレーヤーが自分の年齢と同じ、あるいは年齢以下のスコアで18ホールを回ることである。(中略)ゴルフ発祥以来、世界中のゴルファーにとっての夢は「エージ・シュートである。自分の過去に出した最高ベストスコア(73)が、年齢に近づきつつある今、この夢が可能性のあるものとなった。現に少し先輩の方が、練習に励まれた結果、4回も偉業を達成された。このことは日々ゴルフを楽しんでいる同世代の誰にも、チャンスはあることだ。 
 以来、「エージ・シュート」が、大きな夢・目標となって、知り合いの仲間達も、大いに奮起し精進している。とはいえ、自分自身はもちろん、家族の誰もが健康でいることが、最重要なゴルフライフと肝に銘じている。70歳を過ぎ80歳を過ぎても上達はあるものと確信し、いつまでも熱くゴルフを語る少年の目を持ち続けたい》

 余談だが、パープレーが72なので、若いプロのゴルフプレーヤーには難関であり、年を重ねたプロでも、簡単なことではない。そのためには、夢を持ち、目標を掲げることになるが、年を重ねることでの体力や気力も問われ、それが重要なことになる。 継続的に練習をすること、ゴルフを楽しめるだけの生活環境を整えることも、重要と言える。 
 私が鎌ケ谷カントリークラブの会員になったのは、市川市に居住していた頃だ。しかし、後に家族構成の事情もあり、「ゴルフ銀座」とも言える、白井市に住居を構えることに。これは女房の提案であった。 
 都心への通勤は続いていたが、退職は68歳。酷い腰痛に悩まされた時期があり、夢の実現とはかけ離れたとでも言えることになった。治療には様々なことを試みたが、一向に良くなる兆しはなかった。それどころか、一時はゴルフに出かけることさえ全く出来なかったくらいである。
 しかし、散歩の途中で見かけたグラウンドゴルフの仲間になり、さらにパークゴルフを大いに楽しむようになった。そのせいだろうか、失われていた体力も徐々につき始める。気が付いたら、いつの間にかゴルフが本格的にプレー出来るまでになったではないか。 一時とは言え、エージ・シュートの達成という夢をあきらめかけていたことが嘘のようだった。
 そうなると、ゴルフ仲間も次々と出来たのは、言うまでもない。健康で年齢を重ねながら、継続的な練習をすること、ゴルフを楽しめるだけの住環境と、良き仲間に恵まれていることは、幸運なことだ。 

 ところで、エージ・シュートが達成できた人のことを、エージ・シューターと呼ぶ。ちなみに、初めてエージ・シューターになった人の平均年齢は78.6歳なのだそうだ。

▲初めてエージ・シュートを達成したときの証明書

 
 昭和12(1937)年10月生まれの私が初めてエージ・シュートを達成したのは、ちょうど80歳になったときである。これまでのエージ・シュートを振り返ってみよう。 

2017年(80歳)ゴルフコンペ 32名参加  77ストローク 
2018年(80歳)ゴルフコンペ 39名参加  79ストローク 
2018年(81歳)ゴルフコンペ 36名参加  80ストローク 
2018年(81歳)ゴルフコンペ 34名参加  81ストローク 
2021年(83歳)ゴルフコンペ 38名参加  83ストローク 

▲2021年7月のピピ名球会(国道16号線にある八千代練習所のシニア仲間が中心)でエージ・シュートを達成 

 

 自分でもよくやったと思う。13年前の会報に「70歳を過ぎ80歳を過ぎても上達はあるものと確信し、いつまでも熱くゴルフを語る少年の目を持ち続けたい」と書いたが、この気持ちは今でも変わらない。

▲第250回ピピ名球会(2015年)で

▲釧路で開催した5泊6日の「夫婦コンペ」(2019年5月)

▲「元気に行こう!」がモットーの「IKO会」のコンペは毎年春秋、関西で開催される。

 

岩崎利明さんのプロフィール

 昭和12(1937)年10月31日、岐阜県揖斐郡生まれ。18歳で家具・インテリアも扱うアパレル会社に就職し、大阪、東京、札幌など国内各地に勤務する。ゴルフを始めたのは札幌時代だった。その後、イタリア、フランス、西ドイツ(当時)、イギリスなどのヨーロッパや中国、香港、タイといったアジア各国に出張し、販促・企画・社員教育などに携わる。ニューヨークとロサンゼルスには計5年滞在した。こうして同じ会社に50年間勤務し、68歳のときに退社。リタイア後、健康維持と良好な交友関係を保つために、ゴルフ三昧の生活を楽しむ。平成3(1991)年に白井の住民に。白井健康元気村に邦子夫人とともに参加する一方、公園整備のボランティア組織「グリーンレンジャー」の活動でも汗を流している。


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