【連載】半導体一筋60年⑧
日本勢が生き残るには…
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
落ち目の日本半導体
前号で述べた凋落の経緯をまとめました。話を分かりやすくするため、あらすじだけですが、次のようになります。
●危機に直面⇒超LSI技術研究組合設立
1970年代の技術的・事業規模的に圧倒的に優位な米国半導体企業からの攻勢を前に、危機感を募らせた日本は「超LSI技術研究組合」を設立、米国に対抗した。
●DRAM量産に成功、米企業を駆逐⇒日米半導体摩擦が勃発
1980年代にかけてDRAM量産技術を確立して米市場へ進出。米企業との競争に勝利し、市場から米企業を駆逐した。米国は日本企業をダンピングで提訴、日米半導体摩擦が勃発。
●日米半導体協定が成立、日本企業の競争力低下。バブル崩壊が追い打ちをかけ韓国勢が台頭
1990年代には日米半導体協定による制約もあり、日本の競争力が低下。一方で日米摩擦の間隙をぬって韓国勢が追い上げ、日本勢が苦戦した。バブル崩壊が追い打ちをかけ、日本企業は半導体に限らず、製造業全般が守りに入る。
●DRAMから撤退し迷走
2000年代以降、日本の半導体企業は韓国勢との競争に敗れてDRAMから撤退するも、DRAMに代わる収益源が見つからず、リスクを取る積極的事業もできない。
それでも希望はある!
日本企業の衰退を嘆いてばかりでは、未来はありません。前進するのみです。次のような動きに注目してください。
●本体から切り離された半導体事業の再編進む
凋落傾向が続く中、半導体事業の本体からの切り離しや、切り離された事業の再編が進む。
①日立+三菱+NEC⇒「ルネサスエレクトロニクス」
②東芝:メモリ部門を切り離す⇒「キオクシア」が誕生 フラッシュメモリに特化。
③ソニー:半導体部門を分社化し、「ソニーセミコンダクタソリューションズ」を設立。イメージセンサー(光を電気信号に変える半導体、デジカメ、スマホに必須)に特化。
●パワーデバイスは健在
凋落傾向にあってもパワーデバイスは健在。三菱電機(ルネサス設立時パワーデバイスを温存)、富士電機、ロームなどが健闘。さらに日立、東芝もパワーデバイスに注力中。
半導体売上TOP10から日本勢は消えた
さて、日本が凋落した後の世界半導体の勢力図はどうなっているでしょうか。調査会社のOmdiaによると、2023年の世界市場での売上ランキング上位10社は下表の通りとなっています。
2023年の半導体売上ランキング(調査会社Omdiaによる)
上の表を見ると分かりますが、上位10社の内、米国企業は6社で最も多く、殆どがファブレス企業です。韓国企業と欧州企業が共に2社となっています。日本勢は上位10社には入れず、ルネサスが16位、ソニーが17位、キオクシアが20位となっています。
▲台湾のTSMCは「隠れ1位」
TSMCは自社ブランドの製品を出荷していないので、この表には載っていません。しかし、上表のNVIDIA、クアルコム、アップルなどのファブレス企業のウエハ製造を一手に引き受けていて、その売上高は693億ドルと言われています。つまり、隠れ1位となっているのです。
1ドル140円(WSTSの2023年の公式換算レート)で計算すると、インテルの売り上げは約7兆2000億円となります。TSMCは9兆7000億円になります。日本企業トップのルネサスは1兆4670億円です。
因みに日本を代表する総合電機メーカーである日立製作所の2023年度(2023年4月~2024年3月)の売上高は9兆7287億円となっており、TSMCとほぼ同じです。TSMCは半導体だけで10兆円近い売り上げを上げていますので、凄まじいというほかありません。
▲売上1位のインテル本社 サンタクララ(シリコンバレー)
私が三菱電機を定年退職したのは平成(2001)年3月ですが、その時は「失われた10年」と言われていました。そして今は「失われた30年」と言われています。すっかり落ちぶれた日本の半導体に生き残る道はあるのでしょうか。
日本の半導体の今後について、証券アナリスト、技術ジャーナリストなどの間でいろいろ議論があり、我々半導体OBの間でも時々話題になります。そうした話の中で日本の強みとして指摘されるものには次のようなものがあります。
⑴ 材料・装置ではまだ高いシェアを有しているものが多いシリコンウエハは、信越半導体、SUMCOなどは世界でトップクラス。フォトレジストでは、東京応化、JSRなどがダントツのシェア、フッ化水素酸等の化学薬品は半導体向けの高純度品で日本が強い。
⑵ 製造装置では東京エレクトロン、ニコン、キャノン、ディスコ等は高シェアで世界をリード。
⑶ パワーデバイスは日本勢が善戦している(上述)
絶対に欠かせない国の支援
凋落の要因の一つとして、日本では国の支援策が殆ど無いことを指摘したいと思います。但し、日本でも1990年代の終わりから2000年代に、半導体復活を目指して経産省主導でプロジェクトが立ち上げられました。
すなわち、2001年4月~2006年3月の「あすかプロジェクト」及び2006年4月~2011年3月の「あすかプロジェクトⅡ」がありました。これらは半導体主要企業6社~11社が共同で設計技術やプロセス技術を開発しようとするものです。
DRAMから撤退した日本の大手各社は、システムオンチップ(SoC)の開発に注力します。チップ上にシステムを載せる訳ですが、情報化社会が到来したと言うのに日本企業は世界で通用する(売れる)パソコンやスマホが作れなくなってしまったのです。
得意だった筈のテレビまでも台湾、中国、韓国との価格競争に負ける始末です。半導体を大量に使う機器(システム)が国内では少ないという状況で、上述のプロジェクトは事業化へ結ぶ付けることが出来ず失敗に終わります。
「あすかプロジェクトⅡ」が終了したのは2011年3月ですが、奇しくも東日本大震災の発生した時です。
経産省としては「あすかプロジェクト」の終了を以って、半導体への支援は一区切りつけたと考えたように見受けられます。と言うのも、以後は国が半導体強化へ目を向ける事が少なくなったからです。
韓国や台湾は優遇税制など国からの支援は長期間継続しています。半導体産業を戦略的重要産業として育成強化に取り組んでいる国は韓国、台湾だけでなく、欧州(EU)も半導体を重要視しています。
中国は言うまでも無く1990年代から半導体を重要産業として育成強化しています。米国は中国の著しい成長に脅威を感じており、この数年前から自国内での半導体生産に向けて強力な政策を打ち出しています。こうした中、日本政府もようやく動き出しました。一体、何をしようとしているのか。それは次号で。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)