白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

ローマ教皇が来たせいでビールが… 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉖

2023-10-14 05:30:58 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉖

ローマ教皇が来たせいでビールが…

ワルシャワ(ポーランド)

 

 

 ある日、突然ビールが消えたらどうする?
 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が1999年6月10日から14日まで、カトリック教徒の多いポーランドのワルシャワを訪問した。なにしろパウロ2世は、史上初のポーランド人教皇である。それはそれは大変な歓迎ぶりだった。
 が、ワルシャワ市当局は、とんでもない通達を出す。教皇の滞在期間中、総てのバー、レストラン、スーパーマーケット、ホテルのミニバーなどでのアルコールの提供、販売を例外なく禁止するというのだ。
 ポーランド人の一人当たり飲酒量は、世界第14位(日本は63位)で、大酒飲みが多い。酩酊して高歌放吟したり、騒いだり、暴力沙汰になることも珍しくはない。この措置は、万が一の不祥事を避けるために当局が打ち出した苦肉の策だったのだろう。しかし、これはポーランドにいた私たちにとって、最悪のタイミングだった。
「アルコール禁止令」が発令された6月10日、1年近く難航していたグダンスク港向けの鉄鉱石荷揚げ機械(Continuous Ship Unloader=CSU)の融資条件に決着の目処がついた。重苦しい閉塞感から解放された私たちは、早くビールで乾杯したいとワルシャワの街に繰り出した。
 もちろん、「アルコール禁止令」のことは承知していたのだが、予約しておいた日本食レストランの個室に陣取ると、当然の如くビールを注文した。日本人経営の店で、しかも個室である。内緒で「ちょっとだけよ」と飲ませてくれるだろうと高を括っていたのだ。
 ところが、この期待は見事に粉砕されることになる。店のローカルスタッフに事務的に断られたので、日本人マネージャーに取り次いでもらう。マネージャーが顔を出した。
「今日、長い間難航していた商談に目処がついたので、祝杯をあげたい。ビール一杯だけでいいので内緒で飲ませて。お願い!」
 私は明るい口調で頼み込んだのだが、マネージャーは顔を曇らせた。
「お気持ちは分かります。でも、無理です。酒を提供したのがバレたら、営業停止になるんです。ご理解ください」
「個室だから、分からないでしょ。ね、お願い」
 未練たらしく食い下がる私。
「バレないという保証はありません。ローカルスタッフに通報でもされたら、それでおしまいです。ホントに、申し訳ありません」
「………」
 私は心の中で訴えた。
「ポーランドの同志諸君、アルコール禁止等というポーランド人を信頼しない当局の暴挙に対し、今こそ連帯して抗議の声をあげよう!」と。
 で、結局ペリエで乾杯する羽目になったのだが、味気なく、旨くもなんともない。ビールをごくごく飲んで、プハーっとやりたかったのに…。このときほど、人生にはビールが必要だと痛感したことはなかった。

 ところで、今回、本当に書きたかったのは、ビールの話ではない。世界遺産都市でもあるワルシャワについてだ。色彩豊かな、とても美しい街で、旧市街・歴史地区は1980年に世界遺産に登録されている。
 しかし、ワルシャワは第二次大戦中、ナチス・ドイツの執拗な攻撃によって街の8割以上が破壊された。特に旧市街は原型を留めぬほどに瓦礫の山と化している。
 今のワルシャワは、戦後に復元されたものだ。「ワルシャワを歴史から消すことはできない」と市民たちが立ち上がり、17~18世紀の街並みを忠実に復元したのである。
 当時の風景画や建物の精密なスケッチや設計図を手がかりにして、廃墟に残されていたレンガや木組みをできる限り再利用したという。「レンガのひび割れ一つに至るまで」と形容されるほど緻密な作業だった。

 ワルシャワに一日や二日いても気づくことはないが、しばらく滞在していると、その街並みに表現しようのない違和感を覚え始める。古い街には、歴史をくぐり抜け、時間が降り積もって造りあげた目に見えない特別な質感、或いはオーラのようなものが漂っている。

 だが、悲しい事にワルシャワにはそれがない。乱暴に言えば、現実感が希薄な舞台装置を思わせるディズニーランドの建物に似た空気感だ。にも拘らず、ワルシャワの街が、人を惹きつけるのは、そんな質感やオーラの欠如を凌駕するほどの、ポーランドの人々のワルシャワを忠実に復元したいという執念のようなものが街のそこここに漂っているからだろう。

 廃墟のような状態から奇跡のように甦ったワルシャワの旧市街だが、復元された文化財であるため、当初は世界遺産への登録は危ぶまれていた。しかし、物理的な街並みに対してではなく、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価され、世界遺産に登録されたのだった。
 街の完璧な復旧に向けたポーランドの人々の不屈の魂と執念が勝ちとった世界遺産登録と言えよう。


▲美しく再現されたワルシャワの旧市街

▲▼看板など都市の細部まで再現されている

 

▲▼ワルシャワの街を描き続ける版画家と持ち帰った上記版画家の作品 碧い夜空に女神とWarsawの文字が浮かぶ


 第二次大戦で廃墟になったのは、東京も同じだ。しかし、ワルシャワは忠実に元の姿を再現しようとした。一方、東京は無秩序にアメーバの如く膨張した街を空襲で破壊されたのを奇貨として「東京戦災復興都市計画」によって近代都市に生まれ変わらせようとした。
 両都市の歴史は、対照的である。どうしても復元したいほどの美しい街だったワルシャワと、今も刻々と変化し続ける東京のダイナミズム。私にはどちらも興味深い。

 

 

                                    

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 口腔ケアと介護予防が大切  ... | トップ | またもやベテランの岩崎利明... »
最新の画像もっと見る

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道」カテゴリの最新記事