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急速に「中国化」する香港 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(74)

2024-10-26 05:26:39 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(74)

急速に「中国化」する香港

 

香港(中国)

 


▲上空から見下ろす香港

 

 かつての同僚T氏から久し振りにメールが届いた。香港空港の無人旅客輸送システム拡張プロジェクトの責任者だったA氏がご夫人と来日するので、一緒にメシでも食おうというお誘いだ。
 プロジェクトはかなり前に完成したのだが、彼との個人的な付き合いは今も続いている。ビジネスに於けるA氏は香港人らしい合理的な考えの持ち主でなかなか手強い。
 しかし、食事を挟んでの彼との会話は硬軟取り混ぜた話題が次次と飛び出し、当意即妙なやりとりは実に楽しい。彼は東京やハワイのマラソンに何度も参加しているランナーであると同時に無類のウイスキー好きだ。
 世のウィスキー好きは、得てして自分の知識をひけらかしたがる子供じみた習性がある。彼も私も例外ではない。特にスコッチのシングルモルトやジャパニーズウイスキーの話題になると止まるところを知らない。
「あなたはホントのwhisky connoisseur (ウイスキー通)だね!」  そう言うと、
「まあね。でも、私はwhisky connoisseurであると同時にwhisky investor(ウイスキー投資家)なんだよ」
 と彼はいたずらっぽく笑う。

 それから、彼はひとしきり自慢のウイスキーコレクションを紹介しながら、どのウイスキーがどれだけ値上がりしたかを鼻の穴を膨らませて、さりげない風を装いつつ語るのである。
 酔っ払った私は、とても羨ましくて、
「よし、オレも一丁ウイスキーに投資するか!」
 などと瞬間的に一人で盛り上がりはするのだが、根が面倒くさがり屋なので投資のことなど直ぐに忘れてしまう。ちょっと背伸びするくらいの美味しいウイスキーが飲めればそれで良しである。

 A氏の回想に耽っていたら、一緒に仕事をした香港空港プロジェクトチームの顔が次々に浮かんできた。殆どが若い人で、圧倒的に女性メンバーが多かった。皆、明るく美人で、本当に優秀だった。プロジェクトが終わったとき、彼ら香港空港プロジェクトチームが送別会を開いてくれた。みんな、どうしているのだろう?
 一方、当時の私たちのチームは最年長の75歳を筆頭に私を含め定年間近の年寄りばかりで、伸びゆく香港と沈滞し続ける日本の縮図を見る思いだった。

 そんな活力が漲っていた香港が、凄まじいスピードで変化し続けている。劣化と言っても間違いではないだろう。2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行以降、言論弾圧や民主化運動等の統制は熾烈を極めている。
 香港は英国植民地ではあったが、人々は自治権を持ち、自由な生活を謳歌していたのだ。それが、一変したのである。順を追って香港の変化を見てみよう。
 香港の友人たちの顔を思い浮かべると、胸が締め付けられる思いがする。2017年から2019年まで、私は年の半分を香港で過ごし、香港の人々が必死で自由な社会を護ろうと戦う姿を目の当たりにしてきたからだ。

1997年7月    香港返還
2014年9~12月    普通選挙を求める市民が道路を占拠する雨傘運動
2017年7月    香港返還20周年式典で習近平国家主席が「一国」重視の演説。返還後50            年は「一国二制度」堅持するという国際的な約束が堂々と反故にされた                                    瞬間である

2019年6月      6月逃亡犯条例改正案に反対する大規模デモが頻発
2020年6月    国家安全維持法が施行

 

▲2014年の雨傘運動 道路を埋め尽くす民衆

 

 社会の変化はあらゆる所に現れる。顕著な例を挙げよう。人口減少だ。2022年6月のデータでは、729万1600人で、2021年から約12万人(1.6%)減っている。1997年の英国から中国への返還以来、最大の人口減である。
 細かい説明は省略するが、人口減の最大の要因は中国共産党による香港の「中国化」に絶望し香港を脱出する人が急増したことだ。脱出組の多くは、高学歴の富裕層である。私の友人も香港から日本に移住して来た。
 香港に残されたのは、高齢者を中心とする低所得層である。現在、香港の人口の20%、139万人が貧困層だという。2019年の同時期と比べると、42.9%の増加である。
 貧困化の引き金となったのは、「逃亡犯条例改正案」に反対する市民の大規模なデモ鎮圧の為に当局が繰り広げた苛烈な取り締りだったと私は思う。香港人が香港を見限ったのだろう。

▲政府を批判する風刺画

▲街のあらゆる所の壁は反政府のポスターや情報交換の為の紙片で覆い尽くされていた

▲反政府ポスター


 香港の中国化にまつわるニュースは長い間頻繁に流されていたが、今では、ウクライナ戦争、ガザ戦争、朝鮮半島情勢などの陰に埋もれてしまっている。ニュースとはその時々の時勢に応じて消費されるものなので、仕方がないのかも知れない。
 しかし、香港のことも忘れないでもらいたい。何枚も撮った反政府運動のポスターが氾濫する街角の風景の写真の内3枚を上に載せた。
 これらは、逃亡犯条例改正案に反対する大規模デモが頻発していた頃のものだが、瞬く間に撤去されてしまった。日に日に「中国化」する香港。かつての活気に満ちた香港はどこへ行ったのだろう。

 

           

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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