国鉄スワローズと読売ジャイアンツで活躍した金田正一さんが亡くなりました。
86歳でした。
弱小球団だった国鉄スワローズで14年連続で20勝を挙げた類いまれな大投手です。
じいちゃんの父親が国鉄職員だったので、スワローズとジャイアンツのゲームは、必ずTV中継で見ていた(見させられてた?)という記憶があります。
じいちゃんがドラゴンズファンになって、1969年10月10日のジャイアンツVSドラゴンズ戦で日本球界初の通算400勝を達成したのは鮮明に覚えています。
そして、その年に引退…。
以後は、解説者をしたりロッテの監督をしたりしていましたね。
TVにもよく登場して、日曜朝の番組では張さんとよく「喝!」なんて叫んでいました。
この人の現役時代の姿が実際に見られただけでも儲けもんという感じです。
今の投手とはシステムから何から全部違う時代に、強靭な肩と走り込みを続けて長期間に渡り活躍した投手も他にいないでしょう。
なんせ400勝ですから…。
山本昌投手があれだけやって、やっとこ200勝です。
金田という投手がどれだけ凄かったかがこれでも分ります。
彼岸へ行かれても、日本のプロ野球をしっかりと見守っていていただきたいと願います。
合掌。
86歳でした。
弱小球団だった国鉄スワローズで14年連続で20勝を挙げた類いまれな大投手です。
じいちゃんの父親が国鉄職員だったので、スワローズとジャイアンツのゲームは、必ずTV中継で見ていた(見させられてた?)という記憶があります。
じいちゃんがドラゴンズファンになって、1969年10月10日のジャイアンツVSドラゴンズ戦で日本球界初の通算400勝を達成したのは鮮明に覚えています。
そして、その年に引退…。
以後は、解説者をしたりロッテの監督をしたりしていましたね。
TVにもよく登場して、日曜朝の番組では張さんとよく「喝!」なんて叫んでいました。
この人の現役時代の姿が実際に見られただけでも儲けもんという感じです。
今の投手とはシステムから何から全部違う時代に、強靭な肩と走り込みを続けて長期間に渡り活躍した投手も他にいないでしょう。
なんせ400勝ですから…。
山本昌投手があれだけやって、やっとこ200勝です。
金田という投手がどれだけ凄かったかがこれでも分ります。
彼岸へ行かれても、日本のプロ野球をしっかりと見守っていていただきたいと願います。
合掌。