立川談志師匠が喉頭がんで亡くなったというニュースが流れました。
随分前から喉頭がん・・・という報道が行われていたので、「まぁ大変」と思っていました。
じいちゃんが子供の頃、土曜日に学校から帰って来ると吉本新喜劇や落語・漫才などのTV中継が流れていました。
落語家や漫才師は、ほとんどが大阪の吉本の芸人でした。特に落語はじいちゃんが、まだ子供だったからか、ちっとも面白くありませんでした。
漫才はギャグなど短い簡単な言葉で笑わせてくれましたが、15分という長い時間じっくりと話して最後にオチがくる落語は本当に飽き飽きする時間だったことを覚えています。
そんなじいちゃんが落語ってすげえ・・と感じたのが若い頃の談志師匠の落語を聞いたときです。中学生になった頃だったでしょうか、時事ネタを枕にぶっ込んで、初手からじいちゃんの心を捉え、最後のオチまで笑わせ続けてくれた話術に一発で魅了されたんです。
それからいろんな噺家の落語を聞くようになり、奥の深い話の意味も分って来て、日本の落語という伝統文化にどっぷりと漬かって来ました。
正統派の漫才や落語の番組が少なくなってしまいましたが、じっくりと落ち着いて楽しめる演芸番組が懐かしい今日この頃です。
随分前から喉頭がん・・・という報道が行われていたので、「まぁ大変」と思っていました。
じいちゃんが子供の頃、土曜日に学校から帰って来ると吉本新喜劇や落語・漫才などのTV中継が流れていました。
落語家や漫才師は、ほとんどが大阪の吉本の芸人でした。特に落語はじいちゃんが、まだ子供だったからか、ちっとも面白くありませんでした。
漫才はギャグなど短い簡単な言葉で笑わせてくれましたが、15分という長い時間じっくりと話して最後にオチがくる落語は本当に飽き飽きする時間だったことを覚えています。
そんなじいちゃんが落語ってすげえ・・と感じたのが若い頃の談志師匠の落語を聞いたときです。中学生になった頃だったでしょうか、時事ネタを枕にぶっ込んで、初手からじいちゃんの心を捉え、最後のオチまで笑わせ続けてくれた話術に一発で魅了されたんです。
それからいろんな噺家の落語を聞くようになり、奥の深い話の意味も分って来て、日本の落語という伝統文化にどっぷりと漬かって来ました。
正統派の漫才や落語の番組が少なくなってしまいましたが、じっくりと落ち着いて楽しめる演芸番組が懐かしい今日この頃です。