昨日は、地元北小金の八坂神社のお祭りでした。
地元の関係者のみなさんお疲れ様でした。
昨年は、台風で中止になり今年も前日豪雨だった。
さすがに、神道系の神さまはお祭りの期間よく雨を降らせる。
こんな時こそ、最近では忘れてしまった、神さまを敬う心を思い出して頂けたら幸いです。
開業当初、こんなことがありました。
体調不良を訴えて来られたお客さまに、矯正せず改善させたことがあり、どうして治ったのかと尋ねてこられたので、「念(おも)いを使わせていただきましたが、気功とはまったく違います。それは、私自身の力ではありませんし、早く改善していただきたいと想う愛の力です」と。
引き続き、感謝から無償の愛に付いて数十分間話したことを覚えています。
今と、ほとんどかわって居ないかもしれません…。
そのお客さんの姿を見ていると、怒りに満ちている感じがしたので、心の中から話してあげなさいとの感情がこみ上げて来たからです。
話しが進むにつれて、私の話を深く聞き入っている様子でした。
そして、そのお客さまが、最初に話された言葉が、「その話しを聞くのは二度目です」と言われました。
数年前、何に対しても怒りに燃えた時期があり、気晴らしに河川の草むらで寝転んでいた時、見知らぬ白いヒゲを生やした老人が近づいて来て、多くの人たちが忘れている本当の愛に付いて話してくれ、「その時は穏やかな気持ちになった」と言われました。
「これから、また、あなたが怒りに満ちた生活に戻った時、同じ話を誰かから聞く事になるかもしれない」と話されたそうです。
その後、その話しが気になり、何日か続けてその場所に行ったようですが、その老人とは会えず、老人もその話も忘れていたそうでした。
そして、一週間後の予約日に来られた姿は別人でした。
穏やかな顔立ちと慈眼で、「家族や人に対しての考え方もこの一週間で変わりました」と話されました。
謙虚さ故、よほど、人のあるべき姿が腑に落ちたのでしょう。
人は、だれでも、手に取って見たものしか信じようとしません。
唯物的な心の在り方が主体になり、尊い存在が軽視されるから悲しみや不幸になって行くと感じます。
尊さの縁に触れなければ、本当の豊かさは手に入りません。
神社や祭りを観る度に、このお客さまの事を思い出しています。
松戸市の整体院・らくだ倶楽部カイロプラクティック
地元の関係者のみなさんお疲れ様でした。
昨年は、台風で中止になり今年も前日豪雨だった。
さすがに、神道系の神さまはお祭りの期間よく雨を降らせる。
こんな時こそ、最近では忘れてしまった、神さまを敬う心を思い出して頂けたら幸いです。
開業当初、こんなことがありました。
体調不良を訴えて来られたお客さまに、矯正せず改善させたことがあり、どうして治ったのかと尋ねてこられたので、「念(おも)いを使わせていただきましたが、気功とはまったく違います。それは、私自身の力ではありませんし、早く改善していただきたいと想う愛の力です」と。
引き続き、感謝から無償の愛に付いて数十分間話したことを覚えています。
今と、ほとんどかわって居ないかもしれません…。
そのお客さんの姿を見ていると、怒りに満ちている感じがしたので、心の中から話してあげなさいとの感情がこみ上げて来たからです。
話しが進むにつれて、私の話を深く聞き入っている様子でした。
そして、そのお客さまが、最初に話された言葉が、「その話しを聞くのは二度目です」と言われました。
数年前、何に対しても怒りに燃えた時期があり、気晴らしに河川の草むらで寝転んでいた時、見知らぬ白いヒゲを生やした老人が近づいて来て、多くの人たちが忘れている本当の愛に付いて話してくれ、「その時は穏やかな気持ちになった」と言われました。
「これから、また、あなたが怒りに満ちた生活に戻った時、同じ話を誰かから聞く事になるかもしれない」と話されたそうです。
その後、その話しが気になり、何日か続けてその場所に行ったようですが、その老人とは会えず、老人もその話も忘れていたそうでした。
そして、一週間後の予約日に来られた姿は別人でした。
穏やかな顔立ちと慈眼で、「家族や人に対しての考え方もこの一週間で変わりました」と話されました。
謙虚さ故、よほど、人のあるべき姿が腑に落ちたのでしょう。
人は、だれでも、手に取って見たものしか信じようとしません。
唯物的な心の在り方が主体になり、尊い存在が軽視されるから悲しみや不幸になって行くと感じます。
尊さの縁に触れなければ、本当の豊かさは手に入りません。
神社や祭りを観る度に、このお客さまの事を思い出しています。
松戸市の整体院・らくだ倶楽部カイロプラクティック