「あきれた」
思わず孔明は口にしたが、それはあまりの魯粛の正直さと大胆さに驚いたからだった。
魯粛のことばは確かにそのとおりだが、だからといって、こうまで明言する必要はない。
おそらく、魯粛には、劉備軍と孫権軍と争った場合に、自分たちのほうが勝てる自信があるのだろう。
『舐められたものだ』
孔明は小癪《こしゃく》に思ったが、ここで感情的になると、ますます足元を見られる可能性があるため、ぐっとこらえた。
親切にしてくれる男だが、将来の敵なのだ。
「では、戦後についてのことは、また曹操を追い出してから考えるとして。
しかし子敬《しけい》どの、なぜにそこまで先走っておられるのです?
孫将軍の意向も考慮して動いたほうが、あとあと面倒が起こらないのでは?」
「もちろん、面倒はおれもごめんだ。孫将軍の意向を無視するわけでもない。
ただ、いまここでのんびりしていたら、曹操のやつは、まちがいなく、揚州をも蹂躙《じゅうりん》すると思っているのだ。
孔明どの、あんたにはおれの気持ちがわかるはずだ。
おれは、どうしてもあの曹操というやつを許せないのだよ。
徐州の民をあんなふうに殺しつくした、あの男をな」
それまで陽気だった魯粛の顔つきが暗いものに変わり、その瞳には、粘りけのある影が宿った。
孔明は、この徐州出身の男のこころにも、深くて癒しがたい傷が残っているのだと気づく。
「孔明どの、あんたには期待しているよ。大丈夫、あんたならできる。
子瑜《しゆ》(諸葛瑾)どのの弟君だからな。
お互い、いまは協力して、同盟を成功させようじゃないか」
意味が通っているようで、まったく通っていない励ましを受けて、孔明も顔を苦笑いするしかない。
となりにいる趙雲は憮然《ぶぜん》としており、騙されたような気持ちを持て余している様子であった。
たしかに魯粛の言うことはもっともだ。
自分たちには、孫権と同盟を結び、曹操と対抗するほかに、生き残るすべがない。
劉備は蒼梧《そうご》に行ってもいいと考えているようだが、辺境に引っ込んだが最後、あとはじりじりと異邦に追いやられるか、一気に攻め込まれるか、どちらかの未来しか思い浮かばない。
それは、孔明が構想している天下三分の計とはまったくかけ離れた戦略だった。
とはいえ、魯粛にすべて賛成できるかというと、そうではない。
問題は、荊州だ。
『荊州を手放してはならない。
このひとがあけすけに語ってくれたから、かえってわたしも気持ちが固まった。
なんとしてもわれらの荊州を堅守しなければ。
そして、子敬どのの言うとおり、曹操を北へ追い払い、そのあとに起こるであろう孫将軍との戦いにも勝つ。必ずだ』
これから出会うだろう人々は、いまは味方であるが、遠い未来には敵である。
そのことを肝に銘じて、孔明はしずかに勝利への決意を固めた。
つづく
思わず孔明は口にしたが、それはあまりの魯粛の正直さと大胆さに驚いたからだった。
魯粛のことばは確かにそのとおりだが、だからといって、こうまで明言する必要はない。
おそらく、魯粛には、劉備軍と孫権軍と争った場合に、自分たちのほうが勝てる自信があるのだろう。
『舐められたものだ』
孔明は小癪《こしゃく》に思ったが、ここで感情的になると、ますます足元を見られる可能性があるため、ぐっとこらえた。
親切にしてくれる男だが、将来の敵なのだ。
「では、戦後についてのことは、また曹操を追い出してから考えるとして。
しかし子敬《しけい》どの、なぜにそこまで先走っておられるのです?
孫将軍の意向も考慮して動いたほうが、あとあと面倒が起こらないのでは?」
「もちろん、面倒はおれもごめんだ。孫将軍の意向を無視するわけでもない。
ただ、いまここでのんびりしていたら、曹操のやつは、まちがいなく、揚州をも蹂躙《じゅうりん》すると思っているのだ。
孔明どの、あんたにはおれの気持ちがわかるはずだ。
おれは、どうしてもあの曹操というやつを許せないのだよ。
徐州の民をあんなふうに殺しつくした、あの男をな」
それまで陽気だった魯粛の顔つきが暗いものに変わり、その瞳には、粘りけのある影が宿った。
孔明は、この徐州出身の男のこころにも、深くて癒しがたい傷が残っているのだと気づく。
「孔明どの、あんたには期待しているよ。大丈夫、あんたならできる。
子瑜《しゆ》(諸葛瑾)どのの弟君だからな。
お互い、いまは協力して、同盟を成功させようじゃないか」
意味が通っているようで、まったく通っていない励ましを受けて、孔明も顔を苦笑いするしかない。
となりにいる趙雲は憮然《ぶぜん》としており、騙されたような気持ちを持て余している様子であった。
たしかに魯粛の言うことはもっともだ。
自分たちには、孫権と同盟を結び、曹操と対抗するほかに、生き残るすべがない。
劉備は蒼梧《そうご》に行ってもいいと考えているようだが、辺境に引っ込んだが最後、あとはじりじりと異邦に追いやられるか、一気に攻め込まれるか、どちらかの未来しか思い浮かばない。
それは、孔明が構想している天下三分の計とはまったくかけ離れた戦略だった。
とはいえ、魯粛にすべて賛成できるかというと、そうではない。
問題は、荊州だ。
『荊州を手放してはならない。
このひとがあけすけに語ってくれたから、かえってわたしも気持ちが固まった。
なんとしてもわれらの荊州を堅守しなければ。
そして、子敬どのの言うとおり、曹操を北へ追い払い、そのあとに起こるであろう孫将軍との戦いにも勝つ。必ずだ』
これから出会うだろう人々は、いまは味方であるが、遠い未来には敵である。
そのことを肝に銘じて、孔明はしずかに勝利への決意を固めた。
つづく
※ 短めの文章量の回ですが、キリが良いので、ここで「明日に続く」です。
回想シーンも終わり、次回、柴桑城に戻ります。
前作とはちがう設定での舌戦シーンとなります!
どう違うか、どうぞおたのしみに(と、自分で自分のハードルを上げる)!