一方の顔良は、快進撃をつづけていた。
敵はおもった以上によわかった。
なにせ顔良の部隊が突進してくると、武器を捨てて逃げていく兵がいる。
それも歩兵だけではない、騎兵も逃げていくのだ。
白馬の戦場のなか、まっすぐに馬を駆って進みながら、顔良は、これならば曹操の首をとるのも、たいして困難な事業ではないとおもいはじめていた。
かれが見る限り、曹操の兵の士気はいちじるしく低い。あわれな小男の首はすでに目の前にぶらさがっている。
そして、その奧には、うつくしい紅霞が待っている。
かのじょがさいごに見せてくれた笑顔、かわいらしいえくぼと、小麦色の肌に映える白い歯が、いつまでも顔良の脳裏にあった。
なので、副将の陳到が、あまりに前に出すぎていることを諌めても、ろくろく耳を貸さなかった。
陳到は、おびえを声ににじませて、馬上から声をかけてくる。
「おかしいですぞ、将軍、敵が弱すぎます」
おかしなことをいうやつだ、と顔良は聞き流した。
曹操の兵がつよいというのは、だれが決めたのだ? 耳で聞くのと目で見るのとではおおちがいということは、世の中たくさんあるわけだ。これもその例のひとつにちがいない。
顔良と陳到、そしてそれに付き従う騎馬兵と、かれらの後を追う歩兵たちは、まるで無人の原を行くように白馬の奥へ、奥へ、と入っていった。
一里行くごとに、陳到が行軍の速度をゆるめるように言ったが、顔良は聞かなかった。
それどころか、陳到のひきつり、こわばった顔を見て、かれを笑い飛ばすほどであった。
陳到は、たしかによく出来るおとこだが、いささか気の小さいところがあるようだ。
袁紹うごく。
その報だけでも曹操の兵は肝を縮めたのに、先鋒が顔良と聞いて、ますます顔色をうしなったのにちがいない。
かれの姓である『顔』の文字が染め抜かれた旗をかかげ、大声で、顔良のために道を開けよ、顔良のために道を開けよと叫びながらの行軍。
白馬で待ち受けていた曹操の兵は、顔良の名を聞くと、おもしろいくらいに逃げていった。
その背中は、はっきりと、おれは命が惜しいのだ、ということを伝えていた。
自分でも自分が強いということはよくわかっていたが、それを目に見えるかたちでたしかめられるというのは気持ちのよいことだ。
自分がとても大きなものになったように感じられる。
この快感に、顔良は酔っていた。
途中、休憩のため、馬の歩をとめ、叫びながら馬を駆ったことで口に入った砂をゆすぎ取る。
そして、顔にたくさんぶつかってきて死んだ虫たちを顔からぬぐった。
あまりに楽な行軍だったので、うしろからぞろぞろとついてくる兵たちも私語が耐えない。
だれもが曹操の兵の弱さに安心していた。
歯を見せて、笑っている者すらいる。
緊張しているのは陳到だけであった。
かれは、まるで晩餐に自分が供されることを周囲の空気から敏感に感じ取って、がたがた震えている子羊のようであった。
「陳到よ、それほどおびえることはない、曹操はおそらく白馬から引くことを決めたのだ。この顔良が来ると聞いては、逃げるほかはないと算段したのであろうよ」
つづく…
敵はおもった以上によわかった。
なにせ顔良の部隊が突進してくると、武器を捨てて逃げていく兵がいる。
それも歩兵だけではない、騎兵も逃げていくのだ。
白馬の戦場のなか、まっすぐに馬を駆って進みながら、顔良は、これならば曹操の首をとるのも、たいして困難な事業ではないとおもいはじめていた。
かれが見る限り、曹操の兵の士気はいちじるしく低い。あわれな小男の首はすでに目の前にぶらさがっている。
そして、その奧には、うつくしい紅霞が待っている。
かのじょがさいごに見せてくれた笑顔、かわいらしいえくぼと、小麦色の肌に映える白い歯が、いつまでも顔良の脳裏にあった。
なので、副将の陳到が、あまりに前に出すぎていることを諌めても、ろくろく耳を貸さなかった。
陳到は、おびえを声ににじませて、馬上から声をかけてくる。
「おかしいですぞ、将軍、敵が弱すぎます」
おかしなことをいうやつだ、と顔良は聞き流した。
曹操の兵がつよいというのは、だれが決めたのだ? 耳で聞くのと目で見るのとではおおちがいということは、世の中たくさんあるわけだ。これもその例のひとつにちがいない。
顔良と陳到、そしてそれに付き従う騎馬兵と、かれらの後を追う歩兵たちは、まるで無人の原を行くように白馬の奥へ、奥へ、と入っていった。
一里行くごとに、陳到が行軍の速度をゆるめるように言ったが、顔良は聞かなかった。
それどころか、陳到のひきつり、こわばった顔を見て、かれを笑い飛ばすほどであった。
陳到は、たしかによく出来るおとこだが、いささか気の小さいところがあるようだ。
袁紹うごく。
その報だけでも曹操の兵は肝を縮めたのに、先鋒が顔良と聞いて、ますます顔色をうしなったのにちがいない。
かれの姓である『顔』の文字が染め抜かれた旗をかかげ、大声で、顔良のために道を開けよ、顔良のために道を開けよと叫びながらの行軍。
白馬で待ち受けていた曹操の兵は、顔良の名を聞くと、おもしろいくらいに逃げていった。
その背中は、はっきりと、おれは命が惜しいのだ、ということを伝えていた。
自分でも自分が強いということはよくわかっていたが、それを目に見えるかたちでたしかめられるというのは気持ちのよいことだ。
自分がとても大きなものになったように感じられる。
この快感に、顔良は酔っていた。
途中、休憩のため、馬の歩をとめ、叫びながら馬を駆ったことで口に入った砂をゆすぎ取る。
そして、顔にたくさんぶつかってきて死んだ虫たちを顔からぬぐった。
あまりに楽な行軍だったので、うしろからぞろぞろとついてくる兵たちも私語が耐えない。
だれもが曹操の兵の弱さに安心していた。
歯を見せて、笑っている者すらいる。
緊張しているのは陳到だけであった。
かれは、まるで晩餐に自分が供されることを周囲の空気から敏感に感じ取って、がたがた震えている子羊のようであった。
「陳到よ、それほどおびえることはない、曹操はおそらく白馬から引くことを決めたのだ。この顔良が来ると聞いては、逃げるほかはないと算段したのであろうよ」
つづく…