はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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甘いゆめ、深いねむり その20

2013年07月20日 10時21分28秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
顔良は馬の腹をけり、揉め事がおこっている黎陽の正門に駆けつけた。
するとどうであろう、陳到のいうとおり、正門のあたりは修羅場となっていた。
顔良が駆けつけたころには、田豊は袁紹の儀仗兵によってとらえられ、両脇をつかまれており、その場に座らされて、いまにも首を斬られようとしている。
その冷酷な首切り人は袁紹みずからで、つねひごろから大切にしている袁家の家宝の大剣をぬきはなち、びゅうと吹く風にまぎれてしまって明確なことばは聞こえてこないが、なにやら呪詛のことばを田豊に投げているようだ。
そして、田豊と袁紹のあいだには、あわれなほどにうろたえて、嘆いている、田豊の養女の紅霞と、田豊の盟友の沮授がいて、必死に、田豊の命乞いをしているのだった。
顔良は、もとより袁紹にばつぐんの忠誠を誓うおとこであったから、田豊がいまになってもなお、持久戦を訴え、行軍を止めようとしていることに腹を立てていた。
袁紹のほうはといえば、いつもの温和な雰囲気はすっかり消え、まさに阿修羅の顔である。よほど田豊は無礼なことばを袁紹にぶつけたのにちがいなかった。
その一方で、沮授は、田豊のとなりに並んで座って、けんめいに袁紹の頭を冷やすべく、ことばを重ねて、田豊をゆるすようにと懇願している。
当の田豊はというと、髪は乱れ、表情は諦観を浮かべ、唇を固く引き結び、言い訳のひとつもしようとしていない。
はげしく感情を見せているのは紅霞で、彼女のめずらしく高い声が、正門の煉瓦に何度も響いては跳ね返っていた。

顔良は馬を下りると、大粒の涙をながして、ふだんの涼やかな様子をかなぐり捨てて、懸命に養父の命乞いをする紅霞が、袁紹の袂に手を伸ばし、すがろうとするのを、うしろから抱きかかえるようにして止めた。
「なにをする、はなせ」
紅霞は抵抗してあばれたが、しかし顔良の腕力の前には、すぐにおとなしくせざるを得なくなった。
紅霞をおとなしくさせているあいだ、顔良は、いままでになく、頭を素早くうごかしていた。
持久戦が、速戦が、田豊が、というよりも、紅霞を助けたい、その一心であった。

袁紹は、田豊の首をみずから刎ねるべく、宝剣を振り上げる。
ふだんは鷹揚で、たいがいのことは人に任せる袁紹である。
みずから田豊を斬ろうと考えていること自体、かなり激昂しているということのあらわれであった。
顔良は、紅霞の腕をがっちりとつかんだまま、袁紹にいう。
「お待ちくだされ、主公。いま、ここで田豊どのを斬ってはなりませぬ」
袁紹は顔色ひとつ変えず、こわばった顔のまま、じっと田豊を見ている。
それはどこか、かれの首のどのあたりを斬ろうと考えているのか思案している顔のようにも見えた。
顔良はつづけた。
「主公、周の武王と伯夷と叔斉の故事を思い出してくだされ。伯夷と叔斉の兄弟は、不忠を理由に武王の出陣をとめようとしました。武王は主君を討ちにいく場合でも、不埒な兄弟を斬りませんでした。やわれらのめでたい出陣のはじめに、人の首を斬るのは不吉です。ましてや、田豊どのは、これまでわれら陣営にひとかたならぬご尽力をなさってこられたお方です。その首を前にして出陣せねばならぬ兵は、おそらく士気が低下いたします」

つづく…


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