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新野城の住民たちは、その朝、何度もおどろくことになった。
劉備が、朝餉もとらずに正門へ飛び出していったかと思えば、出奔したはずの麋竺をともなって戻ってきた。
そればかりではない。
麋竺は新野城の住民が見たことのない男装の女をともなっていた。
さらには、それを守るようにしておおぜいの新野の娼妓たちが、ふだんは出入りの許されない城内へ入っていく。
娼妓たちは、ほとんどしゃべらず、息をつめて、なにかを待っている様子である。
娼妓たちだけではなく、劉備や関羽をはじめ、趙雲の副将・陳到、麋竺、そして男装の女もまた、押し黙っていた。
かれらの表情は、みなどれもひどく緊張している。
それをみた新野の住民のだれもが、何事かあったらしいと感づき、また自身も沈黙をした。
劉備は城に戻るなり、手の空いている男たちをあつめると、めいめいに工具をもたせ、東の蔵へ向かった。
だれもが押し黙っているなか、麋竺が沈黙を破る。
「ここは墓標だ」
麋竺の目線の先には、調練場のすぐそばに鎮座する東の蔵があった。
一見すると、何の変哲もない煉瓦づくりの蔵である。
だが陳到は、東の蔵の入口に、誰かが立っていて、じっとこちらを見ているような気配をおぼえた。
おもわず陳到はじっと目を凝らすが、やはりそれは気のせいで、だれもいない。
東の蔵は晴天の下、いつものように不気味な存在感を見せ付けて、そこにあるだけだった。
と、そこへ荒々しい声がする。
やれやれ。
陳到は、向こう側より、元気よく飛んでくる武将の姿を見て、うんざりした。
麋芳である。
陳到と関羽の横槍に腹をたて、劉備に言いつけに先に城に入っていたのだ。
「兄上っ。いままで、いったい、どこに隠れておったのだ!」
麋竺は弟の麋芳を見るなり、めずらしくあからさまに不機嫌になった。
「あとで話す。そなたはいまは、黙っているがいい」
「なぜだ! 理由を言ってくれ。
兄上のいないあいだ、俺がどれだけの迷惑を蒙ったと思う?
俺には兄上の話をいちばん先に聞く権利があるぞ!
いったい、この騒ぎはなんだ?
わが君まで引っ張り出して、なにがはじまるというのだ?」
口からつばを飛ばしてまくしたてる麋芳だが、緊迫した空気をかえってぎすぎすしたものに変える役にしかたっていない。
事情がなにもわからず混乱する気持ちはわかる。
だが、まるで雰囲気を察していない様子に、陳到もいらいらしはじめた。
劉備は冷静であった。
仲裁に入ろうとしたのか歩をすすめた関羽を、手でやんわりと押し留め、言った。
「すまぬが、おまえは、いまはちょっと引っ込んでいてくれ」
「しかし、わが君」
食い下がろうとする麋芳に、劉備はきびしく叱るように言った。
「頼むから、引っ込んでいてくれ。
いまは、おまえの抗議に耳を傾けていられる余裕のあるやつは、このなかには誰もいないのだ」
麋芳はまだなにか言おうとしたが、劉備は機制を先して、くるりと背を向ける。
そして、麋竺にたずねた。
「で、わしたちはどうすればよい?」
劉備の問いに、麋竺はすぐには答えなかった。
麋竺は東の蔵ではなく、その蔵のとなりのおおきな楠木を見やった。
早朝の調練がおわり、木陰で休んでいただろう兵士の忘れ物の手ぬぐいが、木の枝に下げられたままになっている。
それがひらひらと風に舞い、まるでおいでおいでをしているような錯覚をおぼえた。
「この樹がどうしたのだ」
劉備がたずねると、麋竺は見事な枝振りを見せる楠木を見上げ、嘆息すした。
「この樹は、わたくしを見て、笑っていることでしょう。
この樹は、そもそもが、わたくしが七年前、あの蛮行を忘れぬよう、そして眠れる者たちのせめてもの慰めになるようにと、植えたものです。
沈黙を守ることはつらかった」
そして、麋竺は劉備を振り返ると、青白い顔のまま、あつめられた人夫たちに命じた。
「東の蔵の床板をすべてはがし、地面を掘り返してくれ」
合図とともに、人夫たちはいっせいに東の蔵へとなだれ込んでいった。
もはや、だれも東の蔵に入ることをいやがらない。
調練が中止となったので、兵舎の兵士たちも集まってきた。
やいのやいのと騒ぎになってきたので、陳到と関羽で押し留める。
兵士たちは、面白い見世物がはじまると錯覚をおこしているのか、陳到と関羽に兵舎に戻るよういわれると、ぶうぶう言った。
陳到は根気強く兵士たちを引き上げさせ、兵舎で下知があるまで大人しくしているよう命令した。
東の蔵の中身を一気に外へ出し、床板を親の仇を討つかのような勢いではがしていく。
その作業を、陳到をはじめ、麋竺と劉備らも黙って見守っていた。
つづく
新野城の住民たちは、その朝、何度もおどろくことになった。
劉備が、朝餉もとらずに正門へ飛び出していったかと思えば、出奔したはずの麋竺をともなって戻ってきた。
そればかりではない。
麋竺は新野城の住民が見たことのない男装の女をともなっていた。
さらには、それを守るようにしておおぜいの新野の娼妓たちが、ふだんは出入りの許されない城内へ入っていく。
娼妓たちは、ほとんどしゃべらず、息をつめて、なにかを待っている様子である。
娼妓たちだけではなく、劉備や関羽をはじめ、趙雲の副将・陳到、麋竺、そして男装の女もまた、押し黙っていた。
かれらの表情は、みなどれもひどく緊張している。
それをみた新野の住民のだれもが、何事かあったらしいと感づき、また自身も沈黙をした。
劉備は城に戻るなり、手の空いている男たちをあつめると、めいめいに工具をもたせ、東の蔵へ向かった。
だれもが押し黙っているなか、麋竺が沈黙を破る。
「ここは墓標だ」
麋竺の目線の先には、調練場のすぐそばに鎮座する東の蔵があった。
一見すると、何の変哲もない煉瓦づくりの蔵である。
だが陳到は、東の蔵の入口に、誰かが立っていて、じっとこちらを見ているような気配をおぼえた。
おもわず陳到はじっと目を凝らすが、やはりそれは気のせいで、だれもいない。
東の蔵は晴天の下、いつものように不気味な存在感を見せ付けて、そこにあるだけだった。
と、そこへ荒々しい声がする。
やれやれ。
陳到は、向こう側より、元気よく飛んでくる武将の姿を見て、うんざりした。
麋芳である。
陳到と関羽の横槍に腹をたて、劉備に言いつけに先に城に入っていたのだ。
「兄上っ。いままで、いったい、どこに隠れておったのだ!」
麋竺は弟の麋芳を見るなり、めずらしくあからさまに不機嫌になった。
「あとで話す。そなたはいまは、黙っているがいい」
「なぜだ! 理由を言ってくれ。
兄上のいないあいだ、俺がどれだけの迷惑を蒙ったと思う?
俺には兄上の話をいちばん先に聞く権利があるぞ!
いったい、この騒ぎはなんだ?
わが君まで引っ張り出して、なにがはじまるというのだ?」
口からつばを飛ばしてまくしたてる麋芳だが、緊迫した空気をかえってぎすぎすしたものに変える役にしかたっていない。
事情がなにもわからず混乱する気持ちはわかる。
だが、まるで雰囲気を察していない様子に、陳到もいらいらしはじめた。
劉備は冷静であった。
仲裁に入ろうとしたのか歩をすすめた関羽を、手でやんわりと押し留め、言った。
「すまぬが、おまえは、いまはちょっと引っ込んでいてくれ」
「しかし、わが君」
食い下がろうとする麋芳に、劉備はきびしく叱るように言った。
「頼むから、引っ込んでいてくれ。
いまは、おまえの抗議に耳を傾けていられる余裕のあるやつは、このなかには誰もいないのだ」
麋芳はまだなにか言おうとしたが、劉備は機制を先して、くるりと背を向ける。
そして、麋竺にたずねた。
「で、わしたちはどうすればよい?」
劉備の問いに、麋竺はすぐには答えなかった。
麋竺は東の蔵ではなく、その蔵のとなりのおおきな楠木を見やった。
早朝の調練がおわり、木陰で休んでいただろう兵士の忘れ物の手ぬぐいが、木の枝に下げられたままになっている。
それがひらひらと風に舞い、まるでおいでおいでをしているような錯覚をおぼえた。
「この樹がどうしたのだ」
劉備がたずねると、麋竺は見事な枝振りを見せる楠木を見上げ、嘆息すした。
「この樹は、わたくしを見て、笑っていることでしょう。
この樹は、そもそもが、わたくしが七年前、あの蛮行を忘れぬよう、そして眠れる者たちのせめてもの慰めになるようにと、植えたものです。
沈黙を守ることはつらかった」
そして、麋竺は劉備を振り返ると、青白い顔のまま、あつめられた人夫たちに命じた。
「東の蔵の床板をすべてはがし、地面を掘り返してくれ」
合図とともに、人夫たちはいっせいに東の蔵へとなだれ込んでいった。
もはや、だれも東の蔵に入ることをいやがらない。
調練が中止となったので、兵舎の兵士たちも集まってきた。
やいのやいのと騒ぎになってきたので、陳到と関羽で押し留める。
兵士たちは、面白い見世物がはじまると錯覚をおこしているのか、陳到と関羽に兵舎に戻るよういわれると、ぶうぶう言った。
陳到は根気強く兵士たちを引き上げさせ、兵舎で下知があるまで大人しくしているよう命令した。
東の蔵の中身を一気に外へ出し、床板を親の仇を討つかのような勢いではがしていく。
その作業を、陳到をはじめ、麋竺と劉備らも黙って見守っていた。
つづく
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そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさま、大感謝です!
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ウェブ拍手のお返事を含めた近況報告は、明日以降にする予定です。
更新しましたら、どうぞ見てやってくださいませ(すみません、今日は用事がありまして、忙しくて…)
ところで仙台もまた大雪です。
振り出しに戻った感があります…うう。
千葉出身のもやしっ子には、雪はこたえますなあ。
みなさま、滑らないようにお気をつけくださいませ。
わたしも気を付けて歩きます。
ではでは、よい一日をー('ω')ノ