はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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虚舟の埋葬 24

2009年08月12日 19時11分39秒 | 虚舟の埋葬

大勢の兵卒の足音、斜面を行く息遣い、馬蹄の音、そして人の気配に怖じて逃げる獣の気配、警告するように頭上より鳴きつづける鳥の声。
それらを子守唄に、さすがに疲労には勝てず、文偉は馬上でうつらうつらしながら、死んだ孔明と、おのれの差について、覚醒している部分でずっと考え続けていた。
孔明は、なぜに自分に多くの宿題を残したまま、逝ってしまったのだろうと、悲しく、そして恨みにさえ思った。

山風が吹いて、馬上の文偉は、不意に目覚めて、袖で目を庇う。
その動きにあわせて、腰の帯飾りが、丁丁と鳴った。
その音に、疲労から覚め、思考が晴れてくる。
未来のことをくよくよと悩んでいる暇はない。
いま為すべき事は、内紛を収め、ひとりでも多くの味方の兵卒を故郷に帰してやることだ。
そして、魏延の部隊に組み込まれた兵卒を、魏延とともに討つのではなく、救うのだ。
かれらは何も知らない。

ふと前方を見れば、伝令が、文偉のもとへ駆けてくるのが見えた。
そして、畏まり、手にした地図を文偉に渡す。
ひろげてみれば、陣形図である。
「南谷口(なんこくこう)にて、魏将軍が陣を敷いているのを確認いたしました。先陣の何将軍が、すでに迎撃されている由にございます!」
文偉は、そばにいた姜維と、思わず顔を見合わせた。
「山林の動きを見張らせていたようだな」
「それでも、数では我らのほうが上。戦況はどうだ?」
「はい。敵の数が少ないために、何将軍が優勢でございます。敵は戦意に乏しく、早々に投降する者もあとを絶たぬとか」
それを聞くや、姜維は、行軍する兵の足元を照らすために掲げられている篝火のもと、傍らで見ていた文偉さえ、思わず怖じるほどの、凄まじい笑みを浮かべた。
ふと獲物を前にした蛇を想像したのは、文偉だけではあるまい。
「勝ち戦となりますな」
喜色を隠さずいう姜維に、文偉はあくまでも冷静をよそおって、伝令に伝えた。
「我らもすぐに南谷口へ参る。何将軍には、投降した兵は武器を取り上げるにとどめ、けっして酷く扱うことのないようにと伝えよ。かれらは使える」
伝令が立ち去ってから、姜維が不思議そうに尋ねてきた。
「使える、とは?」
「考えがあるのだ。どちらの兵も傷つけたくない。楊長史からの指示はないか」
「特にはなにも。さきほど輜車の御者に尋ねたところ、頭痛がするとおっしゃって、侍医に薬をもらって、すこし休まれているとか」
「かえって都合がよい」
「それを貴方がおっしゃるか」
「揚げ足をとるな。ともかく急ぐぞ」
かくして、文偉は、近衛兵の数名、それから姜維らとともに、魏延が待ち受ける南谷口へと駒を走らせた。

南谷口に到着する頃には、夜も明けて、しらじらと東の空が明け染めていた。
地上で繰り広げられている血なまぐさい争いを、無表情に見つめる空は、いつものように彼方で、蒼ざめた顔を見せている。
すでに、何平は、迎撃にあらわれた小隊を退けていた。
文偉たちが到着すると、急ごしらえの柵のなかに、武器を取り上げられて、これからどうなるのかと不安げにしている、投降した兵卒たちが、地べたに胡坐を組んでいるのが見えた。
遠方を見れば、魏延の陣が整然と敷かれており、旗指物には、『魏』の文字、そして、別の旗には『蜀』の字が見える。
おのれこそが正統であると訴える男の気持ちを代弁するように、うつくしい紫雲のたなびく朝焼けの空の下、旗はしずかにはためていた。

「損害は?」
何平に聞くと、戦の興奮もさめやらぬ男は、向こうに見える敵の影を睨みつけながら、憤然と言った。
「すくない。ほとんどが怪我で済んでおる」
「それはよかった」
「敵方の部将を討った」
と、何平は、苛立ちが抑えられなくなったのか、組んだ腕の肘を握り締める指に、さらに力をこめた。
「何度か顔を合わせたことのある男だった。家も知っておる。家族も知っておる! なぜに味方同士で争わねばならぬ! なにが正統な後継だ! 斯様なこと、天が認めるはずがない! やつの志は、邪にあふれておる!」
「もう味方ではない」
いうと、文偉は、投降兵たちの囲われている柵のなかに足を踏み入れた。

文偉たちが姿をあらわすと、士卒長とおぼしき男が前に進み出て、膝にとりすがんばかりに、自分たちの無罪を訴えた。
涙ながらの必死の訴えをまとめると、こうだ。
かれらは魏延の命令により集められ、陣を引き上げ、南進するように命令されたという。
そのさい、魏延は全軍をあつめて、孔明が死んだこと、楊儀が、勝手に後継と名乗って、勝てる戦を前にして、陣を打ち捨て逃げ出さんとしていること、孔明は楊儀を後継と指名しておらず、自分こそが、つぎの蜀をになう男なのだと宣告した。
もちろん、魏延の子飼いの将兵の目を光らせている中である。
曲長らも、とりあえずは魏延に忠誠を誓うと表面では口にしたものの、不安でたまらなかったという。
自分たちを置いて、本営が黙って先に南下してしまったことで、動揺があったことも事実だ。
しかし、魏延の命ずるまま、楊儀らを追い越して先に谷を渡り、橋をつぎつぎと焼き落す作業をはじめた段になって、恐ろしさと、不安が募ってきたという。
たとえ相手が勝手に孔明の後継を名乗っている者だとしても、その背後には、多くの同胞たちがいるわけである。
橋を焼き落としてしまったら、かれらはどうなってしまうのだろう。
敵地に残され、賊軍にことごとく殺されてしまうのではないだろうか。
同胞を危険に晒すような非道な方法が、ほんとうに正道と言えるのだろうか、と。
魏延は橋を焼き落としてしまうと、成都に向けて、楊儀が反逆したと使者を立てた。
そして、南谷口に陣を敷くと、楊儀らがあらわれそうな地点に斥候部隊を配して、様子をうかがわせたのである。
そのうちのひとつが、いま虜となっている部隊で、不運にも何平と出くわし、戦うはめになったのだ。



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