先日、日光へ旅行に行きました。
若い頃は年に5,6回は撮影に行っていたのですが、
「観光」ということをしたことがなかったので、けっこう新鮮でした。
日光に行くのに2時間もあれば余裕だろう、と考えていましたが大誤算。
3時間半くらいかかってしまいました。
着くなり昼食です。
かねてから目を付けていたそば屋に直行。
詳しいことは後日報告します。
時間は押してるし、日頃の行いが悪いせいか雨だし、
いろは坂を登るモチベーションが無くなってしまいました。
まあ今回のメインは金谷ホテルなので、東照宮くらいにしましょ・・・
見たこと無いから。
なにぃ、修学旅行で来たって?
はやく言えよ、もう・・
まあいいでしょう、今回のお目当ては宝物殿です。
なにしろ開館している時間に来たことがありませんからね。
仙台方面へいってました。
逆に仙台の小学生は修学旅行で会津に来てたんですよ。
女房は仙台市出身なので、卒業アルバムに会津若松城で撮った
集合写真があるんですよ。
まさかここに嫁に来るとは・・・
話を戻しますが、宝物殿は徳川家康公のゆかりの物が展示されて
いるのですが、今回見たかったのは「将軍宣旨」です。
将軍宣旨とは天皇が「こいつを征夷大将軍にせよ」という命令書です。
原本が残っているのは極めて珍しいそうです。
しかも徳川家康の将軍宣旨ですよ、これはすごい。
征夷大将軍は元々臨時に置かれた役職で、当然任命されてはじめてなれる
ものでした。
ですから、たとえ将軍の子供でも任命されなければただの徳川本家の跡取りです。
前の将軍が隠居する時、「次は***をよろしくね」と言って、
お金と脅しで任命してもらうのです。
いつしか将軍職は徳川家が継ぐものと慣習化されました。
家康、頭いい!
ただ、征夷大将軍は武家の棟梁というだけで、官位そのものは
それほど高くないようです。
官位としては、同時に任命される右大臣のほうがはるかに上です。
宝物殿を見ていくうちに、我殿松平容保公のゆかりの物が
たくさんあることに気づきました。
なぜ?そうか、明治維新以降、容保公は東照宮の宮司をしていたんですね。
当時の写真なども展示してありました。
けっこう、おもしろいですよ。
でも、さすがに国宝クラスの宝物はレプリカでしたね。
上野の国立博物館は国宝でも現物が見られますよ。
なんとかしてもらいたいですよね。
ちなみに、「三つ葉葵の御紋」という言葉がありますが、
三つ葉葵という植物は存在しないそうです。
双葉葵の葉を三つ並べて作った架空の植物だそうです。
「親藩」と呼ばれる徳川家の親戚は葵の御紋の使用を許可されて
いたのですが、将軍家に遠慮して微妙に違っています。
会津藩が使っていた紋は「会津葵」といって、葉っぱが細く寝ています。
会津若松市の市花は「アオイ」です、やっぱりね。