ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

週末になって思う事

2021-04-01 | コリント人への手紙

3月28日の説教は、Ⅰコリント10:23-30から語られました。私は、礼拝の終了後すぐに、説教への応答を分かち合いをしたのに、その内容をすっかり忘れて、月曜日から今日まで暮らしていました。自分で自分を良しとする勝手な思い込みから、やたらと奔走しているような日々でした。(ζητἐω=求める・心がける・奔走する)

はたして、私のしたことが、有益であり、誰かの助けとなり、教会の向上のために役に立つものであるのかと、立ち止まって考える時を持たなかったことを悔い改めました。

 

Ⅰコリ 10:23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。 10:24 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

 

今週は、イエス・キリストの受難の苦しみを覚えつつ、教会では朝に、夜に、信徒説教と祈りが祈りが積み上げられています。明日の夜はパッションの夕べ。土曜日の朝は最終回の祈祷会があります。今から祈り備えます。

次主日のイースター早朝礼拝では副牧師、主日礼拝は主管牧師がメッセージをしてくださいます。礼拝の中で、すでに天に召された兄姉の写真が、遺族の兄姉が教会持って来て並べて、短い祈りの時が持たれます。私も毎年、夫の遺影を持参しますが、すでに天国にいますから平安です。

それよりも、まだ救われていない息子家族、その他の親族の人たちのことを、また教会員の家族の方々がイエス・キリストを信じ受け入れて救われるようにとを祈ります。

 

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