カンパニーとは会社という意味だけでなく、何かを一緒にするところと学びました。カウンセリングが元々キリスト教の牧師がやったことであるように、カンパニーも元々がキリスト教から来ているのかな・・・と思っていました。
きょう、木曜日、ルカの福音書を振り返るために英語の朗読を聞きながら新改訳を読んでいたところ、カンパニーという言葉が響きました。調べてみたところ「一行」と訳されている部分のようです。
ルカ 2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
NIVUK 44 Thinking he was in their company, they travelled on for a day. Then they began looking for him among their relatives and friends.
そこで、聖書の中で、カンパニーが出て来る個所を検索した
ロマ 15:24 ──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、【NKJ】・・・if first I may enjoy your company for a while.
Ⅰコリ 5:9 私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。
【NKJ】not to keep company with sexually immoral people.
ヘブル 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。
【NKJ】to the city of the living God, the heavenly Jerusalem, to an innumerable company of angels,
このカンパニーという言葉には一致しているという意味があることを知りました。
天での祝会をこの世で味わっていると言われる教会では、教会員の中で党派心や嫉妬心など互いに苦々しい思いを持つことなく、一致して喜び、感謝して、神をほめたたえるべき。
私はちょうど、そのような思いを持つことがあったのですが、このカンパニーという言葉を調べることから悔い改めに導かれました。
また一方、この世の人たちと仲間になる場合には、識別することが大切だと思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます