使徒の働き2章47節の「も」ということばに、私は主の働きについて誤解をしていました。
私は、主語のとらえ方と、ものごとの順番を間違っていました
新改訳3版には
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
とあるので、弟子達が、熱心に讃美し、すべての民に好意をもたれるようにやっていたから、その弟子達の働きやすべての神に好意を持たれるようにと努力していたから、それに答えて、主も働いてくださるように受け止めていました。
しかし、順番が違うと知った。
弟子達のしていることの背景には、主が主のみわざを進めておられる。
弟子達は、神を賛美すること
主は、すべての民が弟子達に好意を持つようにされた
主は、日ごとに救われる人々を仲間に加えた。
42節から47節で、主語が弟子達の部分と、主語が主の部分とを分けてみました。
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
ーーー信徒たちがしていたこと
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
ーーー主が、一同の心に恐れを生じさせた。
ーーー主が、弟子達が多くの不思議としるしを行なうように背後で働いた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
―――信徒たちのしていたこと
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47 神を賛美し、
ーーー使徒たちがしていたこと
すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
ーーー主が働いて、民が好意を持つようになされた
ーーー主が働いて、救われる人々を仲間に加えた
私は、他の人によく思われるようなクリスチャン生活を頑張ってしていたら、神様がご褒美にと、あるいは救われる人を与えてくださるかも知れないという間違った考えでした。
私は、行ないを先に考えるよりも、内側の心の状態がどうであるかが大切であることを学びました
神殿では、心を一つに、同じ激情・熱情をもって、ひたすら専念する思いをもって
家では、喜び、躍り上がるような喜びをもって
家ては、真心をもって、石のない平坦な土地のような、単純な、純真な心をもって
初代教会の弟子達の心の姿勢から学べたことを、喜び、導き主を賛美します
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