もう30年程前の話ですが、
母が亡くなった時、悲しみに耐えらなくて、混乱しました。
親戚のお坊さんに尋ねました。
「今、母はどこにいると言えるのでしょうか?」
はっきりした答が得られず、本山まで行きましたが
同じでした。
教えもらったのは
・数珠の正しい持ち方、線香は立てるのか横にするのかなど
・仏壇の中の戒名は、寺では特に必要な時はない
・お墓にお酒や饅頭などは備えても意味はない
・仏壇の中の戒名は、寺では特に必要な時はない
・お墓にお酒や饅頭などは備えても意味はない
こんなことでした
私が求めていた意味・目的などについては、一つも答えられることなくがっかりしました。
今は、天地創造した神が、創造した時から、今も、そしてこれからも永遠におられることが分かります。
父なる神が、御子であるイエス・キリストを、私が神を知り、信じ、神との生きた交わりに入れられるようになるために私に与えてくださったことがわかります。
そのイエス・キリストは、求めるなら、聖書のことばから、考え方、生き方、意味、目的について、神の時に、神の方法で確かに答えて導いていてくださっています。
母が亡くなって、それをどう受け止めたら良いのか混乱した時期があったのは、神が私に、本当の神を求めるようにと与えてくださった試練だったのだとはっきりわかって、母の死をも感謝しています
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