教しえられた真理
イエス様の枝と言われている枝であっても、実を結ぶものと実をむすばないものがある。
★実を結ばないものは、取り除かれる。片づけられる。その結果、干からびて集められて、火に投げ込まれ焼かれてしまうことになる。
★実を結ぶものは、きれいに選定される。不要な枝は取り除かれ。掃除される。その結果、もっと多く実を結ぶようになる。
明かされた自分の霊的状態
三年半ほどイエスについて来た弟子達に語られた言葉を、私も、回心した日からイエス様に聞き従ってきて今、こうしてみことばに聞いています。
ですから、実を結ばないで焼き滅ぼされる者ではなくて、イエス様が「わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。καθαρός」と、言ってくださっている、もっと実を結ぶために選定するκαθαίρω、プロセスの中に置かれていると信じます。
神様への応答・実践
私はイエス様にとどまります。イエス様に祈り、求め、訪ねます。
イエス様は、そんなわたしに、聖霊を与え、導き、答えてくださいます。
枝が木から水分・養分をもらって瑞々しさを保っているように、ぶどうの木であるイエス様との霊的な交流を大切にします。
恵みとあかし
線路脇を散歩をしていたら、4メートル程もフェンスに小さなブドウがぶら下がっていました。しかし枝は見えません。
不思議に思って、木は? 根は? 元の枝はどこにあるのだろうと捜したら見つかりました。フェンスの上の隙間の中に、蔓を伸ばしてしたのでした。
実を見つけたら、必ず根があり、木があり、枝がある。実がまだなっていない時でも、木があり、枝があり蔓をのばし、葉が茂ってきたら、時がいたれば実が見えるようになる。
神様は、今日、葡萄の木を見せて、ヨハネ15章1--6節のことばを納得させてくださいました。
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