ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

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イザヤ書後半から、神の大きな計画・希望を見る

2023-01-10 | 旧約聖書

バイブルプロジェクトイザヤ書ビデオの文字起こしから転記したもの
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イザヤ書前回のビデオでは、1章から 39章のエルサレムに対する裁きと希望 についてのメッセージを学びました。

イザヤは神に反逆したイスラエル の指導者たちを非難し、アッシリアとバビロンという神の 裁きを通してイスラエルの王国は滅びるだろう と言いました。39章はエルサレムがバビロンに 壊滅させられ捕囚にされるとイザヤが預言したところで終わり ます。そして約百年後悲しいことにそれは 現実となりました。しかしイザヤが述べた大いなる 希望はきよめられた新しいエルサレム でした。それは来るべきメシアなる王を 通して回復された神の国ですべての国の人々が平和のうちに暮らす のです。40章以降はこの希望について語り ます。

最初のセクションである40章から 48章はイスラエルの希望と慰めについて の記述で始まります。バビロン捕囚は終わりイスラエル の罪は赦され新しい時代が到来すると告げられ ます。イスラエルの民はみな神がご自身 の王国を築くエルサレムに戻り、他のすべての国の人々もそこで 神の栄光を見ます。

 

しかしここで大きな疑問が生まれ ます。これらの希望のことばは誰の発言 なのでしょうか。これらの預言は捕囚後の時代を 生きた人の視点から語られています。つまりエズラやネヘミヤの時代 ということです。しかしイザヤはそれより150年前に 死んでいるのです。では一体誰の発言なのでしょうか これはイザヤが預言者として200年先の視点に立ち もう捕囚が終わったかのようにして 未来の世代に語っているのだと考える人たちも大勢います しかしイザヤ書はそれとは別の可能性を示唆しているのです。

8章29章30章にはイザヤがイスラエルの指導者たち から拒絶されたあと裁きと希望のメッセージを巻物 に書き記して封印したことが書かれています 彼はそれを来るべき日の証人とするために 弟子たちに渡しました。イザヤは 神がこれの正しさを証明してくださることを期待して死んだのです

 

 

すでに学んだように1章から39章にはイザヤの預言がバビロン捕 囚という形で実現したことが書いてあります。彼は真の預言者でした そこで捕囚が終わった後イザヤの言葉を大切に保管して きた弟子たちが巻物を開封しそこにある希望の言葉を彼らの時代 に適用し始めたのです。そう考えるとイザヤ書にはイザ ヤ本人の言葉と彼の弟子である預言者たちの言葉 もあります。神はイザヤの希望のメッセージ を後の世代へ伝えるためこの弟子たちを用いたものと考え られるのです。どちらの説を取るにしろ これらの箇所は待ち望んでいた希望が到来したと伝えていることに 変わりはありません。神はイザヤが預言したことを実現したのです

 

イザヤはイスラエルが神のしもべとなることで 神に応答することを願っていました。つまりその歩みの中で神の義と 憐みを体験したイスラエルが神とはどんな方かをすべての国々 と分かち合ってほしいと願ったのですがそうはなりませんでした。イスラエルはその役割を負わなかったばかりか 神は我々の苦境を気に留めず無視しておられる と不平を言ったのです。バビロン捕囚が イスラエルに信仰を失わせたことは想像に難くありません。 神にはそんな力はないのかもしれない バビロンの神々のほうが我々の神より優れているのかもしれない と彼らは思いました。

 

そこで41章から47章はまるで裁判 のシーンのようになっています。神はイスラエルの疑いや非難に対して 次のように答弁します。バビロン捕囚が起こったのは神 が彼らを忘れていたからではない。むしろイスラエルの罪に対して 神が計画した裁きである。またバビロンを征服するために ペルシアを差し向けたのは神であり、おかげでイスラエルはイザ ヤの言葉どおりに故郷へ帰れたのである。それゆえイスラエルは他国の偶像ではなく イスラエルの神こそ歴史の王なのだと知るべきである。バビロンが滅びペルシアの王キュロスが君臨したのを見て イスラエルは神のみわざを認めそのしもべとなり この真の神について国々に告げ知らせるべきでした。

 しかし48章にある裁判の結末を見ると イスラエルは先祖と同じように反抗的で頑なだったのです。そのため神はイスラエルをしもべと認めることはできませんでした。それでもなお神はイスラエルを祝福しようとされたのです。この問題を解決するために神は新たな手段を取られると イザヤは言いました。その内容が49章から55章です。 ここには神のしもべと呼ばれ、イスラエルにはできなかった神の 任務をなし遂げる人が登場します。神は彼にイスラエルという称号 を与え、まず、イスラエルの民を神のもとに連れ 帰るという任務を与え、次に国々に対する神の光となる 任務を与えました。彼は神の霊によって力が与えられ、 すべての国々に良い知らせと神の王国をもたらすと記されています。これはまるで9章と11章にあるメシアなる王のようです

 

しかし彼がどのようにして神の王国をもたらすか その方法には驚かされます。彼は拒絶され殴られ 最終的には自分の民に殺されるというのです 彼は人々の非難を受けて死刑宣告をされ 彼の民の罪のために死ぬことになります。この神のしもべの死は 人々の罪と反逆を贖うための犠牲の死だとイザヤは言います そして彼は突然よみがえり、この死によって人々が義とされる 道を開きます。こうして人と神の関係が回復される のです。

 

このセクションは 神のしもべに対する人々の2つの反応を記して終わります 。ある人々はへりくだって罪を離れ、神のしもべがしてくれたことを 受け入れます。彼らはしもべたちまたは種と呼ばれる ようになります。6章に出てきた聖なる種のことです この人たちはメシアの王国の祝福を味わうことになります 14 19s554613 しかし悪しき者と呼ばれる者たち もいて彼らは神のしもべもそのしもべ たちも拒絶します。

 

そして次がこの書の最後のセクション 56章から66章であり、ここでしもべたちが神の国を受け 継ぎます。この箇所はイザヤ書全体のテーマ をまとめシンメトリーがあり巧みに構成 されています。中心には神の霊がしもべに力を 与え、神の王国の良い知らせを弱者に 宣べ伝えさせたことについての3つの美しい詩があります。神のし もべはイザヤ書ではじめから語られている 希望の約束を改めて保証します。神のしもべたちが住む新しいエルサレム は神の義と憐みと祝福が世界に広 がっていく源となるのです。

 

これらの詩を挟むように2つの長い 悔い改めの祈りがあります。しもべたちがイスラエルの罪を 告白し自分たちが見聞きする悪しき行 いを嘆く祈りです。彼らは神に赦しを求め神の国が 天にあるようにこの地上にも来るようにと願います。これらの祈りを挟むように配置されている詩は 神のしもべたちと彼らを迫害する悪しき者たちがた どる道の明暗を描くものです。神は神が作った素晴らしい世界を 悪と自己中心と偶像礼拝によって汚す人々を裁き 彼らを神の都から永久に追放するのです しかし神の前にへりくだり分の罪を悔い改めるしもべたち は赦され新しいエルサレムを受け継ぎます。その都は死も苦しみも永遠に味わうことのない 新しくされた世界を指しているのです。

 

さてこのセクションの一番最初と最後を見てみましょう。この新しくされた世界である神の国では すべての国の人々が創造主贖い主を知って 神の契約の家族であるしもべたちに加わるように招かれています。 このようにイザヤ書は神の契約による約束が すべて実現するという壮大なビジョンを持って終わるのです。苦しみを受けるしもべなる王を通して 神はすべての国の人々からなる契約の家族を作ります。 彼らは天に神の国と神の義があるように 地上にも新しい創造の日が来ることを待ち望んでいるのです この力強い希望これがイザヤ書です

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