私はクリスチャンになって26年ですが、振り返って見ると、滅入ってどうしようもないという時はほとんどなかったと思う。自分の体調が悪いとか、ストレスが重なって疲れていた時は滅入ることもあったが、長く続いて、なすべきことができなくて困ることはなかった。
夫の病気、死亡とその後の生活の大きな変化する時には、深く考え決断するべき時があったが、確信もなく平安だ、安全だと、安易にすり抜けようとしなかった。他の事で気を紛らわすこともあったが、いつも神に立ち返るように導かれた。
その結果、神が恵みによって与えてくださっていた霊的訓練の場を自ら放棄したことをしなかったことは、今に至るまで祝福です。
神が与えたプロセスの中に置かれている時は、目先の事に目が奪われることなく、聖霊の導きによってバードビューで最終的な「ゴール」まで見通さなくてはならない。
その「プロセス」の中で育まれるべきもの、「プロダクト」が存在するというのであるなら、問題の一つ一つに真剣にチャレンジをして忍耐して、主にある喜び、平和、感謝、讃美の中を一歩一歩進んで行かなくてはならない。
「プロダクト」とは私にとって何だろう。主にある霊的な一致、教会成長、献身、聖霊の実、救霊の実でしょうか。人間関係の中で一喜一憂しているような兄姉が多い中、自ら進んで神の訓練に身をゆだねて、日々の主との個人的な交わりほ喜び感謝して、さらに、教会の中において讃美と喜びの声が湧き上がるように、自ら献身しつつ、信仰を全うして最終的ゴールである天国に入れていただきたいと願っています。
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