自分は、もう、救われている。神の導きと守りの中にいると、Ⅱテモテ4章7.8節を読んで、なんとなく安心していたのですが、間違いであったことが示されました。
Ⅱテモテは、困難、苦難の中を走り切ったパウロが遺言のようにして書いた手紙でした。
今、信仰の走路の途中にいる私は、次のことばに目をとめなくてはならない
ピリピ3:13 わたしは、自分はすでに捕らえたなどと考えてしません
Ⅰコリント10;12 立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
Ⅰテモテ4:16 そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。
主日に語られた説教も、榊原康夫先生の注解書も
「自分は失格者になるかも知れない」という恐れを持って、いつも緊張して、走らなくてはならないという結論に導いていました。
自分は楽したいという、自己中心の思いがみことばを読む時に、みことば理解を微妙に歪めようと働いている。
自分は楽したいという、自己中心の思いがみことばを読む時に、みことば理解を微妙に歪めようと働いている。
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