使徒の働きの主人公は、前半はペテロ、後半はパウロかと思っていたが間違いであったと知った。
ルカの福音書で、イエスが行ない始めたこと、教え始めたことが書かれていて、その続きの使徒の働きには、イエスの霊、聖霊が行ない続けていることが書かれているので、
使徒の働きの主人公は、使徒たちを働かし、動かしている聖霊である。
使徒の働き1章1-5節から礼拝説教がなされて、そのことを知った直後に、私達の教会の牧師の、牧会〇〇年の記念会がなされた。
何人かの兄姉が、牧師夫妻と並んで講壇に立ち、牧師夫妻に感謝の言葉を伝えた。
私は花束やプレゼントを贈った後の、締めのお祈りをするようにと依頼されていた。
そこで、ここまで牧師を支え導いてくださった神様に焦点を当てて、讃美と感謝のお祈りしようと思って、講壇の下でマイクを持ち、使徒の働き1章8節をまず読んで、説教への応答をしながら祈りました。
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説教の中で、聖霊に浸されることが、染物の話を例にして語られた。私は、この自我を握ったままで、明け渡していない部分があるので、染めむらがあり、使い物になっていないことを告白した。
牧師一人が、伝道し、牧会し、教育するのではなく、信徒の一人一人が、主に委ね、献身をして、さらに聖霊の満たしを求めよう。
教会全体が一致して、失われた魂を捜して救う主の働きに用いられるようにと成長していくことを祈りました。
コロナ禍、その他、問題に囲まれていますが、すでに天には住まいが備えられていますから、安心して、平安のうちに、神の栄光を現す教会となって行きますようにとお祈りをしました。
祈りは前もって準備をしたものではなかった。その時、聖霊様が祈らせてくださったものなので、後でアーカイブを聞いて、自分でも感動しました。
染物の話では、自分の中の自我が染まっていないということだけでなく、この人、この地域、この今は、聖霊に満たされるのは無理だと、私が勝手に考えて、聖霊の働きを邪魔していたことに気づかされ、悔い改めました。
牧師から、これから始まる使徒の働きの連続講解説教に備えて、一度通読をするようにと勧められた。検索すると使徒の働きの中に「主」は110回 「霊」は67回書かれている。歴史の背後に働いている主の霊に注目して、読んでみよう。

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