へブル書最終章の祈りの要請のところを読んでいます
指導者のために祈れ
指導者は時にはうめきながら信徒の魂の見張りをしていることもある。
指導者が、喜んで信徒の魂の見張りができるように、信徒は指導者たちに説得され納得して服従しなさい。
なぜなら指導者たちはやがて、申し開き弁明することになるのだから。
指導者のために祈れというからには理由がある。
なぜなら、指導者たちは説得され納得した結果の確信があるからです。
どういう確信かといえば、神のみこころにかなった正しい良心を自分達は持っているということ。
指導者たちは、彼らのその確信が正しい行動・振る舞いとなることを願っている。神の御前においてすべてのことにおいて。
説得させられる、納得するということばは「信仰」という言葉です。
信仰によって、私達は、イエス・キリストを救い主と信じてきよめられました。
罪からは離れたところに保たれて、きよめ続けられています。
そして、心だけではなく、日常の行ないに至るまで、キリストの霊、聖霊に力によって、きよめられつつ前進しています。
神様は今日、私に、信仰によって確信を持って指導者のために実際に祈るように促しておられます。
今朝は、このことを原典を確認しながら学んだが、お昼には教会のオフィスの働きに献身しておられる姉妹が、誕生日のお祝いに来てくださり、私の手づくりのお昼ご飯を一緒に食べてくださいます。
お昼休みの短い時間ですが、祈り励ますべき指導者・リーダーである彼女の話をよく聞いて、祈祷課題を把握して、牧師やその他のオフィススタッフのための祈りをするように、聖霊によって促されています。
さあ、お料理の仕上げにとりかかりましょう。
Prayer is work.
Prayer leads to works
Prayer works
祈りは仕事である
祈りは働きに導く
祈りは聞かれる
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