イースター礼拝での副牧師の説教を聞いていて、「来て、さあこい」という言葉から、イエスが復活したことを知った者には、イエスの弟子として早速行って伝えるように召命を受けるのかと思い違いをしてしまいました。なぜなら、以前に、メッセージで、「さあ、来い、わたしの後ろから」と漁師たちに声を掛けられた話を語られたことを思い出し、同じ言葉なのかなと思ったからでした。
帰宅後、インターリニアを確かめたところ、同じ言葉ではあったけど、ここでは、来いというのではなく、納めてあった場所を、さあ来て見なさいと、見ることが強調されていて、私の思い違いであったことがわかりました。
・恐れないで、
・御使いの話すよみがえられたという情報をしっかり聞いて、
・その上で、さあ見なさいと、事実を確認するようにと、
強く促しているのだと思いました。
女たちは、急いで行くにしても、御使いから何をどう伝えているのかをよく聞いて確認してから急いで墓から立ち去った。なすべきことが与えられたら、時をのがさず行動することは大切ではあるが、恐れずにしっかり正しく聞いて、人に証言できるほどにしっかりし見て、そしてまだ恐れはあっても喜びを持って、それから実際に急いで走っていくことを教えられました。
その直後に、今度はイエス様ご自身が現われてくださって、もう一度恐れ続けることはないと命令されて、御使いが言ったことと繰り返して、見たことだけでなく、これから起こること、予言を女たちに預けて、ガリラヤで会えるということを伝えるようにと、弟子達のところに遣わしたのでした。
私は、このようにみことばを細かく見直したことにより、十字架と復活の、罪の贖い主イエス・キリストの証し人として召され、また遣わされることを自覚し、喜びを感じるとともに、身が引き締まる思いもします。
今回学んだのは、
・落ち着いて、聖霊の導きによってしっかりみことばに聞き、
・自分自身で確信を得て、
・そして主を礼拝し、主との交わりの中で、具体的に行き先、伝える内容を聞いて、
・後になって、主のみわざがなされることを確信して、
・それから急いで行動を始めること。
この順番がはっきりと教えられ、これまでの自分勝手な衝動的、また感情的な動き方を悔い改めました。
↓ ↓ イカリソウ
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