最近、ほぼ週に一度会っている鍼灸院の先生。彼は猛烈な勉強をしたとのことで、そっと手や足に触れるだけで、ツボの状態を見極めて体内の血とか気の流れが見えるそうです。
私が最近目がかすみ、疲れていることも、触ったらわかると、ちょっと自慢げに言われました。それはそうでしょう。信徒説教の準備と入力奉仕に励んでいたのですから。
しかし、さらに私の奥には、生けるいのちの水を湧き出させている泉があることまでは見えていません。聖霊を知らないのですから当然です。
私は話を聞いてもらって治療を受ける立場ですが、反対に、先生がどんなに熱心に勉強したか、弟子づくりをしようと採用しても続かなくて寂しいとかの話を寝たままゆったりと聞かせてもらいました。
別の部屋で患者さんが待っているでしょうに、結構な時間、私の部屋に滞在された。そして私が少し自分のことを話すとふと我に返ったように部屋を出られました。
教会のある姉妹が福音を語ったら、プルラリズムのような返答だったそうです。私以外にも、教会から何人も通っています。聖霊が彼の中ですでに働いていることを願います。
医院内には、私が通っている歯医者さんにあるような神社の熊手等は見えませんが、小さい動物の置物がたくさん飾られています。待合室の本箱には生き方を求めるような本も並んでいますが、その傾向は一つではないように見えました。
次週の治療に行く日を、祈って備えて、聖霊が働かれるのを期待して待ちます。
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